2020年春から突然コロナにより生活の変化を強いられている今。これからの子どもたちが未来を生き抜く力とは?をキャッチーな言葉で解説した著書「パッション 新世界を生き抜く子どもの育て方」(徳間書店)は、サッカーママをはじめスポーツする子を育てる親から大きな反響を得ています。読むだけで元気が湧いてくるケン語録の神髄をお聞きしました。
幸野 健一(こうの けんいち)
1961年、東京都生まれ。サッカーコンサルタント。中央大学杉並高校、中央大学卒業。7歳よりサッカーを始め、17歳のときに単身イングランドへ渡りプレミアリーグのチームの下部組織等でプレー。以後、指導者として日本のサッカーが世界に追いつくために、世界43カ国の育成機関やスタジアムを回り、世界中に多くのサッカー関係者の人脈をもつ。現役プレーヤーとしても、50年にわたり年間50試合、通算2500試合以上プレーし続けている。育成を中心にサッカーに関わる課題解決をはかるサッカーコンサルタントとして活動し、各種サッカーメディアにおいても対談・コラム等を担当する。2014年4月に千葉県市川市に設立されたアーセナル サッカースクール市川の代表に就任。専用の人工芝グラウンドを所有し、イングランドのアーセナルFCの公式スクールとして活動していたが、2019年4月よりFC市川GUNNERSにチーム名を変更した。また。33都道府県で開催し、400チーム、7000人の小学校5年生選手が年間を通してプレーする日本最大の私設リーグ「プレミアリーグU-11」の実行委員長として、日本中にリーグ戦文化が根付く活動をライフワークとしている。
楽しむために生きている!その手段がサッカー。
――「パッション」おもしろく拝読させていただきました。赤いブックデザインもコンセプトにぴったりですし、見出しのどれもがおもしろくて思わず読み進めてしまうつくりで楽しめました。この本を執筆された思いをお聞かせいただけますか?
7歳頃からサッカーを始めて17歳で渡英して、世界最高レベルのスポーツがもたらす価値、人の生活へ与える潤いというものを体感しました。日本は経済大国にみえますが、スポーツの文化的価値があまりにも低い。人々の生活や潤いに関しては後進国だとずっと感じていて、たぶんそこに日本人は気が付いていない。サラリーマンは残業するのが当たり前、スポーツの長時間練習するのも当たり前。時間の貴重さ。そもそも人生において何のために生きているか、考えている人が少ない。ヨーロッパだと、人生は楽しむためにあるという基本的なスタンスがあるので、仕事はできるだけ集中して終わらせるとか、オンオフの生き方が生活のメリハリとなっています。
一方、日本人は「なんのために生きている?」という質問にはなかなか答えられない。何が違うんだろう?とずっと30年考え続けてきた結論は、僕の経験を子育てやサッカーに生かせるような本を書くということでした。
――国によっての宗教観の違いも関わっているのかもしれませんが、日本は何かに所属していること。著書にも書かれていますが、例えば会社という組織だと「会社教」のような従属性がうまれて、なかなかそこのルールからはみ出せないというのはあるのでしょうね。
組織に依存して長時間労働、あるいは練習することで、これだけやったんだから、という安心感がうまれるのでしょう。日本は戦後50年くらいはそれでも機能してきた。年功序列、学歴社会という一億総中流といった「そこそこの幸せ」に浸かってきた。その間に中国や韓国に経済成長もどんどん追い抜かれてしまった。いってみれば競争原理を排除したのです。日本は経済大国だと思っていたけれど、実際最初からそんなことはなかったわけです。「なんちゃって経済大国」です。多くの人が固定観念に縛られて生きてきて、自分が世界に出たらそれは非常識になるというのを知ってほしくて、書きました。
――コロナによって如実にそうした問題が表面化したと思いますが、幸野さんはコロナ禍での日本、どのように感じられますか?
コロナがあってよかったというには語弊がありますが、偽物が淘汰され、本物だけが残ると思います。サッカーコーチだけでなく、町のラーメン屋さんでも同じです。信念をもってやっているものだけ生き残る。僕は元々そういう思いでいましたが、コロナによってそれが加速化されたと思います。プロは常に研鑽し続けるもの。プロなのに勉強しない人たちがあまりにも多いと感じています。自分自身はプロとして学び続けているつもりです。
――プロであり続けるのは厳しい意識をもたなくては、ですね。サッカーコンサルタントという仕事は、どのようなものですか?
この肩書は日本で僕しかいません。サッカー界に起きている問題を解決する仕事という括りになります。具体的にいうと、たくさんサッカークラブがありますが経営相談を受けたり、テレビやラジオなどのメディアに出演してます。サッカー界にまつわる課題は何か?といった時に、日本はトーナメント至上主義で日本のスポーツそのものが甲子園をはじめ、全国高校サッカー選手権など、「大会文化」なのです。そんな国は世界の中で日本だけ。僕はそれをリーグ戦に変えようと記事に書いたり提言しているだけでなく、プレミアリーグU-11という年間3000試合を行う、全国33都道府県の私設リーグを作って展開しています。サッカーコンサルタントとして提言するだけでなく実践も行っています。
スポーツはあそび。好きかどうかは子どもが決めること。
――うちの息子もサッカーを小学1年生からずっと続けてきましたが山あり谷ありで。好きで選んだ道とはいえ、親の負担も結構ありました。幸野さんはサッカーママからの悩み相談も多いそうですね?
