2013年の9月1日
◆関東大震災から90年
東京・墨田の横網町にある東京都慰霊堂で大法要が行われた。現在横網町公園になっているこの場所は関東大震災で、東京市内の死亡者の約半数にあたる3万8000人が亡くなった元陸軍被服廠の跡地。
地震発生が午前11時58分で昼食時だったこと、能登半島付近に台風があり風が強かったこともあり多数の火災が発生。この場所で火災旋風に発達し、多くの人々の命を奪った。
広く官民から集めた寄付によって、昭和5年に震災記念堂として完成。東京市に寄贈され、震災時の身元不明の遺骨が納められた。その後、東京大空襲で犠牲となった身元不明者の遺骨も合祀され、東京都慰霊堂と名称を改め、今日まで祭祀が行われている。
◆防災の日
関東大震災が発生した9月1日にちなみ、防災への備えを忘れないようにと1960年に制定された。
この日を中心に各地で避難訓練などの防災訓練が行われた。
・岩手県沿岸部では、障害者や寝たきりのお年寄りなど支援を必要としている人たちを安全に避難させる訓練が行われた。逃げるために支援を必要とする人たちを安全に避難させることは、東日本大震災後、大きな課題として浮かび上がっていた。
・静岡県の総合防災訓練では、震度7の大地震と富士山の噴火を想定した避難訓練が行われた。
・政府の総合防災訓練では、南海トラフの巨大地震を想定し、食料や医薬品の需給調整など、「経済」の維持を念頭においた訓練が行われたという。
・福島県では3年ぶりの防災訓練が行われた。安達太良山付近を震源とするマグニチュード7.0の地震と火山活動を想定し、二本松市などの会場で訓練が行われた。
ただし、福島県として実施した訓練では「原子力災害」は考慮されなかった。
※
汚染水問題など原発の問題は現在進行形であるにも関わらず、訓練項目から外されたことが理解できない。あたかも原発では事故は起こりえない、という「安全神話」が、今も生き続けているようにすら見える。
原子力災害は現に発生し、いまそこで進行中のアクシデントだ。福島県民はもちろん全国の人々がその脅威にさらされている。
住民に余計な心配を掛けたくない、混乱を避けるためといった思惑から、こんな重要なテーマが外されたのだとしたら、そんなひどい話はない。原発では事故は起きる(現に起きたのだから当然だが)という前提に立ち、シビアアクシデントが発生した際にも、住民と国民、世界中の人たちを守るための訓練を、知恵を絞って真剣に行うべきだと考える。
◆福島で川俣シャモまつり開催。「世界一長い丸焼き」も!
福島県認定地鶏「川俣シャモ」を打ち出したイベントが、8月31日と9月1日の2日間にわたって開催された。
イベントでは、ブランド地鶏80羽を1本の串に刺し連ねた世界一長い丸焼きや世界一長い焼き鳥も登場。場を盛り上げた。
原発事故後、川俣シャモの売り上げは1割ほど落ちたと伝えられている。
(福島民報 http://www.minpo.jp/pub/topics/odekake/2013/09/post_3830.html)
楽しいイベントの開催も、地場産品による「経済」も、原発事故が信頼できる形で本当の収束に向かって進んでいくことが大前提であることは言うまでもない。
歴史の中の9月1日
1189年
壇ノ浦の合戦(1185年)で平家を倒した源頼朝が、奥州平泉の藤原泰衡追討のために鎌倉を出発する。
「奥州征伐」という呼び方は吾妻鏡の記載によるもので、「奥州合戦」という呼び方が一般的。頼朝が全国から武士を動員した点で、御家人制度が確立する上で大きな意義があったとされる。また、千葉氏、三浦氏などの坂東武者の子孫が東北地方に定住するきっかけとなった出来事でもあったと考えられる。
1891年
日本鉄道本線(日本初の私鉄で、1906年の鉄道国有法によって国有化。国鉄の一部となる)の上野駅-青森駅間(現在の東北本線)が全通する。
1904年
与謝野晶子が雑誌「明星」(集英社のアイドル雑誌ではない)に、長詩「君死にたまふことなかれ」を発表する。日露戦争(1904年~1905年)の旅順攻撃のため中国に渡った弟を嘆いた。
君死にたまふことなかれ
(旅順の攻囲軍にある弟宗七を歎きて)
ああ、弟よ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ。
末(すゑ)に生れし君なれば
親のなさけは勝(まさ)りしも、
親は刄(やいば)をにぎらせて
人を殺せと教へしや、
人を殺して死ねよとて
廿四(にじふし)までを育てしや。
