【シリーズ・この人に聞く!第62回】いいお母さんより、幸せなお母さんに! 北村 年子さん

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子育て中のお母さんへ「自己尊重トレーニング」を広めるトレーナーとして活動する一方、「ホームレス」襲撃事件と子どもたちのルポや、「いじめ」問題をライフワークとして取材・執筆。硬派なテーマですが、実は一人ひとり生きている限り考え続けなければならないことを痛感する内容です。今回はお母さんに参考にしてほしい肩の力が抜ける子育てアドバイスをたくさんいただきました。

北村 年子(きたむら としこ)

滋賀県生まれ。ルポライター。自己尊重トレーニングトレーナー。女性・子ども・ジェンダーを主なテーマに、執筆活動やラジオ・テレビ番組、講演活動などに活躍中。親と子の自尊感情を育てるための子育て支援・子育ち支援のためのセミナーや研修会を各地でおこなっている。「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」代表理事でもあり、昨年には「第6回やよりジャーナリスト賞」を受賞。著書に「『ホームレス』襲撃事件と子どもたち」、「おかあさんがもっと自分を好きになる本」他。

不完全な自分を受け入れると生きるのがラクになる

――北村さんの著書「おかあさんがもっと自分を好きになる本」を最近読んで号泣しました。小さな子を育てるお母さん対象に書いてらっしゃると思いますが、思春期の息子に苦しむ私にとっても心に沁みるものでした。きょうは北村さんが提唱される「自己尊重トレーニング」についてたくさんお話しを聞かせていただきます。何かきっかけがあって、こうした考え方をするようになられたのですか。

装丁もやさしく手に取りやすい一冊。「おかあさんがもっと自分を好きになる本」(学陽書房)

装丁もやさしく手に取りやすい一冊。「おかあさんがもっと自分を好きになる本」(学陽書房)

私自身、19年前に初めて親になって、思い通りにいかない子育てに悩む日々がありました。子どもはかわいいし、いいお母さんになりたいと思っているのに、ついイライラして「なんで泣きやんでくれないの」と、思わず手が出てしまう…。そんな自分を責めて、明日こそはと思うのに、また同じことの繰り返し…。このままではいけないと思いながら、呼吸法や瞑想を実践し、自分の気持ちを見つめ、ありのままの自分を受
け入れるトレーニングを重ねていくうちに、「いいお母さんにならなくちゃ」と頑張れば頑張るほど、私も子どもも幸せになれないということに気づいたんです。完璧をめざさず、そんなに頑張らなくても、まあ、いっかと力を抜ける「幸せなお母さん」になることが大切だったんですね。

――現在、北村さんが広めていらっしゃるその「自己尊重トレーニング」とは、基本的に、どのような考え方なのでしょうか。少しご紹介いただけますか。

まず、自分の欠点やマイナス面ばかりを責めずに、自分の今あるいいところやプラス面に意識を向けて、ほめてあげること。特別に優れていることや、上手にできることを探す必要はないんです。家事や育児で普段やっていること、当たり前と思っていることを見直して、「よくやってるね」「えらいね」と、ほめ言葉やプラスの言葉をかけましょう。そのためにも、失敗もする自分を許してあげることが大事です。ポイントは不完全なあるがままの自分を認めること。それができると自然に子どものことも受け入れられますよ。

――本当にシンプルな考え方で、育児書にありがちな「こうすべき」的な教えがない。それがいいのかもしれませんね。これは今思春期の息子を育てている私にとってストンと胸に落ちてきました。

私は幼少期、両親の事情で祖母や親戚に預けられて育ちました。愛情を注いでもらいましたが、いつもまわりの大人を困らせないように顔色をうかがう子でした。相手の期待に応えようとしたり、泣きたいときも涙をこらえて頑張っているような「いい子」でした。そんな自分のありのままの感情、特に「泣きたい気持ち」を抑えこんでいたからこそ、親になった時、大声で泣いて甘えてくる子が受けられなかったのですね。わ
が子が手のかかる「よく泣く子」だったからこそ、教えられ、気づかせてもらえました。だから私は、成功談で本を書いたり講演したりしているわけではないんです。自分自身が悩んで苦しんで迷って失敗だらけ。誰だって完璧じゃない。でも大丈夫、失敗から学べるし、きっと成長できるよって。そういう立場に共感してくださるのかもしれませんね。

――北村さんの言葉には目から鱗の名言が多いのです。「あきらめるは、明らかにみること」、「話すは、放す」、「悩みは、恵み」など、北村さんのアドバイスには気づきがいっぱいあります。子育てに悩みはつきものですけれど、それは天からの恵みなんですね?

