子供たちが残す「この島で見た景色」
山地さんに連れられ、島の学校へ。金岳(かながたけ)小学校・中学校は口永良部島唯一の教育機関でもあり、17人の児童・生徒が学んでいると聞きました。いわゆる典型的な離島の小規模校という印象ですが、教職員を含めると、学校関係者は30人にも及ぶことになります。それはつまり、この島のおよそ5人に1人が学校関係者ということ。そう考えると、学校の存在の大きさは計り知れません。
校庭では生徒3人と先生が何やら外で作業をしていました。
「卒業制作でして」
と先生。この日は3月下旬。体育館前のタイルには青い海を泳ぐ魚たちとウミガメ、それに3人の生徒が描かれています。小学校5、6年生の複式学級の3人。同時に小学校を卒業というわけではないようですが、この3人で暮らす時間はあとわずかということが伝わってきました。
また、この光景を見ていると、この学校の子供たちのおよそ半数が、都会には無いものをこの島に求めてやってきた、いわゆる山海留学生だということをふと思い出しました。留学生には留学期間があり、卒業しても進学先の学校で再会するということはまずありません。いや、この島を離れてしまうと、学校どころか生活圏で日常的に会うこともありえないはずです。また、たとえ口永良部で生まれ育ってきたとしても、高校のないこの島では、中学卒業と同時に子供たちは島を離れていくことになるでしょう。
そんなことを思うと、彼らが今、一緒になってタイルに絵を描いているこの瞬間が、どれほどかけがえのないものかと考えてしまいます。
この島ではウミガメが見られるのでしょうか。そして、子供たちはそれを見てきたのでしょうか。小・中学生の時期にこの島に触れたこと、それは間違いなく財産になるはずです。そう思うと、彼らがとても羨ましく思えてしまいました。
長老が伝える口永良部島の大自然
島を巡っている最中に出会ったのが、口永良部島の長老・畠盛杉(はたけもりすぎ)さん。薄青の作業着を着こなし、農具を背負って山道を歩いているものだから、てっきり農作業でもされているのかと思ったのですが、どうも少し違うようです。
「公園をつくっているんだよ」
と盛杉さんが笑いました。
公園は竹林に覆われた小道の先。公園と言うからには遊具でも備えているのかと思ったのですが、そういうわけでもないみたいです。そこは竹林の中の開けたスペースで、大根、白菜、らっきょう、ねぎといった野菜の苗が植えられており、3月のこの日はきゅうりの芽も出ていました。近々かぼちゃの苗も植えると、盛杉さんは言います。
聞けば、元々は竹林だったこの場所を、盛杉さんが1人で伐開して作ったとのことです。見るからに堅そうな竹を1本1本切りながらの作業は、高齢の盛杉さんでなくとも厳しいだろうと想像してしまいます。驚いたのは、これだけのスペースを確保することに3年かかったということ。そして、それを1人でやり行った盛杉さんが、現在91歳であるということ(!)。あまりに凄いので、どうしてもこの人のお話が聞きたくなりました。
ご自宅にお邪魔したいと申し出ると、快く応じてくれた盛杉さん。実は自宅で1人暮らしをされているというから、これまたびっくりです。
生まれも育ちも口永良部島という盛杉さん。今よりも島民が多い時代、歩けば2時間以上かかる本村集落の金岳尋常高等小学校(当時)へ通う幼少期を過ごしたと言います。多くの島民が自給自足の生活を送るなか、「俺も、家に帰ったら水汲みやら、ランプの掃除もしたし、牛や馬やヤギや豚や色々飼っていたからその世話もさせられた」とのこと。戦争や出稼ぎといった都合で一時的に島を離れたことはあるものの、「結局はエラブに戻ってくる」と言います。
島での仕事はもっぱら農業。ご自宅には立派な農機具がいくつか置いてありました。
「気が付けば91年生きて、エラブの最高齢と呼ばれるようになった」
と盛杉さんは胸を張ります。
「ある日、ここの地主が土地から宅地から全部譲ってくれたんだけど」
と盛杉さん。譲り受けた土地のひとつは荒れ放題の竹林だったそうです。
「少し竹を刈ってみると、海がよく見える。部落も見えるし、新岳も見える。これを見たとたん、ここを立派な公園にしたいと思ったんだよ」
作業を始めて2年が経ち、ようやく満足のいくスペースが確保できました。次第にその地道な活動は注目を集め、作業中は島民や観光客にも声を掛けられるようになったそうです。
「口永良部島が私たちを育ててくれた。この素晴らしい大自然を眺めたとき、何の恩返しができようかと思って。あと何年生きられるかはわからないけど、木の一本でも作ってみようかと思ってやっているんだよ」
盛杉さんが言葉に力を込めるほど、その意気込みの強さが伝わってきます。が、そうかと思えば、今度はその力強さを崩した嬉しそうな表情で、ある色紙を見せてくれました。そこには、盛杉さんと子供たちが一緒に写っている姿があります。なんでも、毎年秋、島の子供たちを公園に招き、芋ほり体験をさせるのが島の恒例行事なのだとか。これが盛杉さんの年に一度の楽しみだそうです。
「これが、ケンタで・・・、モエ、リョウマ・・・」
孫のいない畠さんにとって、島の子供たちは何よりもかわいい。山海留学生も多く、現在は島を離れてしまった子供たちも多いと思われます。だからこそでしょうか。メッセージ入りの色紙は何枚も残してありました。
「この島を見守ってくれる子供たちが、この島の宝やで」
この島に生まれ、この島で育ったからこそ、残し、伝えたいものがあるのかも知れません。
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