今回で3度目の訪問。大川小学校はいつ来ても風が吹き寒く感じます。
校庭に面した円形の教室は、柱だけ残っており、風が通り抜けていきます。
見て分かる通り、大川小学校はとてもモダンな設計の校舎です。
そのため、今まで校庭に面した部分はガラス張りになっていて、だから簡単に津波で流されてしまったのだと思い込んでいました。
しかし、地面をよく見ると壁が津波で引きちぎられている跡があります。
壁をもぶち破るような津波が、そこにいた人たちを襲ったということが分かります。
天井を見るとボードが剥がれ落ち、鉄の骨組みが見えます。
津波が天井も越えて、ボードを引きはがしていったことが分かります。
子供たちが何か拾っているので見ると、ガラスやレンガで、そこらじゅうにカケラが落ちていました。
気づかずに歩いてたけれど、校庭だった場所には、震災前はなかったはずの校舎のカケラが6年たった今も残っていました。
ひしゃげている倒れたこのコンクリート。
壁画を見ると体育館と校舎をつなぐ廊下でした。
先生を信じて、校庭で寒さと恐怖中で50分間待機していた子どもたちのことを想像すると、「怖かっただろうな」「苦しかっただろうな」と、遣る瀬無い気持ちになります。
大川小学校の事故は、学校に行けば安全という、自分の中での暗黙の前提が崩れる出来事でした。
出会い
大川小を発つためバスに乗り込もうとしたとき、2人の男性から声をかけられました。
「遺族のものですが、良ければ冊子をどうぞ」
差し出されたのは『小さな命の意味を考える』と書かれた冊子でした。
この二人の男性は、震災で娘さんを亡くされた佐藤敏郎さんと、教師だった父親を亡くされた佐々木奏太さんでした。
語り部さんの話し
小さな命の意味を考える会の代表である佐藤敏郎さんと出会ったことを知った語り部の方が、佐藤さんのお話をしてくれました。
「安全であるはずの学校で、子供たちがこんな亡くなり方をするのはおかしい。二度とこういうことがおきないよう声を上げていく。」との思いから、小さな命の意味を考える会を作られたということが印象的でした。
娘は。。。
一緒に行った娘が、帰ってから東北の絵を1枚描きまた。
まどがらすがいっぱいおちてたよ
おおかわしょうがっこう
ももか
娘の絵
思いを言葉に表すことが苦手のようだったけれど、この真っ暗な学校が、この地で彼女が感じたことだったのだと思います。
感想
今回小さな子供たちを連れての旅でしたが、子どもたちなりにいろいろ感じていたと思います。
こうやって一緒に現地で感じることで、防災に対しての意識を育んでいけるのではないかと思います。
そして、いざというときに「逃げよう」と声をあげて、周りのみんなを動かしていくのだと思いました。
被災地を見ていくなかで、安全かを勝手に判断せずまず逃げることが、とても大切なことだと思いました。
怖さを風化させないことで、地震が起きた時にいろいろな危険性を認識して、行動できるように、大川小の出来事は伝えていく必要があると思います。
被災地を実際に見ると本当に震災の恐ろしさ、自然災害は甘くないということを感じられると思います。ぜひ、足を運んで感じてください。
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