一本松に「恥を知れ」と言い放つこころ

iRyota25

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陸前高田といえば「奇跡の一本松」が有名だが、陸前高田市やその周辺に暮らす人たちの中には、実は一本松はをそれほどプラス評価していない人も少なくない。

来年公開予定、オール岩手体制で制作が進む復興動画プロジェクトのチラシにも一本松
来年公開予定、オール岩手体制で制作が進む復興動画プロジェクトのチラシにも一本松

とりあえず一本松で

来年2017年の春に中心市街地の一部オープンを控え、陸前高田ではさまざまな場所で将来の町づくりに関するミーティングやワークショップが開かれている。

県外の自治体からの応援職員やNPO関係者が多く参加したワークショップでは、こんなテーマが話し合われた。陸前高田の「何を」「誰に」「どのように」アピールして、これからの町づくりを盛り上げていくか——。

かなりざっくりしたテーマ設定だが、人口が2万人にも満たない上、現在でも人口減少が続く陸前高田の町の未来を支えるためには、外部からの観光客などの交流人口を増やしていかねばならないことは誰の目に見ても明か。ワークショップではどのテーブルでも、外部の人に来てもらうためのプランについて話し合われた。

陸前高田の町の魅力を再発見して、それをどのような具体的切り口でアピールするか。外から移り住んだ人たちはみんな、「最大のアピールポイントはひとだ」と強調した。たしかにこの町には魅力的な人がたくさんいる。しかし、東日本大震災で被災した東北沿岸部の広いエリアで、ほぼ同時進行で復興が進められ、どの町でも観光客誘致に力を入れていく中で、「魅力は人です」というだけで観光客に来てもらえるのか。リピーターになってもらえるのか。話し合いは紆余曲折をたどり、制限時間ギリギリになって飛び出したのは、

「じゃあいっそのこと、王道をとって一本松を起点に」という方針。

「とりあえず王道をとって」などという枕詞付きで一本松が取り上げられたというと、違和感もあるかもしれない。しかし陸前高田の人たち(市内出身、市外からの移住者含め)にとって、一本松は扱いの難しいシンボルであることは間違いないと思う。

「東北の小さな町に過ぎない陸前高田が全国区になったのは一本松のおかげ」と、西日本のある町から来た応援職員は語った。「この知名度を生かさない手はない」という言葉には、彼の出身自治体の課題、つまり人口減少への対策や観光客誘致が急務であるという危機感もにじんでいた。この課題は日本中の多くの地域に共通するもの。被災地の再興を実現する上でも、津波で破壊されたハードとしての町の復旧と同じくらい重要度は高いし、人口減少対策を前提として考えない限り、町の復活や再生はありえない。

「異論はあるだろうが、ここは王道をとって一本松を起点とした観光客誘致を強化していく」というとりあえずの結論に異論は出なかった(制限時間ギリギリだったということもあるが)。

一本松が震災復興のシンボルとして広く認知されているのは間違いない。陸前高田市のみならず、岩手県、さらには東北の復興を一目で示すアイコンとして、一本松はさまざまな場所で利用されている。それでも、一本松の地元には現在の一本松のありようを受け入れがたい感情もあることを知ってほしい。

ノベルティバッグにも一本松のワンポイント。アイコンとしての一本松はどんどん拡散していく
ノベルティバッグにも一本松のワンポイント。アイコンとしての一本松はどんどん拡散していく

一本松なんか、オレ見たことないから

町の商工業者を中心に、復興の先人である神戸からゲスト講師を招いて開催されたワークショップでは、さらに厳しい言葉が飛び出した。

グループディスカッションでのテーマは、先に紹介したワークショップとほぼ同じで、新しい陸前高田の町に地域外から誘客するための具体的なプランというもの。

議論に参加させてもらったグループでは、一本松に視察や観光に訪れる多くの人たちをどうすれば市内に招き入れることができるかが大きなテーマになった。たしかに一本松には多くの人がやってくる。土日祝日はもちろん、春夏秋冬季節を問わず平日でも相当の人が一本松を見に来てくれるが、観光バスでやってきて一本松を見学した後はそのままバスで次の目的地、たとえば南三陸の防災庁舎や宮古の浄土ヶ浜、さらには平泉に向かうケースが多い。せっかく陸前高田に来ても、町なかを訪れる人はその何分の一いることやら。

「一本松を見に行ったからって、あそこでいったい何を感じれるというの?」

商店主の1人からそんな意見が飛び出した。地元出身以外の参加者は言葉をなくした。たしかに、モニュメントとしての一本松の他には何もなくなった荒涼たる風景は、津波の威力の大きさを感じさせるが、それはあくまでも、かつてこの場所に7万本もの松並木と白い砂浜が広がっており、たくさんの人たちの思い出の場所であったという「情報」を介しての間接的な感想でしかない。

「オレはさ、松が死んでしまってからは一本松なんか一度も見たことないもんね」

お客さんや知り合いを連れて陸前高田を案内することはよくあるが、一本松には行かない。行かないだけでなく、視界の端っこにも入れないようにしているという、静かだが過激な言葉だった。

すると別の商店主も語り始めた。

「店にくるお客さんの中には一本松を見てきました!って言う人もいるけどさ、オレは自分の考えを伝えるようにしているんだ。一本松は恥を知れって。7万の仲間が死に絶えた後、息も絶え絶えで生き残ったってだけでも、もしもオレが松だったら腹を切る。松原があっての松なんだから。自分だけ生き延びるなんて潔くない。その上、土地の塩を抜いてもらったり、矢板を差してもらったり、手厚く手当を受けたのに結局生き延びることすらできなかった。その上だ、死んだ後もモニュメントとして体を晒している。オレは声を大にして言いたいね、一本松は恥を知れ。一本松は腹を切れ。っていつも言ってるわけだけど」

「私たちは一本松を見にきてほしいんじゃない。見てほしいのは人。現在の陸前高田を見れば、町がどれだけの被害を受けたかなんて、誰だって一目で分かるでしょう。それでも、この町には再生するんだってがんばってる人がたくさんいる。そんな人をこそ見てほしい」

2016年秋、気仙川対岸からの一本松
2016年秋、気仙川対岸からの一本松

「たとえ死んだ後に人工的な処理をされたモニュメントでも、一本松があるからこそたくさんの人が陸前高田にやってきてくれるのは事実。一本松に対する感情はいったん措いて、一本松まで来てくれる観光客をどうやって町なかにも来てもらうようにするかが大切なのでは」

そんな意見もあった。いや、一本松に対して否定的な考えを語った人たちも「いかに多くの人に来てもらうか」という意識は共通している。来年3月には中心市街地の一部施設がオープンするなど町が再生に向けて大きく動き始めている中、陸前高田をにぎわいのある町にするために何をすべきなのか、その思いが切実であるからこそ、一本松による集客だけではダメだという意識が過激な言葉につながったのだと思う。

奇跡の一本松というシンボルがかすんでしまうくらい魅力あふれる陸前高田への道。新しい施設のオープンはそのスタートだ。町は人と人のつながりでできている。町をつくっていく人たちにこれからも注目していきたい。微力なりとも働きかけを続けて行きたいと考えている。

海から見た一本松
 海から見た一本松
potaru.com
陸前高田の新しい町への動きを目の当たりにできる場所
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potaru.com

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