【シリーズ・この人に聞く!第40回】12歳で見つけた道を歩み続けるバスケットボールコーチ 大山妙子さん

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173センチというバスケット選手にしては小柄ですがお会いしてみるとやはり見上げてしまうほどの大きさ。選手時代は4年連続2冠達成などJOMO黄金時代に貢献。個人タイトルも獲得。オリンピックに2度出場し現役引退後は、後進を育成するコーチの立場で活躍しておられます。小学6年生で出会った「夢中」を今も大切にしている大山妙子さんへバレーボールを通して子どもたちに伝えたいことをお聞きしました。

大山 妙子(おおやま たえこ)

中野区立第3中学校→東亜学園高等学校→
ジャパンエナジー入社(バスケットボール実業団WJBL所属チーム
現JOMOサンフラワーズ)→
現ジャパンエナジーJOMOバスケットボールクリニック専任コーチ。
主な戦歴として、1996年アトランタ五輪7位、アジア大会優勝、WJBL優勝4回、
全日本総合選手権大会優勝8回、2004年アテネ五輪10位など。
中野第3中学校で全国大会優勝、その後、東亜学園に入学し、高校3年間も常にトップレベルでプレーを続け数々の逸話を残した。1993年にジャパンエナジーに入社し、1年目からスターターに抜擢され新人王を獲得。その後も韓国人コーチ金平鈺(キム・ピョンオク)氏の指導の下、3Pシュートをはじめシュート力をアップさせ日本を代表するディフェンスのスペシャリストとして活躍。チームでは4年連続2冠を達成する等、数々の賞を受賞する。また、2回のオリンピックに出場し一線で活躍。2004年アテネ五輪ではキャプテンを務め五輪を最後に現役引退。2005年よりJOMOクリニック専任コーチとして活動中。現在は全国各地に渡って、バスケットボールの基本や楽しさ等を未来の選手達に伝えている。

体を動かすのがとにかく好きな女の子

――身長的には小柄な方なのかしらと思ったのですが、とっても大きくてスポーツマンそのもののナイスバディですね。小さな頃は、どんなお子さんでした?

小学1年生の春。兄は小3、弟はもうすぐ2歳。人見知りで口数は少なかったが体のきく子だった。

小学1年生の春。兄は小3、弟はもうすぐ2歳。人見知りで口数は少なかったが体のきく子だった。

とにかく体を動かすのが好きで、おてんばでした。母が体を動かすことをさせてくれたこともあって、小学校時代も体育が一番好きな科目。小学校では6年間週1回スイミングを習っていました。大会に出場したのは6年生の時ですね。区大会で優勝なんてこともありました。勉強はそっちのけで、とにかく運動だけが取り柄で(笑)。2歳上の兄と、6歳下の弟に挟まれて育った影響もあるかもしれません。

――スポーツ万能でいらしたのですね。ご兄弟の中で一番運動神経もよかったとか?

はい。ただ性格的には引っ込み思案でとても人見知り。人の前に出ることも好きではなく。父がそういうタイプで似てしまったんでしょうね。母はおしゃべり大好きなタイプでしたので(笑)。学校の授業でも、先生にあてられたら答えましたが、自分から挙手することはせず。バスケットボールを始めてから性格が少しずつ変わってきました。

――バスケットボールを始めるきっかけに、小学生では「ミニバス(ミニバスケットボールの略)」というスポーツがあります。大山さんがバスケを始められたのはいつ頃でしたか?

中学校からなんです。小学6年生の時にミニバスチームには入っていましたが、小学校卒業間近に恩師から「バスケをしに、うちの中学へこないか」と。そこから人生が変わりました。小学6年生で背が160センチありましたから、クラスでも一番大きかったですね。

進学したのは、バスケットに力を入れて指導していた公立中学。私は隣の学区から越境入学という形で、バスケットのために自分の意思で中学を選びました。ただ、越境入学するために、家族一緒に住んでいながら、母と私の分だけ一時、現住所を動かしたり(笑)。今でこそ学校選択制という制度もありますが、当時は学区内の公立中に行くのが普通でしたから、その辺の見極めは母に感謝しています。その学校はバスケットをやりたい人が学区外から集まる学校でしたので、ミニバス仲間も数人いて行きやすかったのですが。

――私も中学時代はバスケット部でしたが、いろいろな意味で厳しかったなぁと。大山さんはどんなことが厳しいと感じられました?

背が高かったのでゴール下シュートのポジションを任されました。中学に入ってからは技術的なことを身につけたり、体力をつけることにのめり込んでいきました。人間関係では、中学よりも高校のほうが上下関係がありましたね。練習が嫌だという気持ちは全然ありませんでしたが、全国大会を目指すチームでしたから、練習は厳しかったですね。合宿や遠征も多かったですし。一年生はご飯を3杯食べることが義務付けられていたので(笑)。コートを離れて、うっかり挨拶をしそこねたメンバーがいると全体責任で部室の裏に呼ばれて叱られたり。陰湿ないじめはありませんでしたけれど(笑)。

天狗になるな、初心忘るべからず

――中学から推薦で高校へとみっちりバスケットをされて、実業団JOMOへ入られて90年代はJOMO快勝の黄金期を築かれました。社会人チームでの活躍は夢でしたか?

