連凧が舞い上がっていく空に浮かぶ雲。まるで吸い込まれるように上っていく凧を見ていると、この日、このとき空に浮かんだその雲が特別なものに思えてくる。
今年は3月11日に行われた天旗(気仙天旗 仙風会「天旗祈願祭」)。被災した大地と空とを2025枚の連凧でつないだ様子を写真集として紹介。
古川沼、松林だった場所に立つ防潮堤、そして海
津波被災地を再生するための工事が進む陸前高田市。7年前のあの日、津波に被われた大地は埋め立てられ、かつての市街地のほとんどが失われている。工事の影響で国道ですら頻繁に付け替えられる。
今年の天旗の会場になったのは防潮堤の上。集合場所は古川沼のほとり。松原とかつて市街地の間に広がる古川沼では、この日も捜索活動が行われていた。つまり——、まだ発見されていない人が眠っているかもしれない場所だ。
集合場所から西側を見ると、古川沼の対岸に震災遺構として残されるタピック45の三角形の建物や、赤い看板の上に津波到達点が示されているガソリンスタンドが見える。
凧揚げ参加者はヘルメット着用。ふだんは立入禁止の工事現場だからだ。
長いスロープを登っていった先、防潮堤の頂上には、連凧が箱に収められてすでにセットされていた。
陸前高田市の観光大使「たかたのゆめちゃん」も登場。鮮やかなピンクや水色、黄色の服が定番のゆめちゃん。この日のお召し物は。
黙祷に続いて凧が空に舞い上がる。またたく間に空いっぱいに連凧が舞う。
連凧を揚げながらのスナップ。糸巻きを持つ手に風の重さを感じる。
空にある思い。陸にある思い
凧は舞う。
空を舞う凧の姿は風の造形。
空を舞う凧は空と陸とをつなぐ思いがかたちづくる造形。
凧揚げ会場から、反時計回りにぐるりと撮影した。
古川沼、防潮堤、松の植栽が行われている砂地、再生のために遠い場所から砂が運び込まれている浜辺、海。
強風にも関わらず今日は静かな広田湾、ふたたび防潮堤、そして古川沼。沼のほとりには捜索活動を行った大船渡警察署の車両も見える。
凧を繰り出すのは市内外から集まったボランティア。震災後ずっとこの地を訪ね続けて来た若者がいる。今年に入ってからだけでも4回やってきた大学生もいる。
凧は舞う。龍がごとくに空を舞う
気仙地域で亡くなられた方の数だけ揚げられた凧。初回から参加しているというベテランが強風の中で教えてくれる。今年はたぶんこれまでで最も順調だ。これまでには、ほとんど揚げられないこともあった。風が強過ぎて失敗したこともあった。すべての凧を揚げられたのは去年に続いて二度目ではないか。
そんな言葉を聞いて凧揚げの糸を掴んでいると、空の上から凧の声が聞こえてくる。
凧の声に耳を澄ませてほしい。
テレビのリポーターも興奮気味。
天に昇ろうとする龍のようにも思えてくる。
強風のあまり、揚げ手を放れて飛去った連凧もあったが、古川沼のほとりに糸巻きが着地。警備の人が糸巻きを手に凧揚げ会場まで凧を連れて上がってきてくれた。拍手が起きる。
天旗は陸前高田のシンボル
たくさんの龍が空を舞う。
たくさんの龍が人と人をむすぶ。
いまここにいる人と、天に昇った人たちと
そしてまた、いまここにいる人たちとを。
凧が空を舞ったのはどれくらいの時間だったろうか。
すべての出来事に終わりがあるように、今年の天旗もやがて回収されていった。
箱に収められた連凧を抱えて撤収する人の姿がある中、じっと海を見つめている人の横顔もあった。神戸から何度も訪れてきた彼女は何を思うのか。
凧も人もいなくなった防潮堤。
空は、海は、何を思うのか。
「ありがとうございました」
気仙天旗 仙風会会長の佐藤博さん、そしてスタッフのみなさんは深々と頭を下げて、参加者ひとりひとりにお礼を言った。
「ありがとうございました」
参加者は深々と頭を下げて、佐藤さんやスタッフの人たちにお礼を言った。
すべてのことには終わりがある。人間の人生も含めてだ。それでも引き継がれていくものがある。つながることで継がれていくものがある。たぶんそれが命というもの。
陸前高田は天旗の地。このまちのいまと未来を連凧が象徴している。
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