除染から3年後、トン袋の中身はどうなっているか。 iRyota25 2013.07.11 3 5,129 0 暗闇の中から、大きな黒い塊の群れがヘッドライトに照らされて現れる。 それは道沿いに並べられたトン袋。 福島県双葉郡川内村、日没後の国道399号。集落の道路脇に、除染で出た廃棄物がずらりと並べられていた。おそらくは、搬出先が決まるまでとの条件で。 たくさん入る。ク
ガレキと呼ばないで(富岡町の町なかで見たもの) iRyota25 2013.07.10 2 2,773 0 がらんとした住宅造成地の真新しい道の先に、ガレキの仮置き場がありました。 富岡町は、今年の3月まで警戒区域として立入が厳しく制限されてきたため、被災した建物やクルマなどの撤去はまだほとんど手付かずです。 津波の被害を受けた建物が点在するだけの平面的な空間には
ガレキと呼ばないで(楢葉町木戸周辺の変化) iRyota25 2013.07.05 1 2,484 0 2013年6月22日、2カ月ぶりに楢葉町に入った。 最初に木戸駅周辺に来たのは今年の3月7日、次は4月19日。 ガレキと呼ばれるのを拒んでいた被災した物やクルマ、そしてあの貨車はどうなっているのだろうか。 伸びる夏草のほか、恐ろしいほど変わらない光景 想像していたことだが
震災記録写真・富岡町から南へ ~その2(久之浜)~ sKenji 2013.07.04 2 1,749 0 楢葉町から久之浜へ (2013.6.22) 楢葉町からいわき市久之浜地区に移動する。 車を降りて最初に目についたのは、家の基礎部分だった。今朝から見てきた震災の爪痕だった。薄曇りの天気がさらに圧し掛かってくるようだった。 海岸線を歩いてみた。女子学生が二人いた。 学校帰
震災記録写真・富岡町から南へ ~その1(楢葉町)~ sKenji 2013.07.03 3 2,751 0 福島県双葉郡富岡町から海岸沿いに車で南下して、楢葉町、いわき市久之浜・薄磯・豊間を写真取材する。 広大な草地の所々に壊れた車が放置されたままの光景と家の基礎だけが無残に残る被災地。 海岸線の開けた土地という、通常なら人が住んでいるはずの立地にも関わらず、家屋
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月23日) iRyota25 2013.07.02 3 2,816 0 2013年6月23日 福島県いわき市久之浜→静岡県伊豆の国市 震災で負った被害が、そのまま2年以上放置されていた富岡町から、楢葉町、いわき市の久之浜、薄磯海岸、豊浜とまわって帰った翌日の朝――。 父さんは、久之浜からやってきた小学生たちが乗るバスに手を振って、お見送りし
時間が止まった町・富岡町 ~その1~ sKenji 2013.06.28 3 1,989 0 富岡町へ 6月22日朝、震災の復興支援を行っている団体、はままつ東北交流館館長の佐藤大さんと取材先でお会いした。 佐藤さんは双葉町出身で、現在は静岡県浜松市で避難生活をしながら震災復興支援活動をされている。 当初のスケジュールは、楢葉町などを中心に取材する予定だ
ガレキと呼ばないで(あの電柱との再会) iRyota25 2013.06.14 3 2,834 0 クローバーが咲き乱れる陸前高田の町なかで、あの電柱と再会した。 初めて会った4月には、周囲は寒々しい景色が広がっていたが、シロツメクサが白い花を咲かせているだけで印象が少し違って見える。 2カ月ほどの間で変化したことといえば、日中ならそろそろ半袖でも過ごせるか
ガレキと呼ばないで(2013年4月19日・楢葉町木戸-4) iRyota25 2013.05.14 2 1,961 2 造り酒屋の酒樽タンクが流れついていた場所の少し南で、こんな景色が見られます。 新しく立てられた電柱です。まだ立てられたばかりなので、素の状態の柱が立っているだけです。 でも、このあたりに立てられた電柱、ちょっと不思議なんです。 電柱に巻きつけられたお知らせに
ガレキと呼ばないで(2013年4月19日・楢葉町木戸-3) iRyota25 2013.05.14 4 1,956 2 貨車から消防自動車のところまでの途中で、見慣れないものに出会いました。 海も近いので、最初は漁船の燃料をためるタンクかと思いました。 でも缶の内部が白く塗装されています。近くで見るとホウロウ引きされているようにも見えます。食べ物を入れるものだったのでしょうか
