【シリーズ・この人に聞く!第94回】よりよく生きられる環境を考える バース・セラピスト 志村季世恵さん

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バース・セラピストとして、多くの妊産婦の心のケアをはじめ、末期がん患者に寄り添い、ただ死を待つのではなく、最後まで何かを生み出そうと、そのお手伝いを務めてこられた志村さん。一方で東京都渋谷区に常設の「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」代表理事、「こども環境会議」代表も務められ、なおかつ4児の母というパワフル母さんでもあります・問題を抱える多くの親子の伴走をされてきた経験に基づき、子どもに関する大人へ心あたたまるアドバイスを頂きました。

志村 季世恵(しむら きよえ)

1962年生まれ。1990年「癒しの森」を故志村紘章と共に立ち上げカウンセリングを担当。クライアントの数は延べ4万人を超える。2007年「癒しの森」を閉院。現在は「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の運営に力を注ぐ傍ら、フリーでカウンセリングやターミナルケアを行う。「こども環境会議」代表。「ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ」代表理事。4児の母。「さよならの先」(講談社文庫)、「いのちのバトン」(講談社文庫)、「大人のための幸せレッスン」(集英社新書)、「ママ・マインド」(岩崎書店)など著書がある。

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互いの長所を見つけあう関係性で子どもの力を伸ばす。

――志村さんの新刊「さよならの先」を拝読して、どうしてもお会いしてお話を伺いたくてコンタクトを取らせていただきました。お忙しい中お時間頂けてありがとうございます。子どもと接点をもつ活動の中に「こども環境会議」というプロジェクトの代表もされていますが、これはどういう活動ですか?

自然に慣れ親しむ川遊びは「こども環境会議」活動の一環。

自然に慣れ親しむ川遊びは「こども環境会議」活動の一環。

「こども環境会議」は15年ほど前にスタートしたプロジェクトです。今の子どもたちに本当に必要なものは何かを考え、子どもの目線を持ちながら大人としての思考を持ち、子どもたちと共に学び、共に楽しむ。そして「生まれてきてよかったな」「子どもを生み育ててよかったな」と思える親子でいられたらいいなと願い作った会です。
この会はある自閉症のお子さんとお母さんとの出会いがきっかけになりました。そのお母さんは、一人で子育てをしている気持ちになり、ずいぶん苦しんでいたのです。けれど、実は障害を持ったお子さんを育てている親だけでなく、孤独を感じながら子育てしている人は非常に多かったのです。そこで多くの親子を対象に活動の輪を広げていきました。子ども達には、親だけではない価値感、多様性を身につけさせたいという願いから、数日のお泊り会をし、そこで大家族のように過ごしました。また、ワークショップも行い、音楽や絵画、朗読といったトップアーティストによる専門的プログラムを楽しめるようにしていますが、大事なのは、それではなく、大人も子どもも、大勢の中で、互いを認め合い尊重し助け合うことを経験してもらうことなのです。

――とてもよく似ているコンセプトのキャンプを存知あげていますが、違うのは同じような家庭環境の子が集うわけではないという点でしょうか?

赤ちゃんから高校生まで年齢はまちまちです。教育的な環境も様々。国・公立に通っている子、私立に通っている子、特別支援学校に通う子もいます。生活レベルも様々。そういう多様性を大事にしています。たとえば障害をもっている子に対してかわいそうと思うのではなくて、どんなことをしたら、みんなで楽しめるかを考えるようになります。相手を思い遣り、相互理解する視点が育ちます。家族だったら相手を否定したりしませんよね。それで「大家族ごっこ」という名前のワークショップにしたのです。

――「大家族ごっこ」っていい響きですね!参加される親子はいろいろな問題を抱えていらっしゃるのですか?

