【シリーズ・この人に聞く!第56回】美を追求するフードスタイリスト マロンさん

kodonara

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五感を働かせて、楽しんで料理すれば、自然とおいしいものが生まれてくる。盛りつけにちょっとした工夫で美しい仕上がりに!カラフルな色のボーダーの服を纏い、おネエ★MANSにも登場したマロンさんはフードスタイリストの草分け的存在。子どもの頃からキレイなものが大好きというマロンさんへ、好きなことへのこだわりを伺ってみました。

マロン

長崎県生まれ、佐賀県出身。
大阪あべの辻調理師専門学校を首席で卒業し、料理研究家、インテリアスタイリストのアシスタントを経験後、1983年に日本でのフードスタイリスト第1号として独立。雑誌、書籍、テレビ、ラジオ、新聞、広告、イベント、講演会など、あらゆるメディアを通して美味しい料理、料理の楽しさを提案し、第一線で活躍し続けている。2004年からは、今までの経験を生かし、調理器具の開発にも取り組み、現在発売中の「マロン ポットパン」が人気を集めるなど、レストランのシェフでも、料理研究家でもない、食のエンターテイナーとしてダイナミックに躍進中。著書に「飛田和緒&マロンのボルドーワイン×料理BOOK」(共著/オレンジページ)、「マロンの弁当男子!」(PHP研究所)、「板井典夫の料理を楽しくする100の道具、100のレシピ」(角川SSコミュニケーションズ)など多数。

 マロンズネット
www.marons.net  

美しいものをみて育った

――マロンさんはとてもお肌がきれいですが、やはり食の仕事をされているから食べものにはこだわりをおもちで?

5歳夏祭りでも典夫少年。パッツンと切った前髪が昭和30年代を象徴している。

5歳夏祭りでも典夫少年。パッツンと切った前髪が昭和30年代を象徴している。

特別なことは何もしていないの。強いて言えば、季節ならではの旬の食べ物をいただくことや自分が食べたい物を本能に従って食べるように心がけていること。手の込んだお料理をしなくても、それだけで体のバランスは取れるもの。あと何を食べるか飲むかも大切だけど、誰と一緒に飲んで食べるか?という時間の過ごし方も大切よね。

――マロンさんは小さな頃からお料理することがお好きでした?

食の道へ進むのを選択したのは高校を卒業する頃でした。もっと小さな頃は、とにかくキレイなものが好きで、母の鏡台で化粧道具をこっそり使ってみたり(笑)。どちらかというと女の子と遊ぶほうが好きでした。祖母が駄菓子屋を営んでいたので、いろんな人が出入りして、そこから子供なりに学んだことも多かった。新製品のパッケージとか、きれいに陳列された商品を眺めるのが大好き!手先が器用でしたから、学校で雑巾を縫う授業なんて女子よりもきれいに仕上げていましたよ(笑)。

――やはり今のお仕事にいかされている片鱗が、その頃からおありでしたね。幼児期に習い事は何かされていましたか?

ピアノ、そろばんを習っていました。でもね、習い事って先生との相性が大切でしょう?残念ながら、ピアノは1年くらいで辞めてしまいました。おもしろいと思えなかったのね。僕は自分のことを「先生」とは呼ばせないの。「先生」ではない立場から、影響を与えていきたいと思っています。子どもうちは、その子に合った習い事をすればいいのではないかしら。

何ごとも磨きあげることが大切

――料理に興味をもったのは何かきっかけがおありでした?

2歳の頃の典夫少年。一人っ子として可愛がられ、特に祖母からは溺愛された。

2歳の頃の典夫少年。一人っ子として可愛がられ、特に祖母からは溺愛された。

当時テレビ番組で「世界の料理ショー」というのがあって、コメディアンの男性が料理しながらトークするショーがあったの。それがおもしろくて、テレビを見ながら『絶対僕はあっち側の舞台で活躍するようになりたい!』と。それは、仕事を始めた頃からも、観ているだけでは物足りなくて、自分がメインになって番組を仕切れるようになって楽しみたいと思ったのね。そういう気持ちが、今の仕事につながっているように思いま
す。

――マロンさんは料理研究家ではなくフードスタイリストと名乗っていらっしゃいますが、この業界の草分け的存在です。ファッションのスタイリストはいても、フードスタイリストとして男性が働くのはまだ珍しい時代だったのでは?

