広島に続き2発目となる原子爆弾を搭載した米軍のB-29爆撃機は、第一目標だった小倉造兵廠(現在の北九州市小倉北区)への原爆投下に失敗し、第二目標とされた長崎へ向かう。そして午前11時02分、プルトニウム型の原子爆弾の戦闘行為の投下としては世界で初めてとなる爆弾を長崎市街に投下。長崎市は約人口24万人のうち約14万9千人が死去するという大きな被害を受けることになった。
長崎への原爆投下から27年後、小学生の夏休みの課題図書となった一冊の本がある。
表紙をめくった先に現れるのは、読者である小学生達の小さな心臓に深く突き刺さる大きな銛のような絵と言葉だった。
表紙をめくった見返しから、順にその冒頭部分を引用する。
八月が来るたびに
おおえひで 作
篠原勝之 え
だれが・・・
どうして?
だれが・・・
どうして?
こどもが
おとなになり
また
そのこどもが
おとなになり
・・・・・・けれどこどもたちは
おとなたちにたずねるでしょう
だれが・・・
どうして?
8月が
くるたびに・・・
八月がくるたびに
映画「この子を残して」
名匠・木下恵介の映画「この子を残して」。長崎原発のj被害で死去した旧制長崎医科大学(現在の長崎大学医学部)で放射線医学担当の助教授・医局員(レントゲン医師)として、第二次世界大戦が始まる前から放射線に被曝し、1945年8月にの長崎原発で被爆。妻を原爆で失い、幼いこどもたちを残して自らも死んでいく状況をつづった物語。
この子を残して(予告)
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忘れてはならない時。
忘れてはならない時間。
それは1945年8月9日午前11時02分であるとともに、そこからつながる時間すべて。
あの日といまと未来を結びつける時間。
いま現在と1945年8月9日午前11時02分とがつながっているということ。
そのことを記したたくさんの作品から、いまでもその時、そこで起きたことを知ることができるのだということ。
無関係な人などいないこと。
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