【シリーズ・この人に聞く!第46回】英語堪能な演技派 期待の新人女優 穂のかさん

kodonara

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2009年6月公開の日米韓合作映画「The Harimaya Bridgeはりまや橋」でデビュー。知的障害のある中学生役を好演して一躍話題になりました。そして10月末に公開された映画「アンを探して」では、見事主役の座を勝ち取り熱演。とんねるず石橋貴明さんを父にもち、幼少期から芸能界は身近な世界。今、好きな仕事に就けて夢中な穂のかさんに、新作に賭けた意気込みをお聞きしました。

穂のか(ほのか)

1989年東京都生まれ。小学校4年から6年までハワイに留学。その後日本のインターナショナルスクールに進学し、中学2年の時に一般の中学に転校。08年より、イメージポスターやCMなどで芸能活動開始。父の名前をふせてオーディションを受け「The Harimaya Bridge はりやま橋」で女優デビュー。

ハワイでの留学経験が語学の土台に

――穂のかさんは先日20歳になったばかりですが、英会話ができる強みをお仕事でさっそく活かしてらっしゃるようで素晴らしい。2年半ハワイへ留学されたとか?

日本語も英語も堪能な家庭教師のお姉さんと遊ぶうちに英語を習得した

日本語も英語も堪能な家庭教師のお姉さんと遊ぶうちに英語を習得した

小4から2年半、母と二人でハワイに移住して現地校へ通いました。英語なんてアルファベットの小文字も書けないくらい丸きりわからない状態で。学校では皆が普通に英語を話し、「ハロー、マイネームイズ ホノカ」と自己紹介しても、その後の会話が続かない(笑)。すごくジレンマがありました。学校から帰ってきて毎日泣いていたと、母に聞きました。

――英語がわからない、その状況をどうやって克服されましたか?

とにかく現地の学校でしたので英語を話すしかなかったので、母が英語も日本語も話せる家庭教師の先生をつけてくれました。ただ勉強を見てもらうのではなく、一緒に買い物をしに行ったり、遊びに行ったりする中で英語を話すことに慣れていきました。脳味噌も柔らかい時代でしたから。

――その年齢で英語漬けの2年半を経て、日本に戻ってこられたんですね?

小6の途中で、帰国して横浜のインターナショナルスクールへ転入しました。中1からは都内のインターナショナルスクールへ。インターの生徒ってパッと見で強烈な個性を放っているのですぐわかります。そして、なんとなく日本の学校がいいなと思って、中2から日本の学校に転校しました。

――女優をやりたいと思い始めたのはいつ頃からで? お父様の石橋貴明さんがテレビで活躍されていたのを見てお育ちになったと思いますけれど。

芸能界が好き嫌いとか、タレントになりたいなりたくないという以前に、物心ついた頃から自分も同じように(芸能界に)入るんだろうなと漠然と思っていました。幼稚園の頃、将来何になりたい?と聞かれ、周りのお友達はお医者さん、お花屋さん、保母さん……と言っていましたが、私にとってはそういう職業のほうが現実味はなかったんです。

転んでも起き上がれることを教えてくれた母

――習い事はどんなことをされてきましたか?

ハワイでのハロウィーン。お姫様風なコスチュームに身を包みメイクもばっちり

ハワイでのハロウィーン。お姫様風なコスチュームに身を包みメイクもばっちり

赤ちゃん時代に母に連れられて、「スーパー赤ちゃん塾」みたいなところにも行きましたね。パッと紙を見せられて点が何個あったか?と答えるような。ハワイ在住の頃はピアノを少し。帰国して小6時代からダンスにはまって、当時住んでいた横浜から、スタジオのある東京・飯倉まで母の車で送迎してもらいながら、ほぼ毎日通っていました。

――ダンスを始められたのには何かきっかけが?

(c)2009 Zuno Films グランジュテ シネカノン有楽町1丁目ほか 全国順次公開中

(c)2009 Zuno Films グランジュテ シネカノン有楽町1丁目ほか 全国順次公開中

帰国してから母と銭湯に行った時、たまたまそこへダンス教室の先生が来ていたんですね。それで何を思ってか、「この子には絶対ダンスをさせなさい!」と言われ。それで通い始めたのですが、もう楽しくってしょうがない。ジャズダンスにどっぷりはまってしまいました(笑)。それから、中学3年生の頃、歌を習おうと思って先生について習いました。ギターも習ったり。

――芸能界で生きていこう!と基礎をしっかり固められていたんですね。

いえ、それが私、どこにいっても言われるのですが「器用貧乏」で。一番最初は、結構できちゃうのですが、すごく褒められて「あ、簡単だ」と思ってそれ以上にはなれない。結局何も身についていない。どれもけっして無駄にはなっていませんが、特技として言えるものになっていないんです(笑)。

――今、女優として続けていることってありますか?