全ての方がそうではありませんが、中には虐待やいじめの体験、あるいは障害を抱えて大変な状況に置かれている方も参加されます。参加したら全員が身内。日常の親子だけの単位にとどまらず参加している子どもはすべて我が子。大人はみんな親もしくは姉・兄・祖父母になります。みんなで目を配り声をかけることを大切にし、行動に問題があれば我が子に注意を与えるように叱り、また親なら短所と見受けられるような特徴も、他者から見ればそれは優れた能力や個性に通じることもあり、そのような時には助言も大事にしました。これはかつて日本が大家族であった時の、おじいちゃんおばあちゃんが担っていた役割と似ています。

――3.11以前、この活動は福島で展開されていたのですよね?原発事故以降、福島に住まわれる方の苦労は筆舌に尽くしがたいですよね。

当時、子ども達は情報公開の遅れに怒りを感じ、大人たちに不信感を持っていました。水素爆発だって情報を公開してくれれば避難に関しても自分で選択することができるのにと。子ども達は自分で判断し行動する力をもちたいんです。「大家族ごっこ」をする場所は軽井沢、葉山、福島県いわき市と移ってきました。震災後の2011年9月には東京でシンポジウム 「こどもの本音 大人の言い分」~みんなで福島の今 そして未来を考えよう~を開催。子どもたちはみんなで対話がしたい。みんなで今の気持ちを分かち合い、話し合って次への希望に繋げていきたいと言ったのです。シンポジウムで子ども達の願いを聞き、2012年3月にはダイアログ・イン・ザ・ダークを福島で開催しました。「対話の時間」を持ったのです。

複雑な家庭環境だからこそ培われたやさしさ。

――志村さんの今の活動の原点は、子ども時代にヒントがあるように思います。何か習い事をされていましたか?

多様性を大事にした「大家族ごっこ」を通じて相手を思いやり相互理解の視点を育む。

多様性を大事にした「大家族ごっこ」を通じて相手を思いやり相互理解の視点を育む。

習い事は結構たくさん。ピアノ、お茶、お花、児童劇団。その関係でバレエ、日舞、ダンスなども。中でも、劇団は小4当時の私にとって非常に楽しいきっかけを与えてくれました。『酔っぱらいを表現してください』というテーマを与えられた時、子どもなので観察しても酔っぱらいの表面上の真似しかできないわけです。でも実は、いろんな酔っぱらいがいて、楽しくて酔っている人。悲しくて酔っている人。体で表現しようとすると違うんですよ。ある時、二人組の酔っぱらいおじさんと遭遇して、一人が吐き出して、もう一人が背中を撫でてあげるのではなく前から撫でてあげて……すごいことになっていて。それでも撫でられているおじさんは「ありがとう。ありがとう」って言っていて……。酔っぱらう背景、その人の心を感じないと表現はできないものだと気づきました。

――セラピストとしてのお仕事にもつながっているようなエピソードですね。

そうですね。私が最初にワークショップのようなものを行ったのは自分が入院していた病院の小児科でした。同じように入院していた子どもたちの中に体が動けない子もいました。ある日、学校の先生が遠足の帰りにお見舞いに来て、その子にどんぐりを置いていかれました。でも先生が帰ってから泣いているの。どうしたの?って聞くと「私、外に出たことがないから、どんぐりがどんな場所にあるのか知らない」というんです。それを知ってる私が、どんなものかを伝える手段は、イメージしてもらうことだけ。「みんな聞いて。これからみんなで大きな公園へ行きます」って暗闇の病室で横になってイメージ体験。足の裏にヘアブラシをチクチクあてて「芝生の上を歩いていきま~す」と演出すると「え?芝生ってこんな感じなの?」って。そしてどんぐりを高い所から床にポトンと落とします。「あ、どんぐりが落ちてきた!」と言って。そしてどんぐりをみんなの手に回す。そんなことで大喜びして遊ぶ。そういう体験がきっかけで、その後の活動につながっているのかもしれませんね。

――そういうエピソードは泣けますね。志村さんは幼少期どんなお子さんでしたか?

