宮城県・松島湾を望むように建つ観瀾亭(かんらんてい)。
観瀾とは「さざ波を観る」という意味とのことで、その名の通り、海面のわずかな変化がわかるほど、海が近い。
江戸時代、藩主、姫君、側室などの松島遊覧や、幕府巡見使(※)等の巡視の際の宿泊及び接待用の「御仮屋(おかりや)」として使われていたという。
海沿いの岩盤の上に建てられた建物は、平屋建てで、開放的な作りとなっており、ここから眺める松島湾は、よりいっそう風情を感じることができる。
付近の名所を歩き疲れていた私は、観瀾亭の縁側に座り「ここで昼寝したら気持ちよさそうだな」と不謹慎なことを思い、ボォーと松島湾をしばらく眺めていた。大変落ち着く空間だった。
建物は当初、「月見御殿」と呼ばれていたという。歴代の藩主は、ここから松島湾と月を愛でながら、一献傾けていたのだろうか。そんな当時の風靡な光景を想像してしまう。
数百年前の歴史的建築物から、日本三景・松島湾を眺めることができる観瀾亭。建物をじっくり見に訪れるのもいいだろうし、のんびりと松島湾を眺めているだけでもいいかもしれない。
※幕府巡見使(ばくふじゅんけんし):江戸幕府が諸国の大名・旗本の監視と情勢調査のために派遣した上使のこと。
観瀾亭の歴史
観瀾亭は、戦国大名・伊達正宗が、豊臣秀吉から譲り受けた伏見城の1棟を江戸の藩邸に移築し、それを、2代藩主伊達忠宗が、1本1石も変えぬようにと命じ、海路、現在の場所に移したと伝えられています。建物について、松島町の公式WEBサイトには、下記のように書かれています。
建物は東西に向き京間18畳2室からなり四方縁をめぐらした簡素明快な建築である。
床の間の張付絵や襖絵は壮麗な極彩色で画かれており、柱間1間6尺5寸の京間であること、軽快な起りを持つ屋根からして桃山時代の建築であると考えられている。
藩主の納涼、観月の亭として「月見御殿」とも呼ばれたが、公式な記録によると藩主・姫君・側室等の松島遊覧、幕府巡見使等の諸国巡回の際の宿泊及び接待用の施設となる「御仮屋」として利用されていた。
江戸時代の終わりまでこの敷地内には藩主などに随行する侍の部屋、台所、馬屋など11棟あまりの建物が存在しており、観瀾亭はその中で一部分が現存しているもので我国でも貴重な建物である。
観瀾亭の詳細情報
観瀾亭付近には、国宝・瑞巌寺のほか、五大堂、福浦島、マリンピア松島水族館など、見どころがたくさんあります。なかでも、松島湾を巡る遊覧船は、すぐ近くの桟橋から発着します。乗船まで時間があるようでしたら、観瀾亭で松島湾を眺めながら、船を待つものいいかもしれません。観瀾亭で抹茶を飲むこともできます(※有料)。
■観瀾亭情報
【場所】宮城県宮城郡松島町松島字町内56
【定休日】無休
【時間】8時30分~17時(11~3月は~16時30分)
【料金】大人:200円、高・大学生:150円、小・中学生:100円
【問い合わせ】022-353-3355
【アクセス】JR松島海岸駅から徒歩約5分
【駐車場】なし
※観瀾亭に駐車場はありませんが、付近には有料駐車場があります
観瀾亭
参考WEBサイト
Text & Photo:sKenji
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