東北の春は遅い。5月の大型連休。みちのくは桜の花が咲き乱れていた。
行った先々で、桜の花びらが舞っている。
中尊寺金色堂がある奥州平泉へ車で目指す。花にあふれる田舎道を運転していると、遠くに白い雪を抱いた山々が見えた。「咲き誇る花と残雪の山」。心の奥にまで染み込んでくるような東北の風景だった。
平泉の歴史
平安時代、白河の関(現、福島県白河市)以北の東北を陸奥国といい、東山道のさらに奥の意味で「道の奥」とも呼んでいました。その「道の奥」の歴史上、最も栄華を誇ったと言われるのが、現在の岩手県・平泉に中尊寺などを建立した奥州藤原氏三代の時代でした。
奥州藤原氏は、後三年の役(1083~1087年)の後、陸奥国を治めた初代藤原清衡(ふじわらのきよひら)に始まり、その後、基衡(もとひら)、秀衡(ひでひら)、泰衡(やすひら)と、およそ100年間続きました。
豊富な金、馬、漆によって築いた巨大な財力を元に、当時、道の奥と呼ばれていた平泉に、争いのない平和な極楽浄土の建設を夢見て、中尊寺、毛越寺、無量光院などの数々の寺院を作りました。
しかし、栄華を誇った奥州藤原氏も、源義経をかくまったことを理由に、鎌倉幕府を開いた源頼朝に攻められます。そして1189年、4代泰衡が家臣の謀反によって殺害され、奥州藤原氏は滅んでしまいます。滅亡後、産出していた金も次第に枯渇して往時の勢いを失い、平泉は衰退していきました。
平泉観光について
中尊寺などの平泉の仏教寺院は、ユネスコに世界遺産として登録されています。世界遺産には「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」という名称で登録されており、金色堂で有名な中尊寺の他、毛越寺(もうつうじ)、観自在王院跡(かんじざいおういんあと) 、無量光院跡(むりょうこういんあと)、金鶏山(きんけいざん) の5つで構成されています。
上記史跡のほとんどは、それぞれが少し離れた場所にあります。そのため、時間のない方は、車を利用して回られたほうがいいと思います。しかし、時間と体力が許すならば、自転車や徒歩でゆっくりと一日かけて見て回ることを個人的にはおすすめします。自転車は現地でレンタルすることも可能です。
平和な理想郷を願い、京の都にも負けないものを作ろうとした夢の跡、平泉。
奥州藤原氏の想いが、今でも伝わってくる場所です。
中尊寺
中尊寺とは、山全体の総称であり、本寺である「中尊寺」と山内17ヶ院の支院(塔中、大寺の中にある小院)で構成されています。
850年、比叡山延暦寺の慈覚大師円仁(じかくだいしえんじん)によって開かれたと言われ、奥州藤原氏初代清衡によって、続いた戦乱の死者への慰霊と平和への願いを込めて大規模に造営されています。
中尊寺へは、月見坂と呼ばれる表参道から入ることをおすすめします。
月見坂の両脇には、伊達藩によって植えられた樹齢300~400年の杉の巨木が建ち並んでおり、歴史の重みを感じることができます。
表参道を歩いて行くと、小高く広い丘の上に弁慶堂、地蔵堂、薬師堂、本堂などが建てられています。表参道入口から15分ほど歩くと、中尊寺最大の見どころ、金色堂が見えてきます。お堂は、新しいコンクリート製の建物ですが、これは覆堂(おおいどう、さやどう)と呼ばれるもので1965年に作られています。金色堂は、この覆堂の中にあります。金色堂というと、きらびやかな金箔に目がいってしまいますが、夜光貝の細工や漆の蒔絵なども大変美しく、見ごたえがあります。
また、金色堂には、藤原清衡、基衡、秀衡の遺体、泰衡の首級(しゅきゅう)が安置されています。800~900年前の歴史上の人物が、目の前に眠っているかと思うと不思議な感覚になります。
金色堂からさらに歩いて行くと、経蔵(きょうぞう)、旧覆堂などがあります。個人的には「能舞台」に想像力が刺激されました。
中尊寺内にはいくつものお堂がありますが、小高い丘の上からの眺めも素晴らしいです。中尊寺敷地内にある東物見台という場所からの眺めがおすすめです。
<【東北の名所】みちのくの理想郷 ~平泉 その2~ へ続く>
中尊寺
参考WEBサイト
Text & Photo:sKenji
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