海辺の地をゆく「楢葉町・木戸」2013年3月7日

iRyota25

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2013年3月7日(震災から728日目)の福島県楢葉町・木戸

福島第一原発の爆発事故の後、長く警戒区域として町全域の立ち入りが禁止されてきた福島県楢葉町。警戒区域が解除されたのは2012年8月10日。東日本大震災から518日目のことでした。それからさらに200日以上が経過した現在、楢葉町の南側、木戸駅の周辺には多くのがれきが残されています。

田んぼだった場所は荒れ地と化し、ところどころに破壊された自動車や農機具などが放置されています。いくらかのがれきは集められていますが、約2年という時間が過ぎたことが信じられません。

車の持ち主の無事を祈らずにいられません。

田んぼだった場所は表土が失われ、雑草が茂り、そして破壊された農機具が点在しています。

何か所かがれきを集めようとした場所がありました。しかし、すべてのがれきを集めることは、まだできていないようです。

傾いた電柱が残されています。津波の力に耐えきれず倒れてしまった電柱は、さらに数多くあります。

大型ダンプがひっきりなしに走る町の四つ角に消防車が置かれています。

消防車のキャビンには大量の泥が入っていました。「津波は水ではない」ということを如実に物語っています。

重機が川に落ちたまま放置されていました。現在の楢葉では引き上げる手段がないのかもしれません。

☆ぜひ見てほしいこのページ

 海辺の地をゆく「警戒区域北部」2012年1月21日
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立ち入りが厳しく制限されていた、1年前の南相馬~大熊町の光景です。

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●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)

最終更新:

コメント(7

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  • I

    iRyota25

    私見かもしれませんが、被災自動車置き場でも、消防車はとくに人目につかない場所にあるケースが多いように思います。被災した消防車にここまで近づけたのは、震災直後を除けば初めてでした。守るための仕事をしていた人たちの車の被災状況を、人目にさらしたくないという思いはきっとあったのだと思います。

    • I

      iRyota25

      でも、それすらできないのが、いまの楢葉地区なのかもしれません。

    • I

      iRyota25

      警戒区域への立ち入りが厳しく制限されていた頃でも、道路だけは通れるようにとか、片づけ作業は若干ですが行われていたようです。しかし、警戒区域が解除されても、なかなか人が戻ってこないという現実が、ここにはあるように感じました。

      • I

        iRyota25

        空間線量は0.2~0.3μSV/hでした。距離を考えれば低いくらいです。それでも人々が戻ってこないということが、復旧に向けての作業がなかなか進まない理由なのかもしれません。
        ダンプが走り回っていることからも、業者の方々は入られています。でも、「それだけでは」という部分が大きいのだと思います。

        • I

          iRyota25

          原発が爆発事故を起こしてからしばらくの間、久之浜も同じような状況だったと、高木優美さんが言っていました。住民の方々とボランティアの人たちのたくさんの力が、立ち上がるためには不可欠なのだと、改めて感じました。

        • O

          ockn1006

          被災地の光景で痛ましく思うのは、「ガレキがある程度だけ片づけられて、一部は放置」みたいな状況です。
          締めにあったようにやはり回収する手段がないのでしょうか。
          おそらく2年前の当時はもっと色々流れていたと思うのですが。。

          伝えるために残しておくべきものなのか、人目に付かないように消すべきものなのか、色々考えさせられますね。

          • I

            iRyota25

            最後の写真の重機は「コンマ2・5」と呼ばれる中型サイズだったと思います。でもクレーンで引き上げるにしても、川岸にクレーンが入れる道を作らなければなりません。本来は、川に大きなものが落ちたままの状態は非常に危険です。でも、そこまで手が回らないという実情をお分かりいただきたくて、あの写真を載せました。