南大東島・北大東島 - クレーンで渡る!さとうきびの島(沖縄・大東諸島)

shima

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沖縄だけど、ひと味ちがう雰囲気がただよう

 沖縄本島から東へおよそ360km。海から高く突き出たような島々があります。沖縄本島より「はるか東の島」、大東諸島です。古くは方言で「うふ(大)あがり(東)島」と呼ばれてきました。有人島の南大東島、北大東島、そしてその2つの島からさらに南へ位置する無人島の沖大東島、これらをまとめて大東諸島と呼びます。 有人の南北大東島はどちらも断崖絶壁の島。断崖絶壁なあまり、接岸できないため、クレーンで渡る島なのです。工事現場で見るようなクレーンです。これに乗るだけでも、話のネタになること間違いありません。飛行機でもアクセス可能ですが、船の発着は出来れば見ておきたいところです。

 どちらかと言うと南大東島の方が大きく、やや観光地化が進んでいますが、どちらもさとうきび畑が広がる静かな島。エメラルドブルーの海、カラッとした土を覆い尽くす亜熱帯性の植物、天上の低い民家群はやっぱり誰もが知る沖縄の昔懐かしい風景です。近年は飛行機の就航でそれなりに観光客も増えました。しかし、かつては観光客が島を歩くだけで職務質問されるほどだった・・・なんて笑い話も。 島は固有動植物の宝庫。植物ではダイトウビロウやダイトウシロダモ、動物ではダイトウヒヨドリ、ダイトウメジロ、ダイトウオオコウモリ、ダイトウヒメハルゼミ・・・などなど。何かと頭に「ダイトウ」が付きますが、その背景には大東諸島の成り立ちの歴史が大きく関係するのです。

 今から4800万年前、赤道直下のニューギニア付近で誕生したと言われる大東諸島。4800万年という気が遠くなるような年月をかけ、3200kmの距離をプレートに乗って移動してきたのだとか。今なお年間7cmほど移動していると言われています。またかつては海底火山で、今も島の周囲は海溝。たった10km程度しか離れていない南北の大東島の間でさえ、1km近い深さがあると言われているから驚き・・・! さらに食べ物や方言、テレビなど・・・、大東諸島の文化に注目していると沖縄のそれとは少し違うことを実感します。こちらも後述!

 沖縄だけど、どこかひと味違う。語り尽くせばキリがない大東諸島の奥深さをぜひどうぞ!

大東諸島の見どころ

フェリー「だいとう」からの上陸

 「断崖絶壁」と言えば・・・。眼の前は絶景。しかし眼下には数メートル下の景色が見え、思わず足がすくんでしまう・・・。そんな切り立った崖をイメージするかと思います。そして、全国には「断崖絶壁の島」とも呼ぶべき島がいくつかあり、それぞれ生活が営まれていたりするのです。

 大東諸島の南北大東島もそんな「断崖絶壁の島」。「一体どうやって上陸するんだ」と思ってしまいますが、なんと人々は鉄製のカゴに入り、クレーンに持ち上げられて上陸するのです。人々はもちろん、物資だって、野ヤギだって、小型船だって、全てクレーンで持ち上げられます。 それもそのはず、南北大東島は浜と呼べる場所も無く、船が接岸できる場所でさえ、かなりの高位置!!特に北大東島の西港は海抜12mの高さの港で日本一だとか!!そしてクレーンは意外なほど高く持ち上げ、船から港への空中を運んでくれます。最初はカゴに乗るところからわくわくするものですが、持ちあがるとだんだん人々が小さくなり・・・。

 大東諸島へは飛行機も就航していますが、時間が許すようなら船は必見です!

世界トップクラスの空路

 一方飛行機でもアクセス可能な南北大東島。時間の都合などで船に乗れない方も、「飛行機だからつまらない・・・」と思うことなかれ、こちらは何と世界一の空路を持っています。

 南北大東島にはそれぞれ空港があり、那覇空港から両島の間を結んでいます。いわゆるコミューター路線(小型航空機を用いる近距離路線)です。注目したいのは、この所要時間。およそ350kmを平均1時間15分で結ぶそうですが、これはコミューター路線としては世界最長なんだとか。船に乗った人に自慢されたら「飛行機だって・・・」と言い返せるかも・・・? また10kmしか離れていない南北の大東島ですが、こちらも飛行機が結んでいます。たった10km。所要時間は10分程度とされてますが、条件が揃えばもっと早く、5分もかからないそう。嘘か誠か、フライト時間よりも客室乗務員の設備の説明の方が長いという笑い話も。