Instagramで僕のフォロワーになってくれている6000人以上のサッカーママさんたちからは「どうすればいいですか」という悩みが毎日のように送られてきます。本来スポーツは子どもが成長するため、楽しむためにあるものです。スポーツの意味とはラテン語で「あそび」です。スポーツも習い事の括りにされてしまっているのはしょうがないんです。でも厳密にいったらスポーツは習い事と同じ括りではない。日本では学校の中に入れられて教育的要素とされてきてしまったから、一括りになってしまっている。本来は遊びです。子ども本人がやりたいからやるものです。おかあさんがやらせるものではない。スポーツは特に親がやらせたいものより、子どもが好きでやりたいものを選ばせるのが大事です。
――確かにそうですね。幸野家のおかあさま(奥様)は、お子さんにどのように関わっていらしたのでしょう?ご著書「パッション」ではおかあさんの姿が見えませんでしたが。
子どもに接するのはバランス。怖い警官と優しい警官じゃありませんが、誰かが怒れば誰かがサポートする。自分の息子に関していうと、妻は息子に厳しかった。常に勉強や生活面では妥協を許さない。そういう意味では僕よりはるかに負けず嫌いだと思う。僕はサッカーのことでは怒ったことがないし、小学生の頃でも試合後にあれがダメだった…とかネガティブなことは一度も言ったことはありません。ポジティブなアドバイスはもちろんあります。サッカーはピッチに出たら自由で、やり方に正解はないので。
――野球は監督が絶対で、サッカーは選手主導というのも書かれていましたね。同じスポーツでもそれは大きな違いですね。
そうです。ボールを持っている人が決める。ドリブル、パス、シュート。答えは一つじゃないんです。常に選手の判断を尊重する。子どもたちが気づけるようなアドバイスはしています。僕は基本的に、子どもを子ども扱いしたことがない。イギリスでは子ども扱いという言葉すらない。ひとりの人格をもった人間として論理的に説得をすること。子どもだから親の言うことを聞けばいいというのもなかった。怒鳴ったり体罰したりで高圧的に支配をするのではなく、論理的に頭で納得させることが大事だと思います。僕の時代は体罰の時代。でも僕はそういうのが許せなくて闘ってきました。それでヨーロッパに渡ったので、僕が考えていたことは正解だったと思いましたね。
――その自己肯定感も素晴らしいですが、17歳でイギリスへ単身留学をされたというのはご家族の後押しもあってのことで?
父がサッカー選手でしたので、小さな頃から連れられて海外へ。そういう環境でサッカーは世界中でナンバーワンスポーツだと認識していました。サッカーに携わっていれば世界に一番近い存在になれると思っていた。物心ついた時からヨーロッパに渡ってサッカー選手になるという夢を持ち続けていました。サッカーを始めて7年間くらいずっと夢をあたためて、英語の勉強も欠かしませんでした。ネイティブと同等に話せるくらいになって渡英しましたが、もし話せなかったらきつかったですね。40年前のイギリスで待ち受けていたのは人種差別で、英語ができたから反論もできたし、説明もできました。しばらくして仲間と認めてくれてからは受け入れてくれましたが、今でも心の奥底では差別というのはあります。日本人だって、現実的には他のアジア人を下に見る人もいますよね。でも、そうした経験は人権問題を考える礎になりました。差別の根源は無知。慣れればそういう意識はなくなります。だからこそサッカーを通じての国際交流は大切なのです。
無意識こそ悪。常に考えて動くべし。
――幸野さんの息子さん志有人(しゅうと)さんはプロサッカー選手として活躍中で、娘さんもおられますが、お子さん二人を育てるうえでどんな教育方針をお持ちでしたか。
できるだけ早い時期に好きなことを見つけること。早く見つければ、その分夢を実現するために準備ができる。僕は海外へ連れて行ったり、映画を観に行ったり、子どもに刺激を与えられるような時間を過ごしてきました。その中で、子どもがおもしろいと思うものと巡り合った。親は寄り添うだけで、あとは子どもが切り拓いていくものです。最初のきっかけを与えることです。
――志有人さんは12歳で家族を離れて福島のサッカーチームに所属されて寮生活。その後16歳でプロサッカーデビューを果たされました。ずいぶん早い時期に道を決められましたね。迷いなく送り出されました?
JFAアカデミー福島に行くことは本人が決めました。小さい頃からものすごく自我の強い子でした。もともとプロになりたいから、小学校卒業したら家を出てやっていきたいと言っていたんです。それはやはり僕を見てきたというのもあるし、自分で考えて親から離れて自立することがプロへの近道になると思ったのでしょう。実は、その前に6年生でアルゼンチンのボカ・ジュニアーズにスカウトされたけれど、海外でしたので母親が反対して行かなかったんです。福島なら長いキャンプに行くくらいの気持ちで行ったのでしょうね。当時、1期生でしたから想像力も働かなかったと思います。自分のことは自分で決めなさい、というのは僕が自分の父親から同じように言われて育ちました。
――それにしても12歳で寮生活、16歳でプロサッカー選手デビューという最年少のサッカーエリートコースに思います。親はどのような心構えが必要でしょう?
スペックだけ見ると確かに最年少ですし、どうしたらそうなれるのか?とよく聞かれます。サッカー流・星一徹のような英才スパルタ教育をしてきたのでは?と言われたり。実際はその真逆です。関わらないようにしてきました。究極の自立をしなければそこに到達できない。本にも書きましたが、子どもに失敗させることです。ほとんどの親は頭ではわかっていますが、例えば忘れ物をすると親が届けてしまう。親が、道を平らにしてしまう。そうすることは、子どもから考えることを奪っているのに、親は手を出していることすら無意識だから気づいていない。子どもに何か言う前に、今それを言うべきか考えることが必要です。
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