ボランティアガイドをされているSさんと広島平和記念公園を巡っていきます。
待ち合わせ場所だった原爆ドーム周辺には、自分と同じようにガイドの方の解説を聴いている人もちらほら。また、親が被爆者にあたる方、地元に住んでいる方がボランティアで活動(週末が多いそうです)しており、予約がなくてもお話しを聴ける場合もあります。
動員学徒慰霊塔
原爆ドームの解説をしていただいた後、少し南(平和記念資料館の方向)に移動すると、特徴的な形をした塔が見えてきます。私たちが着く前にも複数人の方がここを訪れていて、中には小学生ほどの子どもに対して一つ一つ丁寧に説明している家族連れらしき人たちもいました。
この塔は戦時中に働き手として動員され、原爆や空襲によって亡くなった子どもたちのために建てられたものです。
「勤労即教育」。この考えの下、農場で食料を増産すること、軍需工場で兵器や兵士の着る服を作ること、さらには爆撃により軍隊の建物への燃え広がりを防ぐ(防火帯を作る)ために建物を取り壊すこと。これらの目的で、中学生以上の生徒(12~17歳)を中心に全国各地から子どもたちがかり出されていきました。
慰霊碑によれば、
第二次世界大戦中増産協力等いわゆる勤労奉仕に動員された学徒は、全国にわたり三百数十万人。あたら青春の光輝と、学究の本分を犠牲にしつつ挺身した者のうち、戦禍にたおれたものは一万有余人。その六千余人は原爆死を遂げた。
動員学徒慰霊塔 碑文
原爆が投下された朝、この時も建物を取り壊し作業(建物疎開作業)が行われており、約6,300もの子どもたちが犠牲になりました。Sさんが「ここは必ず行程にいれる」と言われていましたが、その意味を少なからず感じることができました。
持ち歩いているスクラップブックに貼ってあったのは、ウクライナの学校への爆撃を伝える新聞記事を切り取ったもの。
「いつの時代も子供が犠牲になる。こんなことが許されると思いますか?」
Sさん言ったこの言葉には思いが込められていました。広島で起きた出来事と今現実として起きていること、両方に触れながら巡っていくことで感じ方は変わってきます。
写真では少しわかりづらいですが、一般的な塔のイメージは頂上に向かって先端が狭くなっていくものを想像すると思います。一方、こちらの塔は上に向かって徐々に広がっていく形。
未来に向かって自身の視野が広がっていくはずだった子どもたちのことを思うと無念でなりません。この塔の形は、下(子ども)から上(大人)へ登っていくつれて世界が開かれていくように見えてきます。
塔の中央にある平和の女神像。
Sさんの解説によると、複数の宗教を組み合わせた像であり、所々にそれぞれの象徴となる部分を採用しているのがわかります。
柔らかい表情をしている顔は仏教を取り入れており、後ろの翼はキリスト教。腰のベルトは神道の鏡を表現したもので、一つの宗教に定めず亡くなったたくさんの子どもたちへの思いを表したものもあります。
塔を囲むように配置している石材を細工したレリーフには、子どもたちが作業している様子、灯ろう流しを表しており、その裏には亡くなった学生の出身校が刻まれています。空襲等により全国各地で戦時中亡くなった動員学徒。慰霊する子の中には広島県以外の子どもたちも含まれており、自分が住む静岡県も多くの学校の名がありました。
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