【シリーズ・この人に聞く!第63回】日本食を海外へ広める料理研究家 山田 玲子さん

kodonara

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「食することは一番の外交。人の輪をつなぐもの」として料理教室を手がけること17年。外見は素敵なマダムですがキビキビと手際良くおいしい料理を作る姿はとっても男前。都内のマダムをはじめ小さな子どもからシニアのメンズ教室まで対象年齢も幅広く教えていらっしゃいます。おりしも東北関東大震災が起こり、安全な食への関心はこれまで以上に高まっています。これから食で取り組みたい活動をお聞きしてみました。

山田 玲子(やまだ れいこ)

フェリス女学院大学卒業後、1995年~浜田山の自宅にて料理教室「Salon de R」を主宰。小学生の国際交流の活動を通じ、食する事は人の輪なり・・と感じ「美味しい料理はあなたを想う温かい心から」をコンセプトに。「おいしい!」「すごい!」なんていうお褒めの言葉をエネルギーにして、マダムなおうちごはんを大笑いの中、無理なく楽しく大胆に調理!お料理とともにおもてなしのコーディネートから笑いの心意気まで伝授いたします企業の料理教室講師や、国内での出張料理教室、さらにはNYやHouston、韓国など海外でも定期的に料理教室を開催。食品会社のレシピ開発やケータリング、各種イベントにも対応。2002年家庭画報「とっておきのおかず大賞」審査委員特別賞受賞。

 Salon de R|浜田山と麹町の山田玲子の料理サロン
www.reiko-cooking.com  

朝5時から食堂のおばちゃんバイト体験

――玲子さんのプロフィールを拝見しますと旅行会社にお勤めされていて、途中から食のお仕事へ。これは何がきっかけになってのことでしたか。

2011クリスマスのレシピ。美しいテーブルコーディネートも伝授。

2011クリスマスのレシピ。美しいテーブルコーディネートも伝授。

大学卒業後、大手旅行会社でツアーエスコートという仕事に就いていました。大卒女子の就職先が5社くらいしか募集のない時代で、どこも少ない枠に応募が殺到。大学卒業してすぐに「11歳からの国際活動 CISV」という今でいう留学のようなキャンプにリーダーとして参加し11歳の小学生4人と一緒にフィンランドへ1カ月行きました。英語も通じない、お米も研げない、誰も寿司の作り方など知らない…そんな状態でしたが一致団結してフィンランド人に日本食をふるまって食の交流をしたことが、とても楽しかった。「食することは人の輪をつくる」と感じて、料理を仕事にしたいと考えるようになりました。

――1980年代前半の海外留学ってまだ誰もが行けるような時代ではなかったでしょうから貴重な体験になりましたね。帰国されてからはどんな修業を?

マダム対象クラス終了後の談笑風景。料理もおしゃべりも楽しい!

マダム対象クラス終了後の談笑風景。料理もおしゃべりも楽しい!

調理師の免許を取るには食の仕事に従事する経験2年以上が条件でした。OL生活の一方で勉強をするだけならともかくも実習体験となると難しい。ところが自宅近くに某大手企業の男性寮がありまして、ある日そこを通りかかると「朝5時~9時の調理パート募集」と張り紙が。自転車で5分くらいの近所でしたから、これは願ってもないチャンス!と思ってすぐに履歴書を書いて面談へ行きました。最初は「え、あなたが
……?」って感じで脈なしでしたが、何しろ朝5時から勤められる人がなかなか見つからない。電車も動いていない時間ですからね。それで結局「やってみますか?」という感じで採用されました。

――朝5時からの調理パートを済ませて、着替えて渋谷まで通われていたという?すごいパワーでしたね。

それがいい経験になりました。調理パートといっても料理の段取りだけでなく食器洗いなど下働きが当然ありますし、寮なので半端なく人数もいます。何よりもいろいろな人生を背負って食堂で働くパートのおばさまたちには鍛えられました。「大根千切りにしてちょうだい」と大根10本くらい渡されて、一生懸命やっても「ねぇ、これって千切りって言うの?」と厳しく指導されたり、おばちゃん同士の色恋沙汰で1人の男性を巡って揉めていたり、当時20代の私にとっては信じられない別世界でした。でも時間が来るとOLでしたから、とにかく調理師試験を受験する資格がもらえるまで我慢して修行していました。

――それにしてもファイティング・スピリッツ!実習期間2年経過して無事に調理師免許受験されました?

