選手たちがコートに出てくる。
手をつないで円陣を組んだ5人が
結んだ手と手を大きく揺らすように動かした。
コートに白い花が咲いた。
幻の大会のリベンジ。
女川町は小学生のバスケットボール、ミニバスケットでもがんばってきた土地柄だ。
今の上級生、中学3年生たちが小学6年生だった時、チームはミニバスケットの全国大会への切符を手にしていた。
しかし、それは2011年のことだった――。
3月末に開催予定だった全国大会は東日本大震災の影響で中止、幻の大会となった。
中学に上がる春休みに戦うはずだった全国大会。上級生たちはそのリベンジを中学3年の全国大会出場で果たしたことになる。
2013年8月23日、浜松アリーナ。初戦は10時50分にスタートした。
対戦相手は東京の府中第九中学。最初の得点こそフリースローで女川が決めたものの、
相手は長身センターを中心に多彩な攻撃を繰り出してくる。
2階席から見ていても、チーム全体の身長差は歴然としていた。
女川は最も身長が高い選手で166cm。その1人を除くと他の選手は160cm以下。
ゴール下に切り込んでいっても小柄な女川の選手はシュートの態勢をとらせてもらえない。
逆に相手のショットは決まっていく…。
第1クオーターを終えた時点で13対21。思いのほか大きく離されていた。
2分間のインターバルの間、いろいろなことを思った。
正直に言う。悪い結果も頭をよぎった。
しかし、彼女たちはそんなマイナスのオーラをコートの中から吹き飛ばした。
第2クオーター序盤、立て続けの得点で1点差に迫った女川は、
ハーフタイムまで残り5分でついに逆転する。
「女川はディフェンスのチーム。5人が力を合わせて相手の攻撃にプレッシャーを掛けていく中で、いつものペースを取り戻してきたみたい。最初は相手の大きさにビビってたみたいだったけど。」
選手の保護者が解説してくれた。
守りのフォーメーションを立て直す。
攻撃ではしっかりボールを回して相手を崩す。
点を取られてもひたむきに、冷静にいつものプレーを繰り返していくうちに、
試合は自分たちのペースで動くようになる。
掴んだリードは最後まで奪い返されなかった。
といって楽な戦いだったわけではない。
連続3ポイントシュートで3点差になった場面では、女川も3ポイントを立て続けに決めて引き離した。1点差に詰め寄られたシーンもあった。そこでも3ポイントと力強いゴール下への切り込みでリードを維持し続けた。
バスケットボールは点を取り合うゲームだ。相手にゴールを決められた後、確実に取り返すことで勝利に近づくことができる。
ゴールラインからのスローインを受けて、攻撃の態勢を整えながらゆっくりとドリブルで上がっていく選手たちの後姿にしびれた。
そして勝利の瞬間が訪れる。
女川からやってきた保護者たちの雄叫びとガッツポーズに観客席が燃えた。
選手たちはコート上でのプレスの写真撮影に笑顔で応えていた。
そんな中、保護者のひとりがつぶやいた。
「選手たち、みんな満身創痍なのよ。がんばってほしいけど」
選手の人数なんて、そんなの関係ありません。
第2試合は岡山の就実中学との対戦だった。
第1クオーターは女川がリード。
第2クオーターで逆転されるも、一時は再逆転のシーンも。
第3クオーター、両チームとも堅い守りで得点できない時間帯が続くが、徐々に女川にファウルが増える。相手は速攻中心に点差を10点に広げる。
最終クオーター、女川は積極的にボールを取りに行くが、攻勢は裏目に出て逆に点差を広げられてしまう。
女川中学は敗れた。最終的には57対38の大差がつけられていた。
試合中、気づいたことがある。
タイムやハーフタイムなどのインターバルの時間、ベンチに戻ってきた選手たちを控えの選手たちが団扇であおぐ。相手チームは選手の数以上の団扇がゆれる。これに対して女川チームは2本か3本だ。
団扇の数は選手の厚みを象徴していた。女川の選手の背番号は、キャプテンの4番からはじまって11番まで。対戦チームは4番から18番まで15人がベンチ入りしている。頻繁に選手交代できる相手に対して、女川チームは持ち駒そのものが限られているのだ。
試合後、戻って来た選手たちのうつむく姿に、かける声も見つからなかった。体力的な消耗も大きいようだ。ケガで足を引き摺っている選手もいた。
敗れはしたものの、別の試合の結果で明日のトーナメントへの出場は決まっていたが、そんなこと話題にできないほど、彼女たちはこの試合の敗戦を残念がっていた。
実際に、消耗戦の様相の中、選手人数が少ないのは苦しかったと思う。
しかし、キャプテンの橋本華奈さんは、唇を震わせながら言った。
「そんなこと、関係ないです。これが私たちのチームなんだから」
彼女は短いコメントで、次のように言いたかったのではないか。
人数が少ないのはいつものこと。
自分たちはいつもこの条件で戦ってきた。口惜しいのは、
どんな時にも「自分たちのバスケットボール」をしなければならないのに、
その部分で悔いが残る試合だったこと。
女川でバスケをやってきたということ。
選手たちが身支度をしている間、選手の母親のひとり、石森民子さんがこんな話を教えてくれた。
