その人は自分のことを“おっさん”と呼び、僕にも“おっさん”と呼ぶことを強制してくる。もう60代半ばと言うのに、その“おっさん”はやたらと無邪気な人だった。
強制的に外へ連れ出すおっさん
2008年の4月ごろ、西表島の宿で住み込みで働くことになった。大学を休学していた当時、大した蓄えも無いまま一人旅に出た僕。「お金が無くなれば現地で住み込みで働く」という、行き当たりばったりな旅の結果、僕は西表島に3か月ほど滞在することになったのだ。
ちょうど西表島ではゴールデンウィークを間近に控え、忙しくなりそうな気配が漂う時期。4月じゅうに仕事を覚え、5月の忙しい時期を乗り越えなければならなかった。
最大で50人近く宿泊可能な宿だったと思う。そのうえ、仕事はかなりハード。ゴールデンウィーク期間の1週間程度はスタッフも8人と充実していたが、その前後は3~4人。ゴールデンウィークをあえて避けるお客さんが非常に多く、常時満室状態が1か月近くも続いたのだ。その期間、休みは1日もなく、僕は仕事が終わればへとへとになってそのままベッドに突っ伏していた。本や勉強道具も一応持っていたが、ページを開く気力も余裕もあまりなかったと思う。
唯一、のんびりできたのが、朝の掃除が終了し、夕食の準備が始まるまでの3時間ほどの休憩時間。この時間だけは、自由に過ごすことが出来た。とは言え、夏が近づく西表島の暑さに加え、体力はとことんすり減っているものだから、基本的に木陰で誰かと話すか、近くのスーパーでスポーツ新聞と冷やしパインを買うか、くらいしかしなかった。
そんな僕を見かねたのが、とある常連らしきお客さんである。宿の外でコーヒーを飲みながら本を読んでいると、突然話しかけてくれた。
「おいおい、こんないい天気なのに読書なんかして!馬鹿になるぞ」
前日から宿に宿泊している男性だ。年齢は60代半ばと言うが、そうは見えないほど見た目が若く、背はそれほど大きくないが、かなりムキムキな人だった。話しているうち、「若い奴がこんなとこでフケこむな!」という話になり、僕は強制的に外へ連れ出されてしまった。西表島に来ておきながら、仕事に追われるあまりロクに遊んでいない僕。どうやらそれがもどかしいらしい。「いや、あんまり疲れると仕事に影響するんで・・・」と僕が言うのに、まるで聞きやしないのだ。
西表島は意外と広い。2~3時間ほどの休憩時間だけで遊ぶのはなかなか難しいところである。それでも、おっさんはどこからか車を持ってきて、僕を乗せては効率的に移動するのだ。常連とは言え観光客だろうに、なんでそこそこ使い込んだ車を運転しているのだろうか、この人は。
体力のカタマリのようなおっさん
こうして僕は上原小学校近くのよくわからない浜に連れて行かれた。特に名前のない浜らしいが、ここからの海景色は抜群だという。
「よし、じゃあここからあのブイまで、どっちが泳げるかおっさんと勝負しよう!」
おっさんは息巻いているが、僕は疲れた身体とついさっき腹いっぱい食べたソーキソバのお蔭でいまいち乗り切れない。けれど、ここまで付いてきた以上、付き合うしかないようだ。浜から向こうに見えるブイまでを往復する競泳らしい。
僕は幼少から小学生までスイミングスクールに通っていたので、ひと通りそれなりに泳げるのだが、いかんせんスピードが出るような泳ぎは出来ない。一方のおっさんは、60代半ばとは思えないほど鍛え上げられた身体でスイスイ泳いでしまい、あっという間に折り返し地点のブイに到達していた。と思ったら、何を考えているのかブイを通り抜けて沖まで泳いでいった。
大丈夫なのかと思ったが、おっさんより泳ぐのが遅い僕はとりあえずブイに到着。するとおっさんはようやく折り返し、猛スピードで泳いできた。結局、またもあっさり抜かれ、おっさんよりも1分近く遅れて僕は浜へ到着した。
「ハンデまであげたのに・・・。おっさんの圧勝だね!」