ガレキと呼ばないで(2013年4月19日・楢葉町木戸-2) iRyota25 2013.05.09 5 1,937 1 2013年4月19日・楢葉町木戸-1 の続きです。 【ぽたるページ】ガレキと呼ばないで(2013年4月19日・楢葉町木戸-1) 昨秋の草黄葉が残る荒地のような田んぼの中に巨大な貨車。あまりに唐突なとり合わせに、思わず「アートみたいだ」と感じてしまいました。不謹慎ですが。 この貨
ガレキと呼ばないで(2013年4月19日・楢葉町木戸-1) iRyota25 2013.05.08 3 1,591 0 3月に被災した消防自動車が置かれていた楢葉町の木戸地区です。少し奥まで足を進めたところで、目を疑う光景に遭遇しました。 おそらく田んぼだった場所に、被災した自動車が横向きに立っていたのです。 運転席は潰されているようです。 ここまで潰れるものなのか、と驚かされ
海辺の地をゆく「楢葉町・山田浜周辺」2013年3月7日 iRyota25 2013.03.27 2 3,220 1 2013年3月7日(震災から728日目)の福島県双葉郡楢葉町。山田浜から山田岡の周辺 かつてゲートがあった場所、Jヴィレッジ。サッカーの聖地は原発事故から日本を守る最前線になりました。警戒区域が縮小された今も、Jヴィレッジ周辺には緊張感が張りつめています。(警察車両や
息子へ。被災地からの手紙(2013年3月7日) iRyota25 2013.03.13 1 1,684 0 2013年3月7日の福島県双葉郡楢葉町 今回のいわき取材の宿泊場所は広野町。この2月オープンしたばかりの、復興特需対応型の簡易なホテル。広野町なんていうと、放射能は大丈夫なの?と心配かもしれないけれど、思った以上に低い。屋外で0.18μsv/hくらい。久之浜で0.14、いわき
海辺の地をゆく「楢葉町・木戸」2013年3月7日 iRyota25 2013.03.08 4 3,461 7 2013年3月7日(震災から728日目)の福島県楢葉町・木戸 福島第一原発の爆発事故の後、長く警戒区域として町全域の立ち入りが禁止されてきた福島県楢葉町。警戒区域が解除されたのは2012年8月10日。東日本大震災から518日目のことでした。それからさらに200日以上が経過した現
「なんとかお店を!」の声に応えるため、被災地第1号となる仮設商店街オープンに奔走 iRyota25 2013.01.22 2 2,416 2 住民がいなければ商店は成り立ちませんが、お店がなければたとえ住宅だけが整備されても人々は戻ってきません。津波によって町の中心部が壊滅的に破壊された上、原発事故の影響で多くの住民がいまも町を離れている久之浜。しかし、この町の「浜風商店街」は、被災地で最初にオ
東日本大震災・復興支援リポート 「哀しい黄金色に一縷の望み」 iRyota25 2012.11.09 3 1,999 0 2012年10月19日の楢葉町 いわき市から海岸沿いに国道6号線を北上すると、一見のどかな田園風景に思える光景が広がる。 しかし、ここは福島第一原子力発電所から20キロ圏のさらに内側だ。 写真:奥野真人(株式会社ジェーピーツーワン) かつて警戒区域のゲートがあった広野町J
東日本大震災・復興支援リポート 「草の生えた瓦礫の山」 iRyota25 2012.11.09 1 2,061 0 いわき市から太平洋沿いに国道6号線で北上すれば、南相馬市までは2時間ほど。それが原発事故で立ち入りできない部分があるせいで、大きく内陸部を迂回しなければならない。いわきから郡山へ。郡山から国道4号を本宮、二本松と北上して、福島市に入ったあたりから川俣町、飯舘
息子へ。被災地からのメール(2012年10月19日) iRyota25 2012.11.05 0 1,735 0 2012年10月19日◆久之浜(福島県いわき市) 東日本大震災で被災した地域への出張は今回で8回目。父さんが留守の間、ちょっと寂しいかもしれないが、毎日がんばってることと思います。 これから出張する時には、会社への報告とは別に、きみにも被災地のことを書いて送ることにし