先月29日、日本在住の外国の方との国際交流を促進するNPO法人が企画した「東京の紅葉ツアー」に参加してきました。訪れた場所は「明治神宮外苑」、「新宿御苑」、「小石川後楽園」です。前回、前々回では「明治神宮外苑」と「小石川後楽園」をご紹介しました。
今日は最後に「新宿御苑」をご紹介します。新宿御苑は東京都新宿区にある周囲3.5km、約18万坪の広大な庭園です。園内には「日本庭園」、「イギリス風景式庭園」、「フランス式整形庭園」、「母と子の森」といった庭園や林などがあり、緑にあふれた都心の中のオアシスです。
新宿御苑の歴史
新宿御苑のルーツは江戸時代初期、信州高遠藩主・内藤家の江戸屋敷にあると言われています。
1590年、豊臣秀吉から関東の地を与えられた徳川家康は、江戸に居城を定めると、現在の新宿御苑一帯を家臣の内藤清成に授けたそうです。与えられた土地は、7代目(※)の清枚(きよかず)が信州高遠藩の城主になった際にかなりの部分を幕府に返上したものの、明治にいたるまで内藤家が所有しています。
ちなみに余談になってしまいますが、内藤高遠家7代目の清枚が返上した土地の一部には新しく宿場が造られたそうです。当時、日本橋から甲府を結ぶ甲州街道の最初の宿場は高井戸にありましたが、日本橋から遠かったために新しく設置されることになったそうです。造られた宿場は「内藤新宿」と呼ばれ、現在の「新宿」の名称の由来になっているとのことです。
江戸時代が終わり明治に入ると、内藤家は土地を明治政府に上納しています。政府は内藤家の敷地に隣接した土地も買収して、近代農業振興するための農事試験場として「内藤新宿試験場」を造りました。
その後、内藤新宿試験場は明治12年(1879年)、宮内庁に所管を移して皇室の御料地・農園である「新宿植物御苑」へと変わり、さらに明治39年(1906年)、農園から庭園への大改造が行われ「新宿御苑」が誕生しました。
しかし、庭園に造りかえられた新宿御苑は、第二次世界大戦時の空襲により、旧御凉亭と御休所を残してほぼ全焼してしまったそうです。
戦後、新宿御苑は国民公園として運営されることなり、昭和24年(1949年)、一般に開放されて現在に至っています。
※6代目という説もあります。
【写真館】新宿御苑(日本庭園、イギリス風景式庭園)
広大で見どころが多い新宿御苑ですが、今回は「日本庭園」と「イギリス風景式庭園」を中心に見てきました。
ルートは、3つある出入口のうち、千駄ヶ谷門から入り、「芝生広場」→「日本庭園」→「イギリス風景式庭園」などを見て、大木戸門から出ました。
<日本庭園>
「日本庭園」は歩いて見て回る「回遊式」の庭園です。庭園内には「旧御涼亭」と呼ばれる建物があります。昭和天皇が皇太子であったときに御成婚を記念して台湾在住の日本人から贈られたもので、ここからの眺めは一見の価値があります。
第二次世界大戦の空襲により新宿御苑のほとんどが焼失してしまったなか、旧御凉亭は被害を免れた数少ない建物です。
日本庭園では、「上の池」を中心に散策路が造られています。所々にカエデの木が植えられており、鮮やかに色づいていました。
<イギリス風景式庭園>
新宿御苑の中心付近にある広々とした庭園です。庭園というよりも、気持ちの良い開放的な広場と言った方がイメージに近いかもしれません。
庭園都市の名残が残る「東京」
「自然」や「癒し」といったものから最も程遠い街と思っていた東京。今回、紅葉スポットを巡ってみると、思いもよらなかった東京の一面を見ることができました。
江戸時代、東京には300諸侯が庭園を備えた屋敷を構えており、庭園都市ともいわれていたそうです。以前、東京で8年以上働いていたにも関わらず、今回目にしたような光景が都心の真ん中にあるとは思いもしませんでした。東京の奥深さを痛感した一日でした。
東京には「浜離宮恩賜庭園」をはじめ、他にも多くの庭園があります。今後も折を見つけて、東京の庭園巡りをして魅力を見つけたいと思います。
新宿御苑
参考WEBサイト
Text & Photo:sKenji
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