真栄原社交街の夜
23時。
僕は宜野湾の車道沿いをうろうろしていた。
辛うじてコンビニなどがあるものの、ひと晩を明かせそうなホテルや、24時間営業のお店は見当たらない。寝場所を求め、わざわざ那覇から宜野湾まで足を延ばしたと言うのに、その宜野湾で寝場所が見つからないから滑稽だ。
そもそも、明かりが少ない。
申し訳程度の街灯、車道を走り抜ける車、そしてコンビニ。それらからこぼれる光だけが頼りになるので、よそ者の僕にはなかなか心細かった。
……と、しばらく道を行ったり来たりとしているうち、不意に車の往来の多い路地を見つけた。繰り返すが、時刻は23時過ぎ。昼はともかく、夜はパッとしない郊外のような印象。それなのに、車がこれほど行き来しているのも、なんだか不思議である。
僕は吸い込まれるように、車が行き来する路地へと向かった。
路地に入った瞬間、そこは別世界だとすぐにわかった。
赤のような、紫のような、怪しく光る濃いめのネオン。昭和を思わせるような漢字2文字の看板から、ちょっぴり洒落た筆記体の看板まで、色々な看板を掲げた低い建物が立ち並ぶ。ただ、建物はどれも古めかしく、コンクリートの外装にところどころヒビの入った、なんだか乾いた印象。高さもせいぜい3メートル程度だ。
そして、その建物一軒一軒の玄関には、思わず見返してしまうような、綺麗な女性たちが座っている。
僕自身初見だったが、この場所がどういう場所か、なんとなく察した。ただ、こういうのは那覇のような繁華街にあるイメージだったので、この静かな夜の宜野湾の路地裏でこんな色町に出くわすなんて思ってもいなかった。(思えば、先ほど見かけた22歳未満お断りの「カフェー」などは、その兆候だったのかも)
僕と同世代、もしくはいくつか年上だろう若い兄ちゃんたちがぶらぶらと歩き、女性たちはそんな兄ちゃんたちを「どうぞ~」と手招きする。
遊びたいとまでは思えなくとも、この怪しい雰囲気の色町をぐるっと歩いて見て回りたい。僕はこの色町に似合わないほどの大荷物を背負っていたが、貴重品だけ取り出し、駐車場近くの暗がりへ、わからないように置いた。
大荷物をおろせば、Tシャツ、ハーフパンツ姿の僕。これで違和感がなくなった。
歩きはじめてしばらくすると、僕も他の男たちと同じように声を掛けられる。この類の「誘い」は経験したことが無い。
ただ、どう見ても衛生面において安心安全とは言えなさそうだし、そもそも僕は限られたお金しか持っていない。どっちにしても、この「誘い」に乗る気は無かったのだが、それでも、「誘い」そのものに悪い気はせず、むしろ若干気分の良いものだとさえ思えた。
この一帯は、住宅地の様相とも少し違う。当然と言えば当然だが。
低い建物に、煌びやかなネオン、周辺には広めのコインパーキングがいくつかある。ノラ猫から乗用車までもが、狭い路地のなか僕の前を横切っていく。唯一、蛍光灯の白色の灯りをともす食堂では、40~50代と思しき人たちが腹ごしらえをしていた。そのどれもがまるで映画のワンシーンのようで、どこか非現実的に思えてしまう。
やはり僕に行くアテはなかったのだが、歩いているだけで、今までにない独特な味わいを感じさせられた。
そんな空気が一変したのは1時を過ぎたころ。
ウィィンウィィンとサイレンが鳴り響いたのだ。
驚いた。そもそもこの一画にサイレンが備わっていたこと自体、そこで初めて知ったのだが、サイレンが鳴るやいなや、さっきまで愛想を振りまいていた女性たちが一斉に立ち上がり、ネオンの電気を落として扉を閉めたのだ。
それはわずか15秒足らずのこと。
そして、そのさらに15秒ほど後、音は鳴らさずパトランプだけを光らせたパトカーが、僕の横を通っていった。
よくわからないが、なんとなくわかる。実際何をしてなくとも、パトカーの接近は怖い。なんとも言えない緊張感。それまでの艶やかな雰囲気はなく、暗い深夜の乾いた路地を若い男たちがだらだらと歩く、ただそれだけの不思議な風景。パトカーが通り過ぎると、小さ目の勝手口から出てくる男性もいた。
15分ほど、そんな状況が続いたのち、ふたたびネオンがともり出す。まるで何事も無かったかのように扉が開き、やはりじっと眺めていても飽きないような美人女性たちが、軒先で愛想を振りまき始めたのだった。
ひとしきり歩いたあと、僕はこの社交街を出ることにした。
先ほどの県道に出る手前、上を見上げれば「真栄原社交街」という看板を発見。後で調べてみたところ、ここは沖縄県下最大の遊郭街だと知った。
時刻は3時過ぎ。
僕は先ほどのコンビニの壁際に寄りかかり、2時間ほど仮眠をとった。
-------------------------------------(※)宜野湾・真栄原社交街
戦後、アメリカ統治下にあった沖縄において、いくつか形成された米兵相手の歓楽街のうちのひとつ。いわゆる “ちょんの間” 。その後、日本人相手への社交街へと変わり、沖縄県下最大規模となった。その界隈では有名な歓楽街だったらしい。
この出来事は2009年4月当時のこと。これ以後、ほどなくして「浄化作戦」が敢行されたらしく、現在の一帯は活気を失ったゴーストタウンと化しているという。
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朝5時過ぎ。目を覚ました僕は、自分でもびっくりするほどお行儀よく座っていた。
寝床もなく疲れ果てたとは言え、よくもコンビニの壁際で寝られたもんだと、自分のその姿にも驚いてしまう。そのまま立ち上がり、店に入ってコーヒーを買った。淫靡な夜とは対照的な、さわやかな快晴だ。
「沖縄の朝は遅い」なんて言うが、それでも車は忙しなく走っている。朝日の方向に手押し車を押すオバアちゃんが、見ず知らずの旅人の僕に「おはようございます」と挨拶をしてくれた。慌てて僕も挨拶を返す。おそらく、真栄原のいつもの朝の光景なのだろう。
僕は、6時にやってくる那覇市内行きの始発バスを待った。
(おわり)
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