小学6年生の時には170センチあって一番大きかった。同学年でもひときわ目立つ。

小学6年生の時には170センチあって一番大きかった。同学年でもひときわ目立つ。

そうですね。高校を卒業後は実業団のチームでやりたいなと。というのも、大学と実業団の力は差があるんです。私はバスケットボールで成績を残していたので、JOMOに声をかけていただいて卒業後は実業団入りしました。大学へ行ってしまうとつぶれてしまう人を自分でも見ていましたし、先輩からも聞いていましたので。それと、勉強することがあまり好きでなかったので(笑)、高校卒業後は自分の力を試したいと思い、迷わず実業団チームへ進みました。

――12歳でバスケットと出会い、18歳で実業団を選ばれて。普通の女子中高生のようにお気楽に遊ぶ余裕が無かった分だけ、はやく大人になられたような。人生早回しというか。

小学6年生のミニバス時代。ゴール下からのシュートは当時から得意技。

小学6年生のミニバス時代。ゴール下からのシュートは当時から得意技。

そうですね、すべてはバスケットをしないかと声を掛けてくれた恩師との出会いが大きいです。バスケットを頑張ることで他のこともすべてついてきたように思います。

――その恩師の先生が、進まれた中学校のバスケット部指導者でいらしたとか。具体的には、どんなふうにスカウトされたのですか。

小学校のスポーツテスト「走り幅跳び」でいい成績を収めたのを他校にいらした恩師・伊藤先生が聞きつけて、ある日家に電話をしてきてくださったのです。ちょうど中学校でバスケットボールの選手を育成したかったらしくて、私の場合は背も高かったので、ぜひということで。話を聞いた当初は全然興味もなかったのですが、たまたま近所でバスケットの大会があるのを観戦しにきてほしいというので、母と行ってみたのです。その時のことまったく覚えていないのですが、帰り道で「バスケットボールをやりたい!」と私が即決したらしいのです。引っ込み思案で、あまり自分の気持ちを表現しない私が、強く言うからには本当にやりたいんだな、と母は感じたらしいです。

――今もその当時、胸を撃ち抜かれた実感がありますか。バスケットボールをプレイしている時が自分でいられるといったような。

それはありますね。もし伊藤先生に声をかけてもらっていなければ、私は今何をしていたのかな?と思うことも(笑)。大切にしてきた精神は、「天狗になるな」ということを両親にも言われてきました。どんな時も初心に戻ってプレイするようにしています。

通年で子どもたちのバスケットを指導する立場へ

――現在展開されているバスケットクリニックの対象年齢はおありですか?何か指導で大切にされていることは。

中学3年生で全国大会優勝。中野区立第三中は越境入学も多いバスケットの名門校。

中学3年生で全国大会優勝。中野区立第三中は越境入学も多いバスケットの名門校。

基本的に小中学校が多く、1dayコースとチームパワーアップコースの2種類あります。全国各地からインターネットで受け付けて抽選で当選したところへ訪問しています。多い時は毎週末予定が入っていますね。指導していることで大切にしているのは、バスケットボールの基本と実はコート以外のこと。バスケットの技術的な指導は、女子にとって習得するのが難しいもの。男子は身体能力が高いので、言ったことに対してすぐ反応できてしまうのですが、女子は時間をかけて身につけていくもの。ですから、バスケットコート以外のプライベートで身につけてほしいことも伝えています。

――自分たちの子ども時代と比べて変わってきたなと思うことはありますか?

中学から始めたバスケでメキメキと実力を伸ばし、高校は強豪の東亜学園へ進学した。

中学から始めたバスケでメキメキと実力を伸ばし、高校は強豪の東亜学園へ進学した。

昔はとりあえず体で動いて覚えたものですが、今は言葉で説明して理解してから動くという違いがあります。強いチームですと勝ちたい気合いがありますが、弱いチームや初心者ばかりのチームへもコーチに行きますので、それぞれのスキル、土地柄によってもいろいろです。

――大山さんご自身は、体で覚えてきたことをプレイで実現してこられた。

頭でじっくり考えるよりも先に体が動いていましたね。そしてすごく負けず嫌いでした。ぜったい勝つぞ!というような(笑)。それなくしては戦えない。それは他のスポーツでもそうだと思います。昔から「芯は強い」と言われていましたが、バスケットを始めるまで引っ込み思案でした。でも、このチームスポーツをするようになって人とのコミュニケーションも大切にするようになったし、何より積極的になりました。そしてスポーツの厳しさを知ることで、負けず嫌いな性格にもさらに磨きがかかりました。

――やっぱり負けず嫌いって、一番大切なスピリッツですよね。ではこの先、どんなふうにご自分のお子さんを育てていきたいとお考えですか。

私も両親に体を動かすことをさせてもらえたので、同じように育てたいですね。あれをしなさい、これをしなさいというお仕着せではなく、とにかく体を使う何かを。根本は、私がやりたいと思ったことを後押ししてやらせてくれた。ですからスポーツではなく、勉強とか他の何かであっても、子どもがやりたいと思うことを後押しするのが親の役目かなと思います。

 

編集後記

――ありがとうございました!地に足をしっかりつけ、これまで生きてこられたのが伝わってきました。言葉の数こそ少なめですが、好きなことを大切にしてきた人だけがもつ「人としての厚み」を感じました。私も中学時代バスケット部でしたが、暴力的な顧問と意地悪な先輩と厳しい練習が、どうにも好きになれなかったなぁ(笑)。高校は硬式テニス部に変えてスポーツを楽しみましたが、いつまでたってもテニスの美しいフォームができず、何が何でもボールを拾いまくってスキをついてスマッシュを決める「バスケットテニス」と言われておりました。スポーツは指導者が大切なんですよね。自己流で続けるのではなく、大山さんのようなコーチが全国各地をまわって子どもたちに指導してくださるなら、もっとこのスポーツの奥深さ、楽しさを味わえそうです。これからも益々のご活躍をお祈りしております!

取材・文/マザール あべみちこ

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