【シリーズ・この人に聞く!第119回】ウクレレミュージシャン 高木ブーさん

kodonara

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「8時だョ!全員集合」でドリフターズの一員として不動の地位を築いた高木ブーさん。歴史をひも解けば、バンド活動をスタートし、ビートルズ来日の際は武道館で前座を務めたプロ中のプロ。現在はウクレレミュージシャンとしてCDリリースやライブ活動など行う82歳。昭和のよき時代を振り返りながら現在まで、ブー的生き方の真髄に迫りました。

高木 ブー(たかぎ ぶー)

1933年、東京都豊島区巣鴨生まれ。中央大学在学時よりハワイアンバンドに参加。卒業と同時に「高木智之とハロナ・セレナーダス」を結成。64年、「ザ・ドリフターズ」に参加。66年、来日したビートルズと武道館で共演する。69年に始まった『8時だョ!全員集合』をはじめとするテレビ番組で一世を風靡する。96年、ハワイアンバンド「高木ブーとニュー・ハロナ」を結成。CDリリースやライブ活動を行うほか、NHK教育テレビでウクレレの講師を務めるなど、多方面で活躍中。著書に「第5の男」(朝日新聞出版社)がある。本名・高木友之助。

15歳でもらったウクレレの虜に。

――いまやウクレレ奏者としてご活躍ですが、そもそもブーさんはお笑いの世界ではなく音楽活動がスタートでしたね?

ロカビリーのギターリスト(写真中央)として活躍していた頃。

ロカビリーのギターリスト(写真中央)として活躍していた頃。

15歳の誕生日に兄からウクレレをプレゼントされたのをきっかけに独学で勉強しました。当時は本も楽譜もなかったからレコードを聴きながら音楽を覚えて。買ってきてくれた兄はハワイアンのファンでプレゼントしてくれたようです。

――戦争を超えて大変な幼少期を過ごされて12歳で終戦を迎えられて。6人きょうだいの末っ子でしたね。

中学校時代のスリムなブーさん。頬のあたりに面影が...。

中学校時代のスリムなブーさん。頬のあたりに面影が...。

上に兄3人、姉2人がいます。僕はすぐ上の兄とも8歳年齢が離れていたので、きょうだいと遊んだよりも両親と一緒にいた記憶のほうが多いんです。家族皆からとてもかわいがられました。戦争があったので幼少期の思い出は東京大空襲ですべて焼失。小3で戦争が始まり中1で終戦を迎えました。千葉の柏に母の実家がありましたが、そこに疎開した途端に終戦。でも帰りたい家は全焼してないですし、中学校が再開する頃は戦後混乱期で、千葉の柏から、東京の日暮里まで汽車に乗って通っていました。

――高校、大学とずっとウクレレにはまってバンド活動。プロのミュージシャンとしていくつかのバンドを経てドリフターズへ?

ドリフターズにメンバーとして加入したのは1963年(昭和39年)9月16日です。ギター担当の欠員ができたところ、当時の3代目リーダー・いかりや長さんが声を掛けてくれました。より給料のいいところ、条件のいいところへとバンドを移籍するのは珍しくない話でした。まだ生まれて間もない娘がいたので、長さんから「お宅は母乳ですか?」と聞かれ、「うちはミルクで、結構ミルク代がかかるんです」と給料のベースアップを暗に希望する私の真意が通じてか、当時5000円アップでの移籍となりました。当時としてはかなりの高級取りです。著書にも『ミルク談義』として載っています。

――ドリフターズではどんな音楽を演奏されていたのですか?

ロカビリー(ロック)です。僕はギターを弾いていました。当時ブレイクしていたクレイジーキャッツはジャズ。ジャズ喫茶という場がバンドのステージで昼は午後1時から6時。夜は6時から10時まで。各時間帯に2バンドが30分ごとのステージで出演していました。今は無きあの伝説のアシベを中心に池袋、銀座、横浜…とたくさんのジャズ喫茶で演奏していました。

音楽の実力があってお笑いもできるドリフターズ。

――ビートルズ来日の際はドリフターズが前座を務めたというのもすごい歴史で、なぜバンドからお笑いへと移行したのか興味があります。

こぶ茶バンドとして今なお活動する3人。

こぶ茶バンドとして今なお活動する3人。

長さんが声を掛けてくれたのは僕にギターの実力があると買ってくれたのだと思っていて、ある時聞いてみたら「見てくれだよ」と。音楽性よりもビジュアルのインパクト重視で、テレビの時代になることを予測していたの。でも長さんは根がまじめだから笑いに対する姿勢も厳しかった。お手本はクレイジーキャッツ。ドリフは先見の明からか、音楽性よりも笑いを重視するグループになっていた。ビートルズの前座は最初、30分の予定がどんどん削られて1分の持ち時間。武道館を埋め尽くすお客さんが待ち焦がれているビートルズの前に、僕らが表れて皆ズッコケていました(笑)。

――ドリフターズもメンバーチェンジが何度かあったと聞きましたが…。

最愛の一人娘かおるさんと2ショット。

最愛の一人娘かおるさんと2ショット。

いかりや長介さん、荒井注、加藤茶、仲本工事、高木ブーの5人は第6期のドリフターズです。
年齢的には荒井さんが長さんより2つ上で最年長でしたが、長さんリーダーで何となくそれはマズイということで若干年齢も偽っていた。僕は長さんより2つ下で、加藤と仲本は10歳下。荒井さんが抜けてから新メンバーになった志村けんはさらに10歳下でしたからメンバー集まっても喧嘩にならなかったんですよ。