当時は雑誌の編集者が兼業でお料理のスタイリングもしていたのね。料理家のアシスタント時代は、電話に出ると「あら、男性?」とか言われたし、男性がこういう仕事をするのはまだ珍しかった。独立してから一つひとつの仕事をこなしていくうちに、クチコミで広まって、お仕事いただくようになったの。

――雑誌の全盛期にマロンさんはキャリアをスタートされてラッキーでしたね。トントン拍子でこの世界に入られて?

高校卒業後は大阪の調理師専門学校で学んだ後、上京して銀座の有名フランス料理店にお勤めしました。料理の世界は独特なしきたりがあって、当時は来る日も来る日もグラスの洗い物とお掃除の日々。1年間我慢しましたが、それが限界でした。今なら1~2年なんかあっという間だから何でも我慢できますけれど(笑)、若い頃の当時は1年がとても長かった。それが初めての挫折体験でした。でも、それからは余計なことを考えている暇も無く忙しかったわ。

――自分の居場所、生きていく方向性を早いうちに見つけられてよかったですね。

その頃教えてもらったことが今でも身についているの。
たとえばコップは洗うのは誰でもできるけど、磨いて美しくするほうがずうっと難しい。高級なグラスを毎日何個も洗って拭いて…割ってしまったこともあるけれど。日常的な礼儀や作法は、ずいぶん勉強になりました。どんな経験も一つも無駄にはならないってことね。

噛むことは脳に刺激を与える

――ご家庭で、ああしろこうしろと口やかましく言われるようなことはなかったですか?

駄菓子屋を営むハイカラな祖母からは多大な影響をうけた。

駄菓子屋を営むハイカラな祖母からは多大な影響をうけた。

なかったですね、いい子でしたから(笑)。父は養子で、実は家族みんな血縁関係がありませんでした。当時はそういう家庭が多くて特別なことでなく皆に可愛がってもらったけれど。大人の真ん中に僕が一人いた感じ。居心地はよかったけれど、これじゃあダメだと気付いて、はやく家を出たかったの。でも、やりたいことをいつもやらせてくれて、見守ってくれた家族にはとても感謝しています。

――今、食をテーマとしてお感じになっていらっしゃる問題はどんなことでしょう?

世の中的にソフト、柔らかな食感のものを好む傾向がありますけれど、堅いものを食べることって大切だと思う。私の育った故郷ではイカが取れるので、それがご馳走でした。あと堅いスルメを焼いて食べた記憶は臭いまで覚えています。よく噛むと、歯も顎も丈夫になりますし、それが脳を刺激するのではないかしら。とろりん、つるりん……が流行りのようですけれど、流動食ではないのですから(笑)、健康のためにもっと堅いものを食べないといけませんね。

――確かに噛んで味わうことが昔より減っていますね。意識して噛まないといけませんね。「マロン食」のマイブームは何かありますか?

昔食べた味、おいなりさんとか定番レシピを子どもたちへ伝えていきたい。そういう味ってホッとするじゃない?イタリアンやフレンチや、いろいろ料理はあるけれど、日本人ならやっぱりこれよねっていう日本の旬の味を追求していただきたいですね。

――では、最後に子どもたちへ贈る言葉を。習い事を考える親へは、選ぶ際の何かアドバイスをいただけますか?

子どもたちには早く好きなことを見つけて、それを続けてほしい。食べものもそうだけれど、小さな頃嫌いでも大人になったら味覚が変わって食べられるようになるものだってあります。その子に合う成長の仕方が必ずあるということを親御さんには伝えたいですね。

編集後記

――ありがとうございました!「料理家」の男性はたくさんいらっしゃいますが、「フードスタイリスト」の男性は唯一かもしれません。おいしい食を味わうこと以前に、見た目の楽しさや雰囲気を演出するお仕事は、演劇でいえば舞台監督のような位置づけでしょうか。容姿も語り口もふわっと柔らかく朗らかなマロンさんですが、骨太な仕事っぷりは80年代の雑誌全盛期を駆け抜けてきた貫録かもしれません。手際良く、おいしく作れるお酒のつまみ系料理を常に欲している私ですので、今月刊行のマロンさん新刊も楽しみにしています!ますます美しくご活躍を。

取材・文/マザール あべみちこ

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