2019年1月に現役引退をするまで約30年間、2度も日本代表として選出され、ディフェンダーとして活躍。プロを目指した時から日々の練習を重ねるだけでなく、体のために食生活を変えることを意識してきた中澤選手。その知識と実践法を詰め込んだ一冊は心身を強くすることに貢献。ボンバー式「食トレ」についてじっくりお聞きしました。
中澤 佑二(なかざわ ゆうじ)
元日本代表プロサッカー選手現役時代は横浜F・マリノス所属ディフェンダー、背番号22。
1978年2月25日埼玉県生まれ。三郷工業技術高等学校卒業後に、ブラジルへサッカー留学。FCアメリカ(ブラジル)を経て、98年に現東京ヴェルディに練習生として加入。99年からプロ契約、同年Jリーグ新人王を獲得し、日本代表初招集。2000年シドニー五輪代表で不動のセンターバックとしてベスト8進出に貢献。02年横浜F・マリノスに移籍。04年JリーグMVP受賞。06年ドイツ、10年南アフリカW杯連続出場。10年の岡田体制では大会途中までキャプテンとしてチームをけん引。18年まで横浜F・マリノスで活躍。J1のフィールドプレーヤーでは歴代トップの178試合に連続フル出場記録をもつ。19年1月現役引退。Jリーグ功労選手賞受賞。著書に「下手くそ」(ダイヤモンド社)、「自分を動かす言葉」
(KKベストセラーズ)、「鉄人中澤佑二の食トレ」(ダイヤモンド社)など多数。
小6から始めたサッカー、中3でプロを目指す。
――「食トレ」おもしろく拝読させていただきました。強い体づくりのために取り入れてきた食について詳しく解説されていて改めてなるほど!と思いながら読み進めました。スポーツ選手だけでなく、コロナ禍での体づくりに貢献できそうです。子どもの頃はどんな食事を?
小・中・高は基本的に出されたものを食べていました。母も仕事をしていて共働き家庭。忙しく帰ってきて、さっとご飯を作るのでそれほど食事へのこだわりはありませんでした。僕は風邪をひきやすい虚弱体質で、怪我もしやすかった。身長は中3時で174-5cm。そこから高校で10センチ伸びて185cmになりました。体の大きさは小学生の頃、中の上くらい。急激に伸びたのは中学生から高校生にかけてで、これは牛乳のおかげ。それと早寝早起きだと思います。父は175、母は165、3つ上の兄は174-5cmくらい。僕だけデカイ。牛乳を飲むことと、一定の生活リズムを大切にしていたほか、特別なことはしていません。
――生活リズムは体づくりに大きく影響するのですね。炭酸飲料は飲まなかったとか。お酒も飲まれませんし、揚げ物も現役時代は避けられていたとか。凡人には難しいストイックさですが、周りの選手も食事に信念を貫かれていらした?
プロ選手にとって、食へのこだわりは今でこそ当たり前になりましたが、当時は好きなものを食べ、お酒も飲み、練習を頑張る…というスタンスの選手が多かったです。
僕はサッカーを始めた時期は小6から。プロになる人は大体が小学校低学年から始めますので4~5年遅い。相当時間を費やさないとその差は埋められない、と言われるくらいサッカーを始めた時期は大切です。僕は「プロのサッカー選手になる」と決めた中学の時から、練習をがんばると共に僕なりの食トレを始めました。自分でもいろいろ調べてみると甘い炭酸は体には良くない、だったら牛乳を飲んだ方がいいと。喉が渇いた時は牛乳か麦茶を飲むようにしました。
――食へのこだわりはギャップを埋める策でもあったのですね。6年生でサッカーを始めて3年後の中3でプロを目指すと決意されたのはダントツでうまかったからですか?
小学生の時は水泳も習っていたけれど、コーチがスパルタで怖くて辞めました。書道も通いましたが、すぐ飽きてしまった。毎日一緒に空き地で遊んでいた友達がサッカーを始めるというので、じゃあオレもやろうかなと。それがきっかけでした。友達に誘われたからで、自分から進んで…というわけではなかった。中学校でも部活動があまり好きでなかったんです。先輩後輩の関係が大変でしたし、あまり上手ではなかったので練習してもおもしろくなくて。練習も厳しくて、ただなんとなくでやっていましたが、中3で「プロサッカー選手になる」という目標ができてからは自発的に取り組むようになりました。
――とても意外ですが、中3で目標をもってからフルパワーだったのですね。小学生時代、サッカーを始める前は何か夢を持っていらした?
全然、何のイメージも目的もありませんでした。体を動かすことは好きでしたが勉強全般そんなに好きではなく、昭和の体罰がある時代で先生は怖いし、大人が怖かった。怒られる環境で育って、飛び抜けて何かをしたいというのはなかった。スポーツをしている時は目立っていましたが、それ以外は目立たない子でした。野球とか一通りスポーツは、放課後の校庭で遊んでやっていました。野球チームも地区にない田舎でしたからスポーツ全般盛んではなく、田んぼの中にある学校に通学するのは農家の子どもたちが大多数でした。
規則正しい時間に食事をするサイクルを。
――体にあまり良くないであろう飲み物は摂らず。しっかりご飯を食べ、食事の時間帯も法則をご自身で決めてこられた?
高校生の時は出された食事を食べていただけで当時は時間帯まではこだわらなかったですね。食事の時間帯はプロになってから決めました。僕が調べた限りでは、同じサイクルで生活をすることで体が覚える。要するに一定のリズムで食べると、いい流れができる。バラバラの生活時間帯で食事をすると、内臓もいつ消化すればいいのかわからなくなってしまう。常に一定の間隔で食べることですね。
――著書には51もの食べるべきものを紹介されていて即実践できます。コロナ禍の今、食トレ本の企画をされたきっかけは?