――スタジオ撮りの生放送でなく、観客のいる舞台。あの頃、観覧に行くかテレビで観るかしかなく、観覧席に憧れたものです。

ディレクターと放送作家と僕らメンバー5人の7人で木曜会議して、翌週土曜日のネタ決めして台本作り。金曜日にスタジオで立ち稽古。土曜日に本番。日曜日から水曜日は地方巡業。正月は有楽町の日劇で10日間公演、ゴールデンウィークは浅草の国際劇場とその時だけやむを得ず録画でしたけれどね。あれはすべてシナリオがあって演じていました。アドリブはほとんどなし。そうでないと時間内に終わらないので。タイムキーパーには常に巻かれていました。舞台には僕ら5人が出演していた一方で、あれを支えてくれているスタッフは総勢200名くらいが舞台裏にいた。大道具、小道具、美術、照明、放送作家、ディレクター、プロデューサー、メーク、衣装、ゲストのマネージャーや、坊やと呼ぶアシスタント…すごい人数でした。

――インターネットのない時代に全部アナログで作りあげてきたのですからすごいです。視聴率55%と言われたこともありますね。

69年10月に「8時だョ!全員集合」が放送開始して高視聴率で人気は天井知らずでした。他のメンバーはどういう心境だったかわからないけれど、僕は「こうなったらどうにでもなれ。行けるところまで流されて行こう。そのうちどこかに流れ着くだろう」という気持ちでした。はっきりした決意なんてありませんでしたが、流れに身を任せてきていましたから。ただし忙しくて家にいることがなかった。娘のことも妻に任せきりで自由に育ったと思います。学校行事などは一切行けず、娘の高校卒業式にようやく式典参列できました。

人生は運と、実力と、チャンス。

――ブーさんはウクレレ奏者としてアルバムを出したり、ライブ開催したり、通信講座の先生としても活躍されています。ウクレレ上達のポイントは何ですか?

ウクレレの神様ならぬカミナリ様、高木ブーが贈る初めてのベストセレクションアルバム『Life is Boo-tiful』!

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ポイントは3つ。1. コードを押さえているか。2. 音が出ているか。3. リズムの取り方。1日5分は楽器に触ってほしい。コードを覚えるために形から入るのです。3コードで1曲弾けるものですから。

――ブーさん的生き方はちょっと脱力、淡々としているから疲れずに息長く何事も続けられるように思います。

僕の人生訓は「人生は運と実力とチャンス」。この3つの要素が合わさって、初めて道が開けるし、一流になれると思う。実力がなければ持ち上げられてもすぐに消えてしまうし、チャンスが巡ってこなければ日の目を見ることもない。そこには運という要素も必要だ。僕はこの3つが一緒になって巡って来る瞬間を見つけるのが比較的上手だったのかもしれない。誰でも何かの才能をもっている。今、くすぶっている人は、まだ3つの要素のどれかを見つけられていないだけ。少し肩の力を抜いてぼーっとしてみよう。今までとちょっとだけ違う見方をすることで、何かが変わるかもしれない。

――ブーさんの場合はドリフターズでは中心的存在ではないけれど、なくてはならない存在でした。

ドリフターズでの僕のポジションは「第5の男」。僕自身それ以上を望まなかったし、5番目の僕がいるからこそ他の4人が安心できる面があるはず、と考えてきた。どこにでもいるような人間、でも、どこの世界でもしんがりを務める人物。それが「高木ブー」なのではないかなぁ?

――なんだか幸せな気分になりますね~。では最後に10歳までの子どもを育てる親たちに何かメッセージをお願いします。

子どもにきっかけを与えることはだいじ。でも基本は本人の気持ち次第。子どもが選択するものですから、自由にさせていいんじゃないですか?たまたま僕は15歳の時にウクレレをもらったことがきっかけになって今に至ります。そういう出会いがあって幸せでした。

編集後記

――ありがとうございました!ブーさんの生き方は、深い学びがたくさん詰まっています。時代に寄り添って抗わずに、その時与えられた場所で自分の役割を淡々と務めること。これって誰もができそうでいて、なかなかできないことです。お話をしている時も暖かな陽だまりにいるような心地よさでした。どうかいつまでもお元気で、皆をハワイアンの音楽とブーさんの存在感で癒してください。

取材・文/マザール あべみちこ

活動インフォメーション

『Life is Boo-tiful ~高木ブーベストコレクション』、オーダーメイドファクトリーにて発売中。
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www.sonymusic.co.jp  

オーダーメイドファクトリーのみの「スペシャル企画商品」です! ハワイアンブームの元祖、ウクレレのカミナリ様・高木ブーが贈る初めてのベストセレクションアルバムは、その名も、『Life is Boo-tiful』!ソニーミュージックでリリースされたシングル、アルバムから全18曲(予定)をセレクトします。 ハワイアンの定番曲から、ビートルズやエリック・クラプトンのハワイアンカヴァー、吉田拓郎作曲によるオリジナルシングルまで、ブーさんのウクレレテクニックとその美声を存分にお楽しみください。

『第5の男』
 『第5の男』
www.amazon.co.jp  

高木 ブー 著  朝日新聞社
定価 1,512円(税込)
発売日 2003/5/17

運と実力とチャンスを信じてここまで来ることができた!「肩に力を入れずに、楽なほうへ、楽なほうへと流されて生きる。それはそれで居心地がいい生き方なんじゃないだろうか」ご存じ、ザ・ドリフターズの雷様が伝授する、お気楽かつ幸せな「高木ブー的生き方」。

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