子育ては、親となる人間の「育ち直し」のチャンスでもあります。子育ては決してひとりではできません。悩みや弱さを見せ合い「助けて」が言い合える人間関係が必要です。これまで安心して人間関係を築ける機会がなかったとしても、子どもの存在・子育てを通して、悩みを分かち合い、ありのままの自分を見せあえる仲間をつくっていきましょう。話すことで気持ちを解放できますし、願望や執着をあきらかにして心
を見つめるとふっきれます。「恐れ」を超えて、一歩踏み出してみると共感できる仲間ときっと出会えますよ。

「受容」と「甘やかし」は違う

――「自己尊重ワークショップ」では具体的にどんなことをワークするのでしょう?

川崎市内で開催された講演会は満席。北村さんの話に心揺さぶられ、涙する人もいた。

川崎市内で開催された講演会は満席。北村さんの話に心揺さぶられ、涙する人もいた。

まず呼吸法を身につけます。「アーナパーナ」といって、鼻先の自然な呼吸に意識を向けて、吸う息・吐く息を観察します。自然に心身が落ち着いてきます。「呼吸を制するものは、人生を制する」というほど大切なこと。頭で分析するよりも体で実感し、平静さを取り戻していくと、体のサインに気づくようになる。体に痛みがでてきても、あるがままを受け入れ、ただ観察しましょう。体の声を聴けば、心の声も聴こえます。実際、3分間目を閉じて呼吸法をするだけでも…常に忙しくしている人にとっては結構長いものなんですよ。何も考えずに、呼吸にだけ集中してみると、心身のさまざまな感覚の変化が実感できます。

――さっそく試してみます! ご著書の中の「自分を許し肯定する」という章でハッと気づくことがたくさんありました。たぶん小さな子どもを育てている時代より、思春期の子をもつ親にとって頭ではわかっていても忘れてしまいがちなことなのではないかと。

自分を責めていじめるより、自分を許し、理解し、励ましてあげるほうが、それだけ立ち直りもはやく、プラスの方向に前進できます。自分にやさしくしてあげられたほうが、自分を否定しているよりも元気になれて、子どもにもやさしくしてあげられるものです。ついカッとなってひどいことを言ってしまっても、そういう自分も認めて「人間だもの、過ちをおかすことだってあるよ。でも気づいているし、悪かったって思っているんだよね」と1回自分を許して認めてあげること。反省はしても責めないことがポイントです。そしてたとえ親子であっても間違えたら素直に「ごめんね」と謝ることも大切です。

――自分を受け入れることは「甘え」でなく「心の栄養」という捉え方の表現があります。子どもといい関係を築くには、子どもの話に耳を傾け、気持ちを受け入れてみようと。

講演会でよく質問されることがあります。『子どもを肯定ばかりしていたら、わがままでダメな人間になってしまいませんか?』と。でも「受容」と「甘やかし」は違います。「受容」とは行為を許すことではなく、その背景にある気持ちを受けとめること。例えば暴力やいじめは絶対にいけないことですが、いくら厳しく禁じてもなくなりません。叱るだけでなく「何が悲しくて、そんなことをするの?」とゆっくり気持ちを聴いていくと、家族のなかでの寂しい思いや、自分は大事にされていないという悲しみの感情が見えてきます。そんな感情の奥底の「心の声」を受けとめられ、自分が満たされた気持ちになれたとき、はじめて暴力の連鎖は止まるのです。

子どもたちの「いじめの連鎖を断ち切るために」

――北村さんが取り組んでおられるテーマのひとつに、子どもや若者たちによる『「ホームレス」襲撃事件』の問題があります。野宿者と子どもたち双方の視点からそれぞれの思いを語られていますが、なぜこの問題に関わるようになったのですか。

「ホームレス」襲撃事件と子どもたち(太郎次郎社エディタス)

「ホームレス」襲撃事件と子どもたち(太郎次郎社エディタス)