幻の大会となったミニバス全国大会の翌年、当時下級生だった現在の中2生徒を中心とするチームは、震災の年の12月に開催された東北大会で勝利し、ミニバスケットの全国大会に出場した。それも、10月になってようやく練習再開した中での「全国」だったという。
この話から私たちは、2つのことを理解することができる。
ひとつは、女川という町が蒙ったものの大きさだ。
全国大会に出場できるくらいバスケットが大好きな少女たちなのに、半年以上も練習ができなかったこと。これは単純に練習場所の問題だけではないだろう。スポーツに打ち込めるだけのさまざまな「環境」が整わなかった面が大きかったのだと思う。
同じことを違う言葉で表現することもできる。
中心部の建物の8割が失われたとも言われる女川では、震災から約半年で、こどもたちがバスケットボールをできる環境がつくられたこと自体、奇跡的だと言えるだろう。
そしてもうひとつ理解できることは、大きな被害を蒙りながら、バスケットを再開した彼女たちの中に「自分たちのバスケをやり抜くんだ」という心のコアがしっかりとできあがっていただろうということ。
2カ月の練習期間で全国大会出場を勝ち取るのは並大抵のことではない。
たっとえ長身の選手が揃っているチームが相手でも、選手層が厚い相手でも、もしかしたら自分たちよりも強いかもしれないと戦いながら感じてしまうようなチームに対してでも、彼女たちは、
「大きな夢に向かい仲間を信じてがんばる」
という強い思いで心をひとつにして戦ってきた。
選手同士がお互いに支え合うのと同時に、バスケットはもちろん生活や学校などさまざまな場面で自分たちを支えてくれた人々へ「応える」覚悟まで含めて、自分たちの使命として、バスケに込める力にしてきたということだと思う。
合併で女川に1校だけとなった小学校から、やはり1校だけの中学校に贈られた横断幕の文面が、女川中のバスケットを物語っていた。
「ね、いろいろな人たちに支えられているんだから、自分たちのバスケをしっかりやんなきゃならないのよ。あの子たちもよく分かっているの」(石森さん)
保護者や周りの人々の尽力、日本各地、そして世界中からもらったたくさんの支援への恩返し。辛いことも苦しいことも、心から感謝する気持ちも、サポートしてくれた人たちにどう応えればいいのかを真剣に考えてきたことも、すべてが彼女たちの糧になっているのだ。
うかつだった。石森さんに教えてもらって、やっとわかってきた。
中学生だから、とか、中学生なのに、とかではなく、
彼女たちは、十代前半の時間を生きてきた中で掴んでいた。
たくさんの人たちへの感謝を胸に、笑顔で戦い抜く。
それが彼女たちのバスケットボールだ。
宿舎へ向かうクルマの前で、彼女たちに声を掛けると、もう頬に涙はなかった。明日の試合に向けてのやる気の笑顔でいっぱいだった。
明日のトーナメントの初戦、どこと対戦したい?
と尋ねると、異口同音、
「強いチームと対戦したい!」と愛知県のチーム名を挙げた。
屈託のない彼女たちの笑顔にひとつのシーンが目に浮かぶ。
どんなに強い相手に対しても、落ち着き払ってドリブルでコートを上がっていく姿。
そして、コートに咲く五弁の白い花。
「大きな夢に向かい仲間を信じてがんばる」
私はあの花の美しさを忘れない。
(バスケットボールの試合戦評は、得点経過のグラフ表示やスコアなど詳細に記されていて興味深い。女川中学が戦った試合の動きがリアルに読み取れるので、興味のある方は是非ご覧ください。上記バスケットボール大会WEBページからの抜き書きです)
http://shizuoka-zenchu2013-basketball.jp/tr/nc2.pdf
http://shizuoka-zenchu2013-basketball.jp/tr/nc6.pdf
http://shizuoka-zenchu2013-basketball.jp/tr/b1.pdf◆翌日の決勝トーナメント。9時30分からスタートした第一試合で、女川中学は京都精華女子中学と対戦し、残念ながら50対57で惜敗しました。(全国の頂点に立ったのは、女川のみんなが対戦を希望していた学校でした)
この日の試合は直接応援することができませんでしたが、公式の戦評によると、立ち上がりに10点近い点差を付けられた女川は最後まで一度も逆転することなく敗れたとのことです。
しかし、女川は諦めることなく食い下がり、攻め続けたことが得点経過から読み取れます。序盤3分ほど無得点だった時間の点差を差し引くと、僅少差の点の取り合いだったようなのです。
得点経過を追いながら、
コートに咲いた花の姿がたしかに見えました。
敗れはしたものの、仲間を信じて女川らしく戦い続けた様子が目に浮かびました。
あらためて、女川中学バスケ部のみなさんに感謝を申し上げたいと思います。
ありがとう。
みなさんは女川の人々の希望であり誇りです。
のみならず、
みなさんは、知り合った私たちにも、勇気を教えてくれました。
同じ時間を生きている人間として、みなさんと出会えてよかった。
これからも、未来をめざしましょう。
よろしくお願いいたします。
ともに、ファイト!
●TEXT+PHOTO:井上良太(ライター)
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