【シリーズ・この人に聞く!第80回】10月14日初の武道館コンサートを開催 海を感じる音楽デュオ キマグレンさん

kodonara

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夏の歌はたくさんありますが、のびやかな歌声と奏でるメロディはうたた寝したくなる心地よさ。まるで海辺の風のような音楽ユニット、キマグレン。それもそのはず、神奈川県逗子市に海の家「音霊 OTODAMA SEA STUDIO」を夏季限定で運営。自然体で自由気ままに音楽活動を楽しみつつ努力を惜しまないお二人にこれまでとこれからを伺いました。

キマグレン

逗子育ちの幼なじみであるISEKI(Vo.&G.)とKUREI(Vo.)の2人組。2005年、逗子海岸で海の家ライブハウス(現「音霊 OTODAMA SEA STUDIO」)を立ち上げる中で結成。LOVE+LIFE+LOCALという3つの「L」をテーマに、多彩な音楽性をミックスしながらJ-POPを目指す。2008年、ユニバーサルシグマよりメジャー・デビュー。2ndシングル「LIFE」がCMに起用され、大ヒットに。2008年の紅白歌合戦に初出場し、神奈川観光親善大使も務めた。2012年6月6日に10thシングル『バトン』を、7月11日にベスト・アルバム『ON THE BEACH~きまぐれBEST~』をリリース。10月14日初の日本武道館公演が決定!

 キマグレン Official Site
www.kimaguren.com  
 ISEKI (Vo.&G.)
iseking.net  

逗子で生まれてすぐシンガポールに引越すも、幼稚園からはずっと逗子で生活。1996年に地元のスイミングスクールにてKUREIと出会う。1998年度のHOTWAVE(横浜スタジアム)コンクールにて、最優秀ボーカル賞受賞。大学時代より本格的にバンド活動をスタートし、いくつかのバンドで活動。2005年にKUREIに声をかけられて、逗子海岸に海の家ライブハウス(現「音霊OTODAMA SEA STUDIO」)を発足。同年キマグレン結成。
影響を受けたミュージシャン: CHAGE & ASKA、山下達郎、ORIGINAL LOVE、Eagles

 KUREI (Vo.)
www.kureiyuki.com  

クレイ勇輝。新潟で生まれてすぐ逗子に引越す。幼少時をカナダ、ヨーロッパで過ごし、中学時代はタスマニアに留学。1996年に地元のスイミングスクールにてISEKIと出会う。高校時代にバンド活動スタート。大学時代はニューヨークとハワイで生活し、日本に帰国後会社員として過ごす。2005年にISEKIに声をかけ、逗子海岸に海の家ライブハウス(現「音霊 OTODAMA SEA STUDIO」)を発足。同年キマグレン結成。
影響を受けたミュージシャン: JASON MRAZ、SUGAR RAY、THIRD EYE BLIND

逗子育ちの二人が、スイミングスクールで出会う

――お聞きするところによれば、お二人は地元のスイミングスクールで知り合ったとか。まず、それぞれのご家族や幼少期についてお話し伺えますか?

ISEKI:当時はカラオケが流行っていて、よく家族で歌いに行きました。運動も好きでミニバスケをする活発な子どもでした。僕は3人きょうだいの末っ子。5歳上に姉と3歳上に兄がいます。家族みんなが好きなことを自由にやっていて、姉は結婚・出産するまでプロサーファーとして活躍していましたし、兄は建築家です。

KUREI:僕は5歳から21歳まで親の仕事の関係で基本的には海外で育ちました。日本に滞在している時はインターナショナルスクールへ通っていましたから日本語より英語のほうが得意ですし、感覚的にアメリカ人に近いかもしれません。親の方針で日本語の塾に通ったり、論文を書いたりしてきたので日本語は忘れませんでした。

――スイミングスクールでの出会いが高校時代ということは、それぞれかなり泳ぎが得意だったのでしょうか?

ISEKI:僕は2年くらい通っていました。

KUREI:僕は小学校時代から水泳は続けていました。実はオリンピックを目指していた強化選手でした。怪我をして途中で転向したのですけれど。

――そうだったんですね。お二人がコンビを組もうという話しになったのはいつ頃ですか?

