マララさんの平和賞と国際ガールズ・デー

Rinoue125R

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ことしの国際ガールズ・デーは特別な日になりそうです。
なぜなら、国際ガールズ・デーは10月11日。10月10日の次の日だから。
世界中のこどもたち、女性たちの教育を受ける権利を命がけで訴えてきたマララ・ユサフザイさんのノーベル平和賞受賞が決まったその翌日のガールズ・デーだから。

世界には、とくに途上国を中心に信じられないほど抑圧された境遇を強いられている女の子がたくさんいます。男の子の兄弟は学校に行っているのに家の仕事をしなければならない女の子。ただ女の子だからという理由で。食べるものをあからさまに差別されて発育不良になっている女の子。ただ女の子だからという理由で。ティーンに満たない年齢なのに地域のしきたりのために結婚させられる女の子。その結果、命を落としてしまう女の子。働きに出された先で朝から晩まで働かされて、それでも1年間の賃金が数百円にしかならない女の子。性的虐待、もっとはっきり言って、ローティーンやティーンに満たない女の子をも含むレイプ。

教育を受ける機会を与えられず、読み書きもできず、自分の正確な年齢すら知らず、暴力によって服従を強いられ続けている女の子たち。

今年のノーベル平和賞に選ばれたマララ・ユサフザイさんは昨年7月12日、彼女の誕生日が「マララ・デー」に制定されたのを受けて、国連本部で次のように語っています。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、ひとつ覚えていてほしいことがあります。マララ・デーは私の日ではありません。きょうは権利を求めて声を上げたすべての女性、すべての少年少女の日です。 何百人もの人権活動家やソーシャルワーカーが、その権利を言葉で主張するだけでなく、平和、教育、平等という目標を達成するために日々闘っています。テロリストによって命を奪われた人々は数千人、負傷した人々は数百万人に上ります。私はその1人にすぎません。

ですから私は、多くの少女たちの1人としてここに立っています。

私の役割は、自分の権利を主張することではなく、声なき人々の声を伝えることにあります。

それは自分たちの権利、つまり平和に暮らす権利、尊厳のある取り扱いを受ける権利、均等な機会を得る権利、教育を受ける権利を求めて闘ってきた人々に他なりません。

マララ・ユサフザイさんの国連本部でのスピーチ(2013年7月12日、マララ・デー) | 国連広報センター

国際ガールズ・デーは、世界の少女たちが置かれた境遇を知り、彼女たちが自らの人生を取り戻し、夢や希望を持って生きていくことだけではなく、自立した彼女たちが他の多くの人たちを勇気づけ、ジェンダーの平等、あらゆる偏見と差別、暴力、そして貧困を世界中からなくしていくために何かを行う日です。

いろいろな思いや言葉がシンクロしていきます。ガールズ・デーの精神、マララさんの信念、さらにはキング牧師のこんな言葉も。

"Good people" の沈黙と無関心とが悲劇を蔓延させる。

どこか遠い国の可哀想な女の子たちの話ではありません。考えてみれば、差別や抑圧、暴力は私たちの近くにあります。男性の問題でもあるのはもちろんです。

マララさんの平和賞受賞をきっかけに現実の一端を知ってしまったいま、沈黙と無関心の状態でいられるでしょうか。問題は私たちに突きつけられています。

沈黙や無関心は、長く自分の中に積み重ねられてきた小さな無力感や諦めといった感情の塊とコインの裏表のように思います。ガールズ・デーが信じることを始める日になってほしいと思います。世界は変えていけるともう一度信じ始める日に。

 マララ・ユサフザイさん銃撃の日に思う
potaru.com

最終更新:

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  • J

    jina

    本当にいつもありがとうございます。
    すべての子供たちに教育を、すべての女の子に笑顔を!信じて一歩進みます。