おっさんはまさに得意満面のドヤ顔。それでも僕がへばっていると、おっさんは「海で捕まえた」というウミヘビを僕の目の前に垂らしてきた。ウミヘビなんて見たことない僕が腰を抜かすと、まぁ子供みたいにケラケラ笑うのだ。本当、なんなんだろうか、このタフで無邪気なおっさんは。
その後、おっさんは2週間に1回、2~3泊のペースで西表島にやってきた。北海道に住んでいるらしいのだが、よくこんな頻度で島に来るもんだと感心してしまう。なんでも大手航空会社の元パイロットらしく、「金はあるんだよ」と笑っていた。
そしてやはり、休憩中の僕が標的にされ、色々と連れて行かれた。マリュドゥの滝を歩いたり、ピナイサーラの滝をカヌーで進んだり、船でバラス島へ行ったり、よくわからない場所でホタルを見たり。僕は「ちょっと今日は勘弁してくださいよ・・・」みたいなことを言うのだが、
「なに言ってるんだよ~。行ける時に行っておかないと」
が、おっさんの口癖だった。それ以外の時間もどこかへ出かけている様子なのだけれど、休憩時間の頃にはどういうわけか僕を引っ張り回してくれる。理由はよくわからない。恐らく、気に入ってくれているのだろうと思っていた。
メールした翌日に会いに来てくれたおっさん
6月も半ばに入ると、移動ができるだけのお金が溜まってきた。食いつなぎながら、数週間程度はイケそうだ。そろそろ次の場所へ行こうかと考え、オーナーと「いつまで働く」という旨の会話を済ませる。最終日が決まったので、お世話になったおっさんにもメールをしておいた。
おっさんは翌日にやってきた。さすがにもう会わないだろうと思っていただけに、正直びっくりしたのだが、思い立ってすぐに移動手段を確保するあたり、本当にお金持ちなのだろう。ただ、おっさんがわざわざ来てくれたからと言ってやることは特に変わらず、休憩時間に連れ出され、海へ行ったり、ランニングに付き合わされたり。それ以外の時間も相変わらずどこかへ出かけている様子だった。
西表島は更に暑さを増してきた6月。さすがのおっさんもバテたようで、氷で頭を冷やしながら談話室でぐったりしていた。僕はここぞとばかりに「もうトシなんだから無理しない方がいいですよ(笑)」とからかってやったのだ。
「エラそうに。黙ってろよ」
おっさんは笑いながらそう返してくれた。
おっさんの訃報を聞いたのは、その翌月のことだった。西表島を出たあと、僕は竹富島を観光した。そこの宿で知り合ったのが、先日まで西表島に長期滞在していたという女の子。僕と同じく、西表島でおっさんに連れまわされたということで盛り上がりかけたのだが、その盛り上がりを遮って、そんな話を聞かされたのだ。西表島の常連客だったおっさんは、一人旅で島を訪れる若い人を、遊びに連れまわすのが楽しみだったらしい。ここ数年は体調が悪かったようで、先が長くないと悟っていたそうだ。
そんな中で、ここ最近は僕やその女の子のことを特に気に入ってくれていたらしい。僕の休憩時の前後には彼女のところへ遊びに行き、カヌーやトレッキングに出かけていたそうだ。女の子が相手でも、ハードなメニューを緩めることはないようだ。
「行ける時に行っておかないと」
僕を連れ出すとき、おっさんがよく言っていた台詞が思い出される。あの言葉にもきっと色んな意味があったのだろう。たしかに、せっかく大学を休んで島に来たのに、仕事に疲れてバテていてはもったいなかった気がする。さすがに、おっさんは強引すぎたし、僕も遊び疲れたおかげで仕事中に倒れたりしたのだけれど・・・。
「もしかしたら、何か伝えようとしてくれていたのかも知れないね」
と、彼女が言った。
僕はこの日から、何事に対しても重い腰を上げる頻度が増えた気がしている。
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