物見山へつづく道の途中でこんな案内を見つけました。
今回も種山ヶ原で宮沢賢治と歩きます。
まるで、左のスロープのすぐ先に、賢治の詩碑が建てられているかのように見えるでしょう。ちょっと見ておこうとのぼってみたのです。そしたら、そこは草ぼうぼうの小さな空き地で、その先に小径がまっすぐに続いていました。あんまりまっすぐなので、きっと少し行った先に、詩碑が建てられた公園みたいな場所があるのだろうと思えてしまうほどでした。だからその道を歩いて行きました。気持ちのいいすばらしい道でした。明るい雑木林の中の踏み跡のような道でしたが、木々の間からみどりの美しい牧場が見えたり、道端にアザミの花がおしべをくるくる回らせていたり、ツリガネニンジンの青い花が揺れていたり。
道はときどきゆるやかにアップダウンを繰り返し、まるでその坂の先に目的地があるように思わせます。でも詩碑まではなかなかたどりつけません。途中、フキの群生に道が覆われて踏み跡すら見えない場所もありました。さすがに不安になってきて、詩碑はいったいどこなのだろう。この道はどこまで続いているのだろう。もしかしたら詩碑はもうずっと昔に誰からも忘れ去られて、この道も廃道なのではないか。しかし、そんな頃になってにわかに案内表示が出てくるのです。
海だべがど おら おもたれば
やつぱり光る山だたぢやい
宮沢賢治詩碑までの道の案内板
案内板には賢治の詩がのっていました。その詩のことばは、物見山の上からイーハトーブの光景を眺めた時に、たしかに一瞬そう見えた光景そのままでした(遠くに広がる大きな笹原が風にゆっくり波打って光る様子が、本当に湖のように見えたのでした)。
ここまで来たら歩き続けるしかありません。明るい雑木林の道を行きました。道が途中で右に曲がる場所にはまた案内板がありました。原体剣舞連(はらたいけんばいれん)の詩の一部が記されていました。
アカマツの林の中の木漏れが明るい道をしばらく行った先、ようやく、というか唐突に詩碑がある広場に飛び出しました。そこは想像をはるかにこえる、本当は誰にもいわずにおきたいと思ったくらいな場所でした。立石という巨岩に見惚れ、東屋でお弁当を食べた後は、草原に寝転んで、高原の景色や空を眺めたり、リンドウの写真を撮ったりして過ごしました。
さて、この広場に建てられた宮沢賢治の詩碑『牧歌』です。この詩は賢治が農学校教師時代に生徒のために書いた「種山ヶ原の夜」という劇の中で、楢の木と樺の木、柏の木の精霊がうたう劇中歌なのだそうです。「宮澤賢治の詩の世界」というひじょうに優れたページに、賢治が作詞作曲したこの歌がmp3ファイルで掲載されています。
以下の写真はぜひ、歌声を聞きながら見ていただけると幸いです。種山ヶ原という場所がどんなところなのか、きっといろいろな想像が湧いてくると思います。
牧歌
種山ヶ原の 雲の中で刈った草は
どこさが置いただが 忘れだ 雨ぁふる
種山ヶ原の せ高の芒あざみ
刈ってで置ぎわすれて 雨ぁふる 雨ぁふる
種山ヶ原の 霧の中で刈った草さ
わすれ草も入ったが 忘れだ 雨ぁふる
種山ヶ原の 置ぎわすれの草のたばは
どごがの長根で ぬれでる ぬれでる
種山ヶ原の 長嶺さ置いだ草は
雲に持ってがれで 無ぐなる 無ぐなる
種山ヶ原の 長嶺の上の雲を
ぼっがけで見れば 無ぐなる 無ぐなる
賢治
『牧歌』立石の賢治の森の詩碑より
最初は惑いながらも歩いて行った山の道の先で出会った別世界。宮沢賢治の世界そのもののようにも思えるのでした。
賢治は何度も種山ヶ原を訪れていますが、初めての時には花巻や江差の方から谷や尾根を越え、西から東へと登ったといわれます。この立石のあたりこそ、賢治が最初に踏んだ種山ヶ原だったのではないかと、私かに想像したりするのです。
立石につづく道を訪ねたのは9月の末の頃でした。きっと今は雑木林も黄葉して、コナラやダケカンバの葉が風に舞う道になっている頃でしょう。牧場も一面に黄葉して、黄金色の大地の上に秋の空が広がっていることでしょう。
よろしければ、こちらもどうぞ。
最終更新:
yumenoshippo01
写真の花は上から、ノアザミの仲間(どの花もおしべが可憐にカールしていました)、ツリガネニンジン、オオヤマリンドウ、アキノキリンソウ、だと思います。間違っていたらごめんなさい。ご教授ください。