僕は食事について伝えたいことがいろいろあって、ちょうどそういった企画でお話もいただき、細か過ぎず専門的になり過ぎないものにしたいと思いました。細か過ぎると読み手が疲れてしまうので。食事はやはり、おいしく楽しくするもの。同じように、この本も楽しくさっと読める感じにしたいと。小中学生でもわかりやすく、手軽に読める本にしたかった。その想いがうまくマッチングして、作っていただきました。だいぶ注文をつけましたが(笑)。
――実体験に基づいた紹介で、管理栄養士さんの一言アドバイスもあってとても読みやすいです。お酒を飲まないのは体力維持につながっていますか?
肝臓でアルコールを分解するので、アルコールを摂ると肝臓が働き続けてしまう。分解するためにものすごくエネルギーを使うので、お酒を飲んでいる人は疲れが取れづらい。内臓が休まらないと筋肉も休まらないらしいので、内臓も寝ている間は休ませないとならないですから、食べてすぐ寝るのは内臓が動いた状態で寝ることになって結局体の疲れは取れない。消化活動がある程度収まってから眠る状態にして、筋肉だけでなく内臓も休ませないといけないので、就寝の最低2時間前に食事をすることを心がけました。怪我をしないこともアスリートの才能です。どんなにいい選手でも怪我をしてしまうと試合に出られない。
お酒は僕以外の家族は全員飲めますし、僕も飲める性質でしょうね。食前酒とか憧れはありますが、ペリエがあればそれで十分です。
――試合前は特にうどんを食べていたとか。これは炭水化物をスピーディーに摂取するためでしたか?引退後の食生活はいかがでしょうか?
そうですね。白米を食べ続けてもいいのですが、せっかくなので同じ栄養素でも違う食材で食べると飽きないですし、うどんなど麺類は消化が良くつるっと食べられるので試合前にはよくうどんを食べていました。
引退してからは、朝は食べても、昼と夜は仕事の都合でバラバラ。夜も遅くなったり。これが一週間続くと…ですが一日くらいなので順応しています。今朝は食パン、コーンポタージュ、ヨーグルト、フルーツ。引退してからは食はだいぶ緩くなって、家にある残り物、子どもが食べなかった野菜や余り物を食べています。プロの時は、ご飯がメイン。白米好きというのもありますが、僕にとってはパンはおやつのイメージ。間食、捕食として食べるのがパンで、メインは白米をしっかり食べるというのが僕の一番のルーティーンです。食べる量はだいぶ減りました。運動量が少ないので、食べる量も減らしていたら段々胃も小さくなりました。今は毎日走っていてサッカーの仕事がきた時に備えています。動けないのは困りますし…応援してくれる方のためにある程度体力を維持しておかないと。
ラクロス指導と普及に努め7年後オリンピックを目指す。
――お嬢さんお二人共ラクロスをされていて、今はその指導と普及に努められていると伺いました。女子への食アドバイスは違ってくるものですか?
基本は好き嫌いなく食べて、ですね。スナック菓子や菓子パンでお腹をいっぱいにしないように。食べてもいいけれど、しっかりご飯を食べられるだけのスペースを残しておくこと。僕は現役時代かなりうるさく食を考えていたので、子どもはそれを辛そうだと思っていたようです。好きなものだけを食べたいと言いますが、食生活をちゃんとしないと怪我にもつながってしまう。上を目指してトップへ行きたいなら、そういうこともやっていかないとならない。自分で判断しなさい、と伝えています。食について助言するのは実体験から。どのように続けるかは本人次第。娘には常にそう話しています。
――練習だけではなく、生活をトータルで考えないといけないのですね。子育てには、どのように関わってこられましたか?
子育てしながら自分も育ててきました。子どもは親のちょっとしたことを見ています。親の言動を真似しますし、だからこそ自分自身の言動も見つめ直さないといけない。言葉遣いや行動も含めてちゃんとしなくてはと思いましたね。僕は土日は家にいない分、平日は夕方から家にいる時間が長かったので子どもの面倒を楽しんでみてきました。子どもの頃、両親が働いていて留守でしたので、僕は子どもとなるべく一緒の時間を増やしてあげたいなと。公園で子どもの遊びを担当するのは僕の役目。親が楽しんでいる姿勢を子どもも薄々感じ取ってくれて、習い事はしない分、僕と一緒にいろんな遊びをしてきました。二人とも今のところ平和に暮らしています(笑)。長女は大学1年生、次女は高校2年生で親の手を離れ、もう大人です。娘たちはオリンピックを目指すというので僕はそれをサポートしたい。2028年のオリンピック競技になるかもしれないラクロスはアメリカが強いスポーツで、ロス五輪でオリンピック競技になる可能性があるという話です。どんな時代になるかわかりませんが希望は持ちたいです。
――中澤さんご自身がサッカー選手として子どもたちにその背中を見せてこられたのですね。
親の背中を見せること。それが一番子どもに効くと思います。子育ての本もいろいろ読みました。上の子が幼稚園生の頃「褒めて伸ばそう」という本が流行って実践してみました。何があっても叱ってはいけない。褒めて褒めて褒めまくれ…と。そうしたら子どもが図に乗って、いろんなことをやり始め…これはダメだろうと。それからは線を引いて、やっちゃいけないことはしっかり叱るようにしました。褒める時は褒めますが、叱る時は叱る。褒めて伸ばすのは、時と場合にもよると思います。何かを取っちゃう、隠す、嘘をつく…ことは褒めずに叱りました。人としてやってはいけない。パパもやらないことをやるのは、おかしくない?と話して聞かせましたね。そう諭す以上は、自分もちゃんとしなくては…。
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