KUREI:海の家・音霊OTODAMA SEA STUDIOを始めてからです。結成したのが2005年で、デビューは2008年でした。最初はお客さんがなかなか入らなくて、自分たちの友達を呼んできてゆる~く気まぐれにやっていたところ、今のプロデューサーに出会って『もうちょっと真面目に曲作りしたら?』と言われてやっているうちに、徐々に物事が進んでいてレコード会社が決まってデビューすることになりました。

ISEKI:もともと、それぞれでバンドを組んでやっていたんです。僕もクレイも作詞作曲をして歌っていました。

――お二人が進む道を決めたきっかけ、あるいは音楽に影響を与えてくれたのはどんな人ですか?

ISEKI:僕は小学5年生の時に、兄貴がチャゲ&飛鳥のCDを買ってきて聴かせてくれまして。そこからはまりだしてカラオケでも歌うようになりました。僕にとってはチャゲ&飛鳥さんのハーモニーやメロディはすごく影響が大きいです。

KUREI:僕の場合は『水の旅人 侍KIDS』や『モスラ』『河童』などの作品を手がけられている脚本家の末谷真澄さんが子どもの頃から知り合いで可愛がってもらっていました。彼の生き方から教えてもらったことが多いです。

別々のバックグラウンドだからこそ補い合える

――お二人が子どもの頃ぼんやり思い描いていた将来の夢はありましたか?

5歳上の姉、3歳上の兄と一緒に。末っ子として可愛がられた(右端がISEKIさん)。

5歳上の姉、3歳上の兄と一緒に。末っ子として可愛がられた(右端がISEKIさん)。

ISEKI:漫画が大好きで漫画家になりたいと思っていました。今でも漫画は大好きなんです。その頃はドラゴンボール、聖闘士星矢(セイントセイヤ)などよく読んでいて、薄い紙や透明の下敷きにマジックでなぞって漫画を模写。物語も書いていましたけれど下手くそで(笑)どこにも当時の作品は残っていません。

航空関係の仕事をしていた親の都合で海外に長く住み、飛行機の移動も一人で余儀なくさせられた。(手前がKUREIさん)

航空関係の仕事をしていた親の都合で海外に長く住み、飛行機の移動も一人で余儀なくさせられた。(手前がKUREIさん)

KUREI:小学校低学年からずっと水泳を続けていて大学も水泳推薦で進学しました。オリンピック選手になることを目標にしてきたのですが、怪我をして辞めざるを得なくなって断念しました。

――小学校時代はどんな習い事をしてきました?

ISEKI:バスケと合気道です。兄や姉がやっていたので一緒に通うようになりました。

KUREI:水泳とピアノです。どちらも長く続けていましたが、僕は譜面読むの時間が掛かるんです。ギターのコードのほうがわかる。今作る曲も全部ギターです。

――そんなお二人の子ども時代、ご家族のなかではどんな立場でしたか?

ISEKI:言っても聞かない…とよく言われてましたね。母には『どうせあなたに何て言っても自分のやりたいことやるんでしょ』と。3人きょうだいの末っ子でしたから一番かわいがってもらったと思います。

KUREI:僕は親や兄弟と一緒に過ごす時間が少なくて、小さな頃から一人で過ごすことが多かった。親の仕事が多忙だったこともありますし、一人で留学して寮に入っていたこともあって。小学校時代から『自分のことは自分でやる』が基本で、料理も作りましたし、目覚まし時計をセットして自分で起きる生活でした。誰かに束縛されたことがないので、自由でないと窮屈な感じがしてしまう。

――それぞれバックグラウンドが違いますが、お互い出会ってすぐ何か感じるものがあって「一緒に音楽やろう!」となったのですか?

ISEKI:そういうわけでもなく『音楽以外でも何か一緒にできるといいね』と言っていたんです。僕らはそれぞれの流れで音楽はやっていましたが、僕はプロミュージシャンを目指してバンド活動をしていたので、夢をあきらめるか、続けるか選択の時期でした。

KUREI:逗子で海の家をやろうと声を掛けたのは僕のほうからでした。海で音楽の仕事をしたい…ただ純粋にそれを実現したかったんですね。やりたいように生きてきた延長に海の家があった。始めてもう8年経ちますが、思っていたほど簡単な仕事ではありませんね。

10月14日は武道館を海にしよう!

