離島留学制度の問題点と課題

tanoshimasan

公開:

1 なるほど
7,985 VIEW
0 コメント

 → 離島留学制度より → 離島留学制度の利点と学びへ

「離島留学制度」、続かなかった島

 離島留学制度は山村留学制度の派生型と言えますが、ネット上の資料をかき集める限りでは、1990年代よりちらほらと見かけるようになっています。比較的古くより、先駆けて取り組んでいた島や自治体もあったようです。「あった」というのは、様々な事情で現在は制度が廃止になっていることを指すのですが、今回は離島留学制度が続かなかった島を見ていきたいと思います。

利尻島(利尻町)「海浜留学制度」の場合

無垢な自然が美しい利尻島

 利尻島(利尻町)は、1999年より「海浜体験留学」という名前で、中学生を対象に留学希望者を募りました。契約期間は原則1年で、利尻町立仙法志中学校への留学が可能。経費などは自治体が補助、滞在先は里親制度によるホームステイにて準備をしたようです。北海道でも礼文島と並んで最北に位置する利尻島。気温ひとつみても本州のそれとはかなり違いますから、生徒たちにとっても、新しい発見が色々あったかと思います。 取り組みの中でも画期的だったのは、留学生の親も一緒に受け入れる「親子留学」というもの。親子の場合は町が住宅を用意し、親にはパートのあっせんまで行いました。子供のみならず、親までついて行くのはちょっと凄いですね。もはや1年留学するより、引越してしまった方が早いのでは・・・(笑)。

 1999年当時の僕はニュースも見ないような中学生だったのでよく知らないのですが、当時としては画期的だったようで、マスコミにも注目され、大きな反響もあったそう。あるときはテレビのドキュメンタリー番組が生徒らの密着取材を行うなど、注目を集めました。しかし、一方で問題点もあったようです。

海浜留学制度事業の終了について
 これまでに多大なるご協力をいただきました『海浜体験留学』の事業を、今年度で中止することにしました。推進母体である「夢の浮島 利尻島の大自然で学ぶ会」は、21年4月から組織の立て直しを図ると共に、「里親さがし」に全力を傾けてきました。地域の家庭から可能性のある方をリストアップし、役員が中心となって手分けをしながらお願いにまいりました。しかしながら、新たな里親を見出すことはできませんでした。(後略)
(引用:利尻町立仙法志中学校公式HPより)

「海浜留学制度