桜の季節の最終盤に小岩井牧場の、あの有名な一本桜を見たその後、ガイドマップに記された「狼森(おいのもり)」という地名が気になって気になって仕方がなくって、車を走らせて狼森を目指したのでした。緑色だらけのマップの中に小さく「狼森」と記された場所からは、引き出し線が引っ張られていて、その先に2センチ四方くらいの小ささですが、美しい緑の丘の写真が示されていたからです。
広域農道のT字路を、小岩井牧場とは反対方向の北に向かって行く道は、気持ちのいい一本道でした。「いいぞ、これなら狼森までまっすぐだ」。心の中でそう思いながら走って行くと、道の両側には広葉樹の林が広がっていました。
原生林とはいわないまでも、おそらく一度は開墾された後、半世紀かそれ以上の時間の中で育ってきた楢の木や山毛欅たち。芽生えたばかりで日一日とその色を変化させていく新緑がまぶしくて、何度も車を停めては見惚れてしまいました。
所どころには、やっぱり植林されて半世紀弱くらいの杉の林もあって林床を木漏れ日がやわらかく照らしていたり、
足元にはオシダの仲間かな、ごわごわした羽毛をまとったまま背伸びしようとしてたりして、いかにも狼森の入り口にふさわしい雰囲気です。
しかし、さらにずんずん走って行くと、やがて門のような石柱を備えた枝道が現れたりして、どうも様子がおかしいのです。このまま行っていいのかな。ほんとに狼森に向かっているのかな。
ところがどうもわたくしは
みちをちがへてゐるらしい
種山ヶ原の詩碑
種山ヶ原の満開のコブシの花の下で読んだ宮沢賢治の詩の言葉が、突然思い出されたのです。
道の先を眺めると、林の上に岩手山まで顔を出して。まるで何かを言いたそう……
「おおい、そのままこっちさ走ってくっと、狼森を通り越して笊森、仕舞いにゃ盗森まできてしまうぞぉ」
どっしり大きく構えた岩手山にそういわれたような気がして、ようやく道を間違えたのだと納得したのでした。
もう一度、地図をよく見て居所を推理しなおしてみて気がついたのは、実に意外なことでした。それは、ここまで気持ちのいい林の中だと思っていたこの道こそが、狼森の裾野をなだらかに、ながれるように走って、岩手山へと続く道だったということでした。
そうして思い出したのは、宮沢賢治の「狼森と笊森、盗森(おいのもりとざるもり、ぬすともり)」という物語の狼達が登場するシーンです。
この辺りの原生林に開墾のために入った家族の子供たちが、収穫が終わった晩秋の夜、忽然と消えてしまった場面です。方方探し回っても子供たちを見つけられなかった大人たちは、森のあちこちの方に向かって大きな声で一緒に叫びます。
そこでみんなは、てんでにすきな方へ向いて、一緒に叫びました。
「たれか童(わらし)ゃど知らないか。」
「しらない」と森は一斉にこたえました。
「そんだらさがしに行くぞお。」とみんなはまた叫びました。
「来(こ)お。」と森は一斉にこたえました。
大人たちは武器にするつもりでしょうか、手に手にさまざまな農具を持って森に入っていきます。まず最初は一番近い狼森です。
森へ入りますと、すぐしめったつめたい風と朽葉の匂とが、すっとみんなを襲いました。
みんなはどんどん踏みこんで行きました。
すると森の奥の方で何かパチパチ音がしました。
急いでそっちへ行って見ますと、すきとおったばら色の火がどんどん燃えていて、狼が九疋、くるくるくるくる、火のまわりを踊ってかけ歩いているのでした。
だんだん近くへ行って見ると居なくなった子供らは四人共、その火に向いて焼いた栗や初茸などをたべていました。
狼はみんな歌を歌って、夏のまわり燈籠のように、火のまわりを走っていました。
「狼森のまんなかで、
火はどろどろぱちぱち
火はどろどろぱちぱち、
栗はころころぱちぱち、
栗はころころぱちぱち。」
みんなはそこで、声をそろえて叫びました。
「狼どの狼どの、童(わら)しゃど返して呉(け)ろ。」
狼はみんなびっくりして、一ぺんに歌をやめてくちをまげて、みんなの方をふり向きました。
すると火が急に消えて、そこらはにわかに青くしいんとなってしまったので火のそばのこどもらはわあと泣き出しました。
狼は、どうしたらいいか困ったというようにしばらくきょろきょろしていましたが、とうとうみんないちどに森のもっと奥の方へ逃げて行きました。
そこでみんなは、子供らの手を引いて、森を出ようとしました。すると森の奥の方で狼どもが、
「悪く思わないで呉ろ。栗だのきのこだの、うんとご馳走したぞ。」と叫ぶのがきこえました。
夜じゃなくって真っ昼間。冬の初めじゃなくって春の終わり。季節も時間も違ったけれど、やっぱり森に遊んでもらったような感じがして、不思議と楽しい気持ちでした。
それでもガイドマップに載っていた、なだらかな緑の丘の写真の場所にも行きたくて、道を戻ってみることにしました。
ゆるやかな坂道を南に向かってしばらく下って行くと、まるで一本桜と見紛うような美しい景色が広がりました。
どうして登るときに気がつかなかったんだろう。
狐につままれた? いえいえ狼に遊んでもらったような不思議と愉快な気分がさらに盛り上がってしまった。道に迷ってしまったのにね。
一面の緑色の丘に一本桜のように立っているのは楢の木です。その向こうに広がる森が目指していた「狼森」だったのです。
「狼森と笊森、盗森」の物語の中で、カギとなる小物のひとつに粟餅(あわもち)があります。子供たちを探しに狼森に入って行く時には、武器にするために農具を手にしていた開拓農民たちでしたが、無事に子供たちを取り戻せると、
みんなはうちに帰ってから粟餅をこしらえてお礼に狼森へ置いて来ました。
となるのです。次の年の晩秋にも、やはり事件が起こります。そしてその次の冬を迎える季節にも。その間、年ごとに、開拓民たちの家族も収穫も増えていくわけです。あんまり詳しく説明すると、話の落ちまで分かってしまいそうだから止めておきますね。
宮沢賢治の「狼森と笊森、盗森」は自然と人の不思議な関わりが描かれた、なんだかいい匂いのする作品です。ぜひお読みくださいね。
(地図は載せずにおきますね。迷ってもらうのも楽しそうだから)
よろしければ、こちらもどうぞ。
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