堺(さかい)の街のあきびとの
老舗(しにせ)を誇るあるじにて、
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ。
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事(なにごと)ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家(いへ)の習ひに無きことを。
君死にたまふことなかれ。
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出(い)でまさね[#「出でまさね」は底本では「出でませね」]、
互(かたみ)に人の血を流し、
獣(けもの)の道(みち)に死ねよとは、
死ぬるを人の誉(ほま)れとは、
おほみこころの深ければ、
もとより如何(いか)で思(おぼ)されん。
ああ、弟よ、戦ひに
君死にたまふことなかれ。
過ぎにし秋を父君(ちゝぎみ)に
おくれたまへる母君(はゝぎみ)は、
歎きのなかに、いたましく、
我子(わがこ)を召(め)され、家(いへ)を守(も)り、
安(やす)しと聞ける大御代(おほみよ)も
母の白髪(しらが)は増さりゆく。
暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかに若き新妻(にひづま)を
君忘るるや、思へるや。
十月(とつき)も添はで別れたる
少女(をとめ)ごころを思ひみよ。
この世ひとりの君ならで
ああまた誰(たれ)を頼むべき。
君死にたまふことなかれ。
1923年
フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテルの新館の開館式とされた日。式準備の最中に関東大震災に見舞われる。周辺の建物の多くが倒壊したり火災に見舞われる中、ライト設計の帝国ホテルは軽微な被害のみだったという。
建築工事費用が膨張したことで責任を問われ、施工監理を退任させられていたライトは、帰国した米国でこの知らせを聞いたという。
1939年
ナチスドイツがポーランドに侵攻する。ドイツ外相とソ連外相による「独ソ不可侵条約」調印から9日後の唐突な侵攻だったが、独ソ間にはポーランドの分割占領という秘密の合意があったとされる。
ポーランドと同盟関係にあった英仏両国は、9月3日にドイツに対して宣戦布告。第二次世界大戦に発展する。
1974年
軍艦ではない船としては世界的にもきわめて珍しい原子力船むつが、試験航行中に放射線漏れ事故を起こす。
むつは母港であるむつ市大湊に帰港しようとするも、市民の帰港拒否により母港を失ったむつは、その後16年にわたり各地を転々としながら改修を受け続けた。
放射線漏れ事故の際には、中性子線を吸収するホウ酸を入れたご飯を炊き、おむすびにして、修復すべき箇所めがけて投げつけて放射線漏れを収束させたという話が伝わる。
1983年
大韓航空機撃墜事件。NYのJFK空港から韓国金浦空港へ向かっていた大韓航空機(ボーイング747-230)がソ連領空を侵犯。ソ連防空軍のSu-15TMがミサイル攻撃により撃墜。269人全員死亡。
大韓航空機は針路が逸れていたことに気づいておらず、スクランブル発進したソ連機にも、ソ連機による威嚇射撃にも気づかなかったことが、冷戦終結後に明らかにされたフライトレコーダーとボイスレコーダーの記録などから明らかになった。一方ソ連機は暗がりの中で機種の特定ができないまま、スパイ飛行の疑いから攻撃を行ったとされる。
1985年
処女航海で氷山に衝突し沈没したタイタニック号が北大西洋沖の海底で発見される。
2000年
三宅島の噴火で、全住民に島外への避難指示。
2013年
宮崎駿監督が長編映画の製作から引退することを、スタジオジブリの星野康二社長が発表する。
誕生
1723年 三浦梅園、江戸時代の思想家
1862年 新渡戸稲造、教育者
1889年 国吉康雄、画家
1904年 幸田文、小説家
1935年 小澤征爾、指揮者
忌日
1915年 井上馨、元老。外務卿、農商務大臣、内務大臣などを歴任(1835年~)
1934年 竹久夢二、画家(1884年~)
1990年 エドウィン・O・ライシャワー、歴史家、外交官。1961年~66年、駐日アメリカ大使を務める。誕生は1910年。生誕地は東京白金台の明治学院内の宣教師住宅だった。
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