2年経過する頃にはパートとして採用してくださった担当者の方が「あなたがまさかまだ働いているとは思っていませんでした」なんて驚かれました。95年試験にめでたく合格、浜田山の自宅にて料理教室「Salon de R」を主宰し料理研究家としてスタートすることになりました。料理研究家は1000人いると言われる時代です。その中でどんな立ち位置で、食で何を伝えていけるのか。17年続けていますがいつも考えてい
ます。

被災地へ食の支援を!「パン基金」

――2011.3.11に東北沖で大震災が起こり、これまで当たり前と思っていた生活が激変しました。電気の供給ひとつにしても、お米やお水、野菜といったものもそうです。玲子さんのご友人が関わっていらっしゃる被災地救援活動「パン基金」についてここでご紹介いただけますか?

市川市主催2010年12月「親子de クッキング」の様子。父と子でクリスマスケーキを作ってお家へ持ち帰り。ランチも作って食べました。

市川市主催2010年12月「親子de クッキング」の様子。父と子でクリスマスケーキを作ってお家へ持ち帰り。ランチも作って食べました。

これは2004年のハイチ大震災の時に活躍した救援物資なんです。寄付をもらってからではなく、団体が自前で先行投資して支援をするユニークな基金です。缶に入ったパンですが、缶を開けるとふっくらしたパンがすぐおいしく食べられます。今回の東北の震災時にもいち早く現地へ救援物資として運んでニュース番組で避難している方が缶からパンを取り出して食べているのを見かけました。衛生的ですし、温めなくてもすぐに食べられるのがいい点です。

――軽いし便利ですよね。私も少額ですが寄付をさせていただきました。被災地の方々を思うと本当に心が痛みます。

甲府クラス キッチンの様子

甲府クラス キッチンの様子

今、被災地の方へ「がんばって」と言うのはよくないんです。何もかも失っている人にとって「これ以上何をがんばれって言うの?」ということになりかねません。力づけるための言葉ですが、時に人を傷つけることもある。もし私が今被災者の方へ言葉を掛けるのなら、「生きててくれてありがとう」です。

――なるほど。では玲子さんが料理を作る上で大切にされているテーマや思いってどんなことですか?

見て元気になるメニュー(ご飯)を作ることです。食で元気になってほしい。「節電レシピ」もBlogで紹介していますが、単なる時短、簡単レシピよりもっと大切なことがあるはず。これからは日本人の食生活そのものを変えていくべきではないでしょうか。せっかく日本食の良さが海外でも取り上げられてきたのに、原発事故によって食の風評被害も出てくることでしょう。海外で日本の食材が避けられるのではと心配です。

――日本が誇る水や米をはじめ、葉物野菜などが出荷停止という打撃をうけています。食を扱うお立場で、どのように捉えられていますか?

水や葉物への問題は料理家としても、慌ててしまいました。でも、私達の日本です。再建しようと皆が頑張る日本です。私は国からの指示を信じようと思います。皆目を大きく開きで耳を大きく澄まし判断し、口を大きく開けて食べ大きな声で大丈夫と言いましょう。出荷禁止になった生産者さんが、野菜を破棄する姿はしのびないです。悲しいですよね。
私も麦の仕事で生産者さんと一緒に仕事をした事もあります。トラクターで麦刈もしました。なので、愛する作物を破棄する辛さは……言葉が見つかりません。国からダメだと言われている産地以外の葉物は元気です。こういう時なので、今まで手にした事のない野菜にもぜひ挑戦してみてください。

シルバー、ボーイズ対象教室など多彩な講座

――料理教室の参加対象がとてもユニークです。バラエティーに富む教室で皆さんへどんな講座を開かれているのか。ここで少しご紹介を。

米国ヒューストン・ウイリアムソノマ「Japaneseクッキングクラス」にて。

米国ヒューストン・ウイリアムソノマ「Japaneseクッキングクラス」にて。

教室はママ、OL、子ども、メンズ…と年齢層は幅広く講座をしています。私が今注目しているのはティーンの男子向け料理教室。先日も高校3年生のボーイズたちを指導しました。中学生くらいだと反抗期もあって親のありがたみも忘れて感謝することってあまりない。けれど、17,8歳になるとちょっと視点が変わるようです。お豆腐の切り方でさえ、「手のひらにのせてこうするのよ」と教えると、『毎朝、こうして切って味噌汁作ってくれてたんだ』と小さな発見から、しぜんと感謝の気持ちに変わる。それにいまどきの男子は料理くらい作れないと恋愛するのも難しいことはよく知っていますよ。自分の食べるものをちゃんと考えて作れない人は、他の人のことも大切にできませんから。

――料理のできる男子がもっと増えて世の中どんどん変わってきてほしいですね。定年後のシルバー対象の教室も盛況だとか?