映画やDVDをとにかく見ることです。1年に120本の作品を観ると決めていて、昨年の8月は1カ月ロケで見られなかったのでペースダウンしましたが、1カ月10本のペース。今年は今日で99本。一人暮らしを始めたので、集中して映画鑑賞もできるようになりました。

――20歳になったから自立、ということなのかもしれませんが、お母さんにとってもちょっぴり寂しいですね。お母さんはどんなことを教えてくれた存在ですか?

転ばないように世話する親ではなく、転んでも起き上がれることを教えてくれた素敵な母です。ダメなことも、やってはいけないことも、とりあえずやりたければやってみればいいという方針。やってみて自分でダメだと気付いて反省すればいいと。「穂のかがそれをやりたいと、正しいと思うならやっていいよ」と。だから周りの人に「よく、ぐれなかったね」と言われるのですが、すべて母のおかげです。本当に自由にさせてもらいました。父がいなかった分、母は父の役目半分、私も父の役目を半分で、お互いに支え合ってきました。一心同体のような存在。でも、私も二十歳になったので、お互いに親離れ子離れの時期だと思って一人暮らしを始めました。

初主演は人間愛に満ちた珠玉の物語

――新しい作品「アンを探して」の主演も見事オーディションで勝ち取りました。インターネットのカメラを通じての面接だったそうですね。

(c)2009 Zuno Films グランジュテ シネカノン有楽町1丁目ほか 全国順次公開中

(c)2009 Zuno Films グランジュテ シネカノン有楽町1丁目ほか 全国順次公開中

オーディションも2度目でしたし、インターネットのカメラを通じて面接をするのも初めてで全然うまくいかなかったと思いました。それでも合格できて本当にうれしかったです。それから2日後に衣装合わせがあって、私なりにイメージした「杏里」の衣装を着て行ったんですね。そうしたら監督が「そう!そういうイメージよ!」とピンときてくださった。実際の映画でも持参した私物がいくつか登場しています(笑)。

――自分のアイデアを踏まえて伝えられるのはすごく大切ですよね。それってハワイ生活が土台なのでしょうか。

(c)2009 Zuno Films グランジュテ シネカノン有楽町1丁目ほか 全国順次公開中

(c)2009 Zuno Films グランジュテ シネカノン有楽町1丁目ほか 全国順次公開中

いえ、私の場合はもともとのキャラクターだと思います。よく「留学してた?」と聞かれますが、さほど関係ないようです。小さな頃からあまり変わっていない。集団生活があまり得意ではないというか。落ちこぼれ(笑)。

――与えられたことをソツなくハイハイとこなせるアイドルもいますが、女優さんてやっぱり個性的でないとできないことですもんね。

そうですね。私は、きっとアイドルには向いていない(笑)。疑問に思うことは納得いくまで聞くタイプです。

――どんな仕事をするにしても、それって大切なポイントですよね。今回の作品では、どんなところが見どころですか?

脚本が素晴らしくて、派手なシーンはないのですが、一人の女の子の成長物語がみえる作品です。どんな気分の時に見ても、きっと心地よく見れる映画です。撮影場所のプリンス・エドワード島がとても美しい所でしたので、どの場面も絵になり、そのビジュアルにマッチするあたたかい内容です。そして、17歳の杏里をはじめ、登場人物が20代から60代の女性まで幅広いので、見る人の世代によって感情移入する役が違うかもしれません。

――女性の生き方、年齢層によっての感じ方の違いっておもしろいですね。

私は脚本をもらってから、主人公の17歳の杏里が純粋で、かわいくてかわいくて仕方なくて。きっと「赤毛のアン」を知らない人でも、この作品のおもしろさをすぐ理解していただけると思います。
撮影終了後に4日間だけNYに遊びに行ったのですが、そこで鏡を見て自分の顔が「あれ?私の顔に戻ってる?」と気づきました(笑)。杏里役にどっぷりはまっていたのが、やっと溶けて素に戻ったというか。

――それだけ女優魂が燃えたということですね!では最後に、穂のかさん初主演作品をたくさんの方にご覧いただくためにメッセージをどうぞ。

初の主演作品で至らぬ点もありますが、その時もっている力を120%出して演じました。脚本が素晴らしいのをはじめ、演じている役者さんもスタッフも素敵ですし、音楽、映像、すべて美しくて心がほっこりとなれる映画です。ぜひご覧になってください。

編集後記

――ありがとうございました!本当にお母様想いで、まだ二十歳になったばかりなのに、なんて親孝行なんでしょう!有名人の父をもち、ご両親の離婚によって踏み込まれたくない母子生活もとやかく言われた時代があったかもしれません。喜びも悲しみも、親子二人三脚だったからこそ乗り越えられたのではないでしょうか。親を敬う気持ちを素直に表現できる穂のかさん、女優さんとしてこれからますます目が離せない存在です。

取材・文/マザール あべみちこ

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