陸前高田の木村屋さんが教えてくれた「100年」の復興

iRyota25

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おかし工房木村屋の木村昌之さんとお母さん。厨房のすてきな笑顔から「おいしい」がたくさん生み出される
おかし工房木村屋の木村昌之さんとお母さん。厨房のすてきな笑顔から「おいしい」がたくさん生み出される

今日と明日。数カ月後、数年後、そして100年後をつなぐもの

前から不思議で仕方なかったんですが、町に旅行で来てくれるお客さんたちが、みんな言ってくれるんです。「陸前高田っていいよね」って。どこがいいのか、自分たちにはよく分からないんだけど、けっこう皆さんそう言ってくれる。

震災の前ならね、まだ少しは理解できたでしょう。陸前高田の中でも気仙町・今泉あたりの町並みは、古い時代の雰囲気を残していましたからね。といって、いかにも保存された町という感じじゃなくて、古い建物が点在する中に普通に生活している人がいる。その雰囲気がとてもいいんだって、いろいろな方が言ってくれていました。

でも、津波でその古い町並みもなくなって、ご覧のとおり平地部にはほとんど何も残っていません。それなのに、震災後に来てくれた人たちも言ってくれるんです。「陸前高田っていいね」と。

よく分からないんですよ。町並みがなくなったのに、それでもいい町だと褒めてくれる。目には見えない何かなんですが、きっと大切なものがこの町にはあると、外からきた人たちが教えてくれるんです。

陸前高田には小中高と学校はあるけれど大学や専門学校はありません。高校を卒業した後は、自分もそうでしたが外に出て行く人が多かったんです。震災の前からずっとそうでした。

それでも、陸前高田らしい何かがずっと引き継がれてきたのだとしたら、それは何なのだろう。風土なのか人間なのか祭りなのか食べ物なのか…。外からきた人の言葉がきっかけになって、考えさせられることがたくさんあるのです。

自分は町づくりの会合にも出席していますが、何もなくなってしまったところから作っていく町は、土地や建物だけじゃなくて文化とか伝統とか、もちろんお祭りもそうだけど、陸前高田らしさを考えていかなければならないと思うんです。将来の主役である若い人たちやこどもたちとともに。

復興という言葉がいろいろな意味で言われますけど、そんな風に考えると、5年とか10年のスパンだけではなく、100年という目線で取り組んでいく仕事じゃないかな。

100年後にも引き継がれていく復興にしなければということを考えるんです。お菓子の話から始まって約2時間。深い話がずっと続いていたのだけれど、木村さんが笑顔で語った「100年」という言葉にまずガツンとやられた。100年ということは、世代をこえて伝え続けていくことなんだと気が付いて、あらためて、人がその町で生きていくことの意味を知らされた。ぐっときてしまった。

ひとつの町をほとんどゼロから再建しながら、100年を越えて伝えて行くべき何かを持っている。僕たちは同じ境遇に立った時に、陸前高田の木村さんのような言葉を語ることができるだろうか。

おいしさは夢のはじまり…

奇跡の一本松の近くから国道340号線・高田街道を内陸へ向かい、ほとんどの建物がなくなった景色の中を走っていくと、道はゆるやかな坂に差しかかり、左手に7匹のヤギのキャラクターが可愛い仮設商店街「栃ヶ沢ベース」が見えてくる。

目指す「おかし工房 木村屋」はここにある。震災の後、仮設店舗ができるまでの間、貨車を改造した厨房でお菓子作りを再開した様子は、アメリカのメディアを通じて世界中に伝えられた。

お店の入り口に掲げられた「おいしさは夢のはじまり…」というキャッチフレーズから想像していただける通り、話していると、菓子作りの専門家に徹している木村さんの人柄が沁みてくる。お菓子のこと、お菓子の材料のこと、材料を育む風土のこと、すべてに深くて優しい思い入れがある。そんなことを笑顔で話してくれる。でも話題はそれだけにとどまらない。

お店のこと。お店のビジョン、町の将来、町全体の復興、そして「100年」という話。

木村さんの笑顔は途絶えない。一連の話題はシームレスにつながっている。
お店の再生と町の復活が切れ目なくつながっている。そのつながりがずっと先まで続いている。小さなお菓子一個から、こどもたちに伝えていく100年の復興まで。

震災後の新メニュー「夢の樹バウム」
震災後の新メニュー「夢の樹バウム」
もちろんホールサイズでも販売
もちろんホールサイズでも販売
運が良ければ作成風景を見られるかも
運が良ければ作成風景を見られるかも
高田街道を竹駒方面へ向かう上り坂の途中の栃ヶ沢ベース。駐車場は左右両側にあります
高田街道を竹駒方面へ向かう上り坂の途中の栃ヶ沢ベース。駐車場は左右両側にあります

陸前高田市役所の仮設庁舎へ向かう坂道の途中にある栃ヶ沢ベースは、ほぼその近辺まで津波の被害を受けた最前線。でも今は、町の復活に向けてのベースキャンプみたいに坂の途中にたっている。

いまはまだ、ほとんど何もない陸前高田の町だけど、ここをベースにして町の再生に歩み出すんだという決意を、そのネーミングは物語っているように思えてならない。
可愛いヤギのキャラクターに「潮風に負けない」という特別な意味が込められているのと同じように、栃ヶ沢ベースは100年先に向けての決意の砦なんだ。

 おかし工房 木村屋
okashitsukasa-kimuraya.com  

おかし工房 木村屋

栃ヶ沢ベース

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●TEXT+PHOTO:井上良太

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