ちょっと変わった子どもだったと思います(笑)。6人きょうだいのうち5人と一緒に暮らしていて、私の母は父の3回目の結婚相手。上4人の兄弟姉妹とは父は同じで母が違ったのです。友達に何人きょうだい?って聞かれて5人…て答えるとまずビックリされましたし、一番上の姉と私は18歳違いましたから、他の兄弟姉妹ともそれぞれ年齢差があったので「えー!うそだ!」と言われ信じてもらえなくって。うそつきな子って言われ友達は少なかったです。家の中もハッピーな状態とは異なり母と一番上の姉は12歳しか違わなかったので、それも原因となり家族内でそれぞれ複雑な思いを抱えていたのを小さな頃から感じていました。『家族みんなが仲良くなれたらいい』…とそればかり思っていました。

――志村さんの原型がそこにありますね。多感な時期を感受性の強さで傷ついたりなさったのでは?

その頃観た映画の影響で「クリスチャンになりたい!」と思っていろいろ調べてみたら、宗教戦争を知りました。みんな自分の宗教を大切に思い、信じている。それ故に争う。もしかしたら母親が違うことで、もめているうちの家庭内で起きていることと、よく似ていることが時代を越えて世の中に起きている。それを知って茫然としました。「違いを受け入れる」にはどうすればいいんだろう?と幼心に考えましたね。

親が子どもの行き先を勝手に決めないこと。

――志村さんはもう成人された方もおられますが4人のお子さんを育ててこられて。子育てで大切にされてきたことってどんなことですか?

「こども環境会議」では、たき火体験もする。

「こども環境会議」では、たき火体験もする。

一番大切にしてきたのは、親が勝手に子どもの行き先を決めないことです。20歳で授かったのは男の子でしたが、男の子ってみんな『わんぱくでもいい、逞しく育ってほしい…』という、あのCMイメージしかなかったんです。でもね、長男って外遊びが大嫌いな子でした。息子を連れて公園に行っても遊ばない。私だけが公園で遊ぶような感じ。他の子どもたちには慕われて猿山の大将みたい。息子を探すといつも一人離れていたんですね。息子の側に近寄るとポケットからハンカチ出して「ママ、こんなに汚れちゃって」って拭いてくれるような子でした。その彼が、一番夢中になってキラキラしている時間は、幼児番組を見て数字や文字を書き写している時でした。遊びなさい!って言っていましたが、親の思いこみっていけないですね。それで、私が勝手に思い込んでいる枠の中にはめ込もうとしていたな…と反省したんです。

――子どもとはいえ一人ひとり好きなことが違うものですよね。その後はどんな接し方を?

幼稚園の時からは認識を改めて、親は子どもが好きなことをサポートすることしかできないって思ったんです。子どもの特性を春夏秋冬に分けるとしたら、母親って皆「はきはき自分の意見が言えて、行動力があって、明るくリーダーシップが取れる夏タイプの子」とか言うと思うんです。でもそんな子ばっかりだったら世の中大変なことになってしまう。秋も冬も春もあってこその社会。自分の子がどのタイプなのか?と考えるところから始めないと。我が家の4人長男、長女、次女、次男といますが、みんな季節は違いました。

――今、子育て中のお母さんにどんなメッセージを伝えたいですか?

以前、たくさんの親子にアンケートをしたことがありました。子どもたちには「どんなお母さんが好き?」と聞くと「お母さんでも失敗しても間違ってもいいよ。ニコニコにしているお母さんが好き」というような答えが断トツ多数。大人の失敗を認めているのです。お母さんにも同様の質問をしたところ、それはそれは大量なリクエストが書きこまれていて……「リーダーシップが取れて、はきはき自分の意見が言えて、すすんでお手伝いができて、素直で思いやりがあって」……こんな調子。この違い、わかりますか?子どもはどんな親でも大好きなのです。赤ちゃんを見ていれば分かるけれど、親のことをずっと目で追っている。親が子どもを見ている以上に子どもは親を求め、そして無条件で親を愛している。初めて親になった時、私はこれに報いるために、親ができるのは、親も条件をつけず子どもに向き合い、そして子どもが必要としているものを引き算しながら与えることと決めました。(※著書「ママ・マインド」P120~に詳しく掲載されています)これは子どもの教育に携わる人へも同じように伝えています。

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