子どもの問題に関わってきた私が、なぜ「ホームレス」の人々にも関心を寄せるのか、最初は自分でも無意識でした。長い間、言えなかったことですが、私の父は、私が12歳の時に命を絶ちました。当時、病気で働けなくなり、家にいた父の弱さを受け入れられず「逃げている」「甘えてる」と世間が野宿者を責めるように、私も父を責めていました。ある日、「もう死にたい」と弱音をもらした父に、「そんなに死にたいんやったら死んだらいい」と言ってしまった。そして、その数週間後、本当に父は命を絶ちました。私は自分を責め、「父を死の底へ追いやったのは私だ」という思いを抱えて生きてきました。28歳で初めて野宿者への支援活動に参加したとき、路上で出会うホームレスの人たちに、私は、かつての父の姿を重ねあわせ、「働けなくても弱っていてもいい、生きててくれてありがとう」と思いながら向き合っていたのだと思います。そしてホームレスの人を殺めてしまった若者に関わろうとするのも、私もまた間違いをおかした人間だと思って生きてきたから。私の中に加害者と被害者のどちらもいたから、いじめや襲撃の加害者となった少年たちを責められなかった。そして彼らもまたきっと「やり直せる」と信じています。

――「いじめや襲撃は、自分を肯定できない生きづらさから起こるもの」という指摘にドキッとしました。加害者である少年たちが、自分を大切にできる感情が育っていれば他者を攻撃するようなことはなくなるのでしょうね。

加害者の少年たちへの取材を通して見えてきたことは、彼らもまたいじめられたり、過去に暴力の被害者であったり、学校や家庭からも孤立して安心できる居場所がなかったこと。そこには弱い者が、さらに弱い者を攻撃する「いじめの連鎖」の構図がありました。暴力は、怒りの爆発です。怒りは二次的な感情ですから、根っこには必ず一次感情がある。それはモヤモヤとした無意識の感情、ストレスです。「つらい」「悲しい」「苦しい」というマイナスの感情を言葉にできず、「もっと頑張らなくちゃ」「こんなんではダメだ」と抑圧するうちに、表に出るのは「ムカつく」「イラつく」という怒りになってしまう。
この感情の爆発が暴力となり、弱い者へと向かう「いじめ・襲撃」となるのです。いじめや襲撃をなくすためには、その一次感情の「心の声」を聴き、つらい心を受けとめてあげること。そうでなければ、いくら説教して罰しても、暴力を解消することはできません。

――それが「自己尊重トレーニング」につながっていくわけですね。今、学校のいじめは、私たち親世代の頃と違う形に変異して深刻化している…という話もあります。この現実をふまえて、どうすることができますか?

いじめは四重構造です。「被害者」は1人で孤立させられ、首謀者となる「加害者」はほんの数人、そのまわりで笑ってはやしてたる「観客」が1~2割程度。あとの7割~8割は見て見ぬふりしている「傍観者」、無関心層です。また、いじめのターゲットは変化しますし、被害者・加害者どちらも体験しているという子が多い。いつ自分が標的にされるかわからない恐怖の中で「やらなきゃやられる」と戦場のような状況を汲々として生きぬいている。日本では、大人だけでなく自死する子どもの割合は世界的に高い。それも圧倒的に男子が多い。2009年度調査によると19歳以下で自死した945人うち、男子が7割です。13歳以下男子の自死原因では、1.学校、2.健康、3.家庭という順でした。男子は特に「弱い」と思われたくなくて、親にも打ち明けられず「助けて」といえないまま、命を断っていく。そんな中で、いじめを解消していくには、まず最も多数派の傍観者たちが変わること。いじめっ子たちを「やめろ!」と制裁できるような正義のヒーローになれなくても、今いじめられている子に、一人一人が関心を向け、「おはよう!」「元気?」「今日一緒に帰ろう」と、みんながどんどん声をかけ肯定的に関わっていけば、いじめっ子はもう手を出せなくなる。無関心こそが最大の暴力です。弱い立場の者を孤立させない、見て見ぬふりしないこと。いじめられている子は、「助けて」といえる勇気を。そして、いじめている子には、必ずストレスの要因となっている心のつらさがありますから、彼らにもまた安心して感情を吐き出せる心の居場所となる「ホーム」が必要です。

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