「平和の父」が怒った安倍総理の「積極的平和主義」

Kazannonekko452

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「平和の父」と呼ばれるヨハン・ガルトゥング博士が怒っているらしい。

来日中のガルトゥング博士の言葉を新聞から拾ったリテラの記事によると(孫引きですみませんが…)

「おそらく安倍首相の言う『積極的平和主義』は日米の軍事的な同盟をベースとしており、日本が米国の戦争を一緒に戦うことになる。私の『積極的平和』と中身は違う」(東京新聞、8月20日付)
「(安倍首相は)私の言葉を盗んで正反対の戦争準備をしている」(沖縄タイムス、8月22日付)

安倍首相の「積極的平和主義」は盗用だった! 言葉をつくった世界的権威の学者が「正反対の意味で使っている」と徹底批判!|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見

そもそも「積極的平和主義」とはどんな意味の言葉だったのか。

貧困、差別、格差など構造的暴力が排除された状態が積極的平和

言葉は漢字ばかりで堅苦しいが、その意味するところはとてもわかりやすい。

平和といえば戦争のない状態と思われがちだが、それは消極的な平和にすぎない。戦争の原因となりうる差別や格差、貧困などの構造的な暴力(社会問題)がない状態こそが「積極的な平和」だというのである。

見方を変えれば、国連が繰り広げているさまざまな活動の根幹となっているのが積極的平和主義だといえるだろう。国際平和の維持を大目標として作られた国際連合がどうして「人種差別撤廃」や「食糧問題の解決」、「児童労働の撲滅」、「識字率向上などの教育」、「女性のエンパワーメント」などに力を尽くすのか――。

それは、それらが戦争につながる構造的な暴力の温床となるからだ。たまたま偶然に戦争がない状態ではなく、戦争の原因となりうる社会的、構造的な問題を積極的に解消していくことこそが、真に戦争をなくす道だからだ。

リテラの記事を引用する。

 つまり、平和について考える際、核軍拡にフォーカスした議論では飢餓や貧困といった開発途上国の問題は軽んじられてしまう。こうしたなかで、ガルトゥング博士は「積極的平和」という概念を提唱した。これが新しかったのは、さらに〈暴力の概念を、直接的暴力と構造的暴力とに分け、戦争を直接的暴力に、飢餓や貧困を構造的暴力に位置づけた〉ことだった。このガルトゥング博士の概念により、平和学は核軍縮や戦争の問題にとどまることなく、〈不平等や経済的不公平、社会的不正などといったものにまで、アプローチすべきものという認識が確立〉されることになったのだ(前出『はじめて出会う平和学』)。そのため平和学は、環境問題、ジェンダー問題、人権の抑圧、経済の問題など、さまざまな研究領域を含むことになった。

(2ページ目)安倍首相の「積極的平和主義」は盗用だった! 言葉をつくった世界的権威の学者が「正反対の意味で使っている」と徹底批判!|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見

これに対して安倍総理の積極的平和主義とはどういうものか。あらためて言うまでもないことだが、同じくリテラの記事から引用してみよう。

13年12月に閣議決定された「国家安全保障戦略」でも、「積極的平和主義」は日本の安全保障戦略の基本理念として掲げられているが、安倍首相はこの「積極的平和主義」を実現させるためには安保法案が必要だ、といま主張しているのだ。つまり、アメリカと一緒に有事の際の行動に参加し、海外に自衛隊を派遣して、さらなる武器使用を認める法案こそが「積極的平和」だと言っているのだ。──こんな意味で言葉を使われるとは、盗用どころか悪質な誤用であり、あらゆる戦争や紛争、貧困や抑圧をなくす方法を研究してきたガルトゥング博士が怒るのも無理もない話だ。

(2ページ目)安倍首相の「積極的平和主義」は盗用だった! 言葉をつくった世界的権威の学者が「正反対の意味で使っている」と徹底批判!|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見

リテラの記事は、今回の来日でガルトゥング博士は安倍総理との会見はかなわなかったが、昭恵夫人とは対談し、たっぷり平和学について伝えることができたと締め括られている。

個人的には、記事としてキレイにまとめるようなマターではないと思う。真の平和を目指す概念の名を、海外で戦争するための方便として、一国の首相が誤用・盗用していることはもっと強く非難せねばなるまい。

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