海外での日本食評価は非常に高い。日本の食文化を広めたい一心で海外講座も積極的に行っている。

海外での日本食評価は非常に高い。日本の食文化を広めたい一心で海外講座も積極的に行っている。

定年といえど60歳手前の場合も昨今は増えていて、皆さんまだまだお若いです。その年齢になると夫婦の会話も減ってしまうようで「妻には今さら料理なんか教えてもらえない」という男性が多いことを感じます。教室が10時からスタートだとしても、1時間前の9時には会場へ来られて着替えをしてじっと待っている真面目な方が多いのですが、実は奥さんが「はやく出かけて!私も出かけるんだから」と家から早々に追い払っているようなことも多いようです。料理を作って食べる時間も、あまり周りの方と軽口をたたいて交流したがらない。長い会社人生で培ってきたのが無口になることだとしたら残念ですね。もっともこうした教室へ参加される方は、これまでの生活改善へ一歩を踏み出しているわけですから良い例ですけれど。

――定年後に夫婦関係がうまくなかったり、交友関係が貧弱なのは寂しいです。そうならないためには、どうすべきですか?

やはり若い頃から日々の生活自体を家族で楽しむことを大切にしてほしいです。食に関していえば、お母さんが一人で家事を担っている家庭がほとんどだと思いますが、そうではなくて今日はお父さんがこれを担当する、とか、子どもも一緒に作るとか。特別な料理を作る必要はないと思うんです。今、わりと「メンズレシピ」のような本もたくさん出て丼ものメインだったりしますが、栄養バランスを考えれば丼ものばかりではなく、彩りを考えたい。そもそも女性用、男性用、子ども用と性別や年齢に分けてレシピを考えることはないはずです。誰もが幸せに作れて、何度食べても飽きないレシピを覚えてほしいです。

――なるほど。定番こそ日本の食卓を救うわけですね。では最後に、この震災によってこれからご自身の食活動をどのようにされていかれたいですか?

ほうれん草が買い難い状態ならば、モロヘイヤなどでも代用ができますよね。ビタミンが豊富ですし、カロチンも豊富。流行ったゴウヤだってこれからの季節にはぜひ!停電もまだ続くようです。節電や省エネレシピをアップしてくださいと言われています。でも、美味しくなくては…見た目も食欲そそるものでないと!今こそ、健康な人はしっかり食べて、丈夫な身体を作らないと。救援にだって行けない!スーパーで買い占めしたり、この野菜はダメ!と言う前に、ある食材をもう一度見ましょう。缶詰を買い占めなくても、お家にはあるのでは?野菜がダメで食べるものない!と言う前に……冷蔵庫を見ましょう。
お父さんも早く帰る事が多い様です。「俺にもできるかな……」ですよ。こういう時期です、被災地の方でなくても多くの方が心を病んでいます。桜が咲きますよ、お家の近くに桜が咲いたら、お友達を呼んではいかがですか?一緒に無事で会えた事を喜び、食事をしましょう!地方に居るご両親様が、情報だけで東京はどうなるのかと案じていると言う話も聞きます。呼んで差し上げて、ご一緒に食事をしましょう。皆が不安で心細い思いをしているんです。ありがたいことに被災地ではない場所に住んでいる我々は、健全な身体と心を作りましょう。被災地の様子も掴めていませんが、小さい子もたくさんお腹をすかせているようです。 何が使えるのか?どんな食材は使えるのかが解ったら、被災地へのレシピアップもしたいです。温かい物は送れませんが、手作りのお菓子やケーキやジャムを子ども達に送りたい。 クラスで1日お菓子を作り、被災地へ贈る会を開く予定です。小さな子どたちにも参加してもらいます。

編集後記

――ありがとうございました! 3.11の震災以降、日々刻々事態の深刻化が露呈し心が痛みます。被災地の復興は私たち一人ひとりが支え合い励まし合うことで進んでいくほかありません。日本食の素晴らしさを伝え続ける玲子さんに、「これからの食」を考えるきっかけをいただきました。料理の道を究めてきたからこそ自信を持って教えられる知識が詰まっています。玲子さんの料理教室に親子、夫婦で参加すると、日々の食卓が変わってくるかもしれませんよ!今後、復興の一助になるような料理教室をマザールでも企画したいと思っています。ワクワクするような料理体験。食べる楽しみがあってこその毎日です!がんばれ東北、がんばろう日本、元気になろう毎日。

取材・文/マザール あべみちこ

活動インフォメーション

 山田玲子さん料理教室 「Salon de R」
www.reiko-cooking.com  

マダムな外見を裏切る、おもしろくてパワルフな玲子先生。料理テクニックを学べるうえに、おしゃべりも楽しく元気をもらえるサロンです。いろんな方と出会え、ネットワークが広がります。

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