八丈島文化

 述べてきたように断崖絶壁の南北大東島。明治時代までは無人島でした。長い歴史の中で人が漂着した例は何度かあったそうですが、その険しい岩礁に阻まれ続けたそうです。そこをようやく開拓したのが、大東諸島のさらにはるか東、東京・伊豆諸島の八丈島の実業家、玉置半右衛門が指揮を執った開拓団でした。 八丈島から出発したものの、幾たびと船を襲った暴風雨や時化の末、ようやくたどり着いた島も断崖絶壁。そこをよじ登っても熱帯の密林という、自然の厳しさが全開の島だったそうですが、それはまた別の話。まずは男性ばかりの開拓団が住みつき、やがて八丈島からの便で女性が来島して子供が生まれ、さらにさとうきび栽培に長けた沖縄を中心に各地から労働力として人々が集まります。こうして島の文化が築かれていきました。

 島では方言として「おじゃりやれ」、また郷土料理として「島寿司」を見聞きすることがあります。これはどちらも八丈島を中心とした伊豆諸島の文化。ほかの沖縄では見られません。こういう歴史が見え隠れするのも、大東諸島の面白さです。

北大東島

【名 称】

北大東島(きただいとうじま)

【所在地】

 沖縄県島尻郡北大東村
maps.google.co.jp  

(地図)

【面 積】11.94㎢

【周 囲】

18.3km

 上述の実業家・玉置半右衛門によって製糖工場が建ち、開拓初期より栄えた島です。最盛期は4000人近い人口を抱えました。 玉置半右衛門の死後は、事業を継いだ息子たちの不手際が祟り、事業は東洋製糖(現・大日本明治製糖)へと売却されます。島はそのまま社有島となってさとうきび栽培が栄え、かつて築き上げていたノウハウが活かされました。現在の大日本明治製糖の発展へと繋がっていきます。並行してリン鉱業も行われていました。戦後は製糖会社から離れて沖縄県下に属し、現在に至ります。

 さとうきび畑が延々と続く風景や、燐鉱石貯蔵庫跡から見る夕陽は、当時の生活を感じさせる北大東島ならではの景色!!歴史と景色が調和する沖縄最東端の島なのです。

景色を楽しむ

上陸港跡

1903年(明治36年)、玉置半右衛門率いる開拓団がやっとの思いでたどり着いた場所。荒々しい岩にエメラルドの海が美しく、心地よい風が吹きます。今は歩道が敷かれ、海の近くまで降りることができますが、長時間の航海の末、この崖を這って島を登った開拓団を想像すると、それはもう「さすが」の一言。

玉置半右衛門の碑

島の開拓者、八丈島出身の玉置半右衛門の業績を称えた碑。しかし破天荒な性格だったようで、彼の指揮のもと満身創痍のなか働いた開拓団が真の功労者と見る人も。毎年11月にはそんな開拓団を偲んで祈りが捧げられます。

西港

現在の北大東島の玄関口。ここから船が発着します。12mの高さを誇る岸壁は日本一。クレーンで吊るされて船へ渡ります。

燐鉱石貯蔵庫跡

戦後まで続いた燐鉱石採掘事業。出稼ぎの労働者も含め島の主産業として発展しました。現在は閉山しましたが、当時の繁栄を物語るかのようなレンガ造りの廃墟が哀愁を漂わせます。同時にここは島内でも1、2を争う夕陽の名所。どういうわけか、廃墟と夕陽の組み合わせは相性の良さを感じさせられます。

大東宮

開拓団により創建された神社。夜になると天然記念物のダイトウオオコウモリが飛び回ります。

長幕(ながはぐ)

これぞ大東諸島の険しさを象徴するかのような存在!!名前の通り、まるで幕のように東西へ広がる崖であります。その長さは実に1200km。特に近年は外来植物の侵入も目立つ大東諸島ですが、ここは崖のため、伐採や開発とは無縁のまま現在に至るそう。そのため、固有植物が残存する貴重な場所として大切にされています。1972年(昭和47年)には、それまで小笠原諸島・母島の固有種だと考えられていたヒメタニワタリが発見され、注目を集めました。当然、他の沖縄の島々では見られないものであり、大東諸島が長年の歳月を経て大移動してきたことを物語っています!

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