――海の家ライブハウス「音霊 OTODAMA SEA STUDIO」は何が一番のメインですか?

『Life』は「本当の自分を見つけよう」というメッセージを込めた応援歌でもある。

『Life』は「本当の自分を見つけよう」というメッセージを込めた応援歌でもある。

KUREI:6月29日から9月2日まで毎日さまざまな時間帯でライブをやっています。出演者の方のコーディネートもすべて僕らがしていて、そちらの仕事がもともとはメインでした。ぜひ楽しみにきてください。

――この先どんなことをしたいとか、こうなったらいいなというイメージはありますか?

ISEKI:僕は海の家・音霊 OTODAMAを始める前から、音楽にずっと関わってゆきたい、プレーヤーとしてやっていきたいという思いが強い。活動を続けていくことが目標。20年、30年選手になりたいです。

KUREI:自分が生きている答えみたいなものが見つかるといいなと。『なんで?』と考えることが多いのですが、その『なんで?』を見つけられるようにしたいです。音楽を通して見つかることもあるでしょうし、海の家に関わってくださる行政や企業の方々から学ぶことも多く、いろんなことを吸収していく中で『なんで?』の答えが見えてくることもあります。自分がその中でどう関わってゆくかを考えたいです。

――将来の子どもたちに、どんなことを伝えていきたいですか?

ISEKI:時代が変わっても、根本的なことは変わっていないと思う。子どもには選択肢を拡げてあげたい。父親になっても完ぺきである必要はなくて、仕事をしている背中をしっかり見せられればいいなと思っています。僕の父がそうでした。輸入雑貨の仕事をしていた父は海外へ行くことも多く、一緒に遊んだ記憶はほとんどありません。独立して小さいながらも起業して今も現役で働いています。好きなことを仕事にしている姿は、自分の音楽活動のモチベーションになっている。成人するまでは嫌いだったのですが(笑)やっと今になってみて父の頑張りは誇りに感じています。

KUREI:今って親が子どもに過保護だと思うんです。僕は結構父には殴られて育ちましたし、幼い頃からたった一人で新幹線や飛行機に乗せられて移動することも強いられました。中学生の頃は、いきなりタスマニアというオーストラリアの島に送りこまれたこともあります。基本的にそういう激しい育てられ方をしたので(笑)余計そう感じるのかもしれませんね。でもそのおかげで自立心が芽生えた。過保護にしているとそれは生まれないと思います。

――夏の歌といえばサザンやタツロー、TUBEなどイメージが強いですが、キマグレンならではの音楽性というのは何でしょう?そして10月14日の武道館初コンサートに向けて一言どうぞ。

KUREI:10月14日は武道館を海にしよう!というテーマですので、海でない所が海にかわる体験を楽しんでもらえれば。僕らはTUBEの皆さんとも仲良くして頂いていますが、僕らの場合弾けるような夏の歌ではなくて夏以外のことを歌っているほうが多い。サウンド面で夏っぽく聞こえるのですが実は夏を歌っている曲はあまりない。「Life」も「愛Need」も「バトン」も基本的には夏を歌った歌詞ではない。すべてサウンド。そして海の家をやっているからイメージで夏なのでしょうね。そういう音楽って僕らにしかできないことなんだと思っています。今後はもっと夏を意識するような歌も作れたらいいですね。

ISEKI:武道館はミュージシャンにとってひとつの夢の場。小さい頃から武道館でコンサートができればと思ってきました。僕らの夢の集大成ですが、終わりではなくむしろ通過点。自分たちが納得できる音楽ができれば来てくださったお客様にも満足してもらえるはずです。ボーカル二人というスタイルも普遍性があります。ただ、先日ジャズシンガーの綾戸智恵さんに『あんたら勢いはいいけど、歌下手やなぁ~!』と言われてしまったのでもっとうまくならないと!(笑)。

編集後記

――ありがとうございました!キマグレンの音楽が大好きでしたが、お二人にお会いしてもっと大好きになりました。二人ともちょっと特徴のある歌声ですが、お話しのされ方も魅力的でスゴイ2人組が生まれちゃったなぁ!と思っています。歩んできた人生の濃密さが実力に結びついているのかも。10月14日は海になった武道館でどんな演出を繰り広げてくださるのか?今から楽しみにしています!

取材・文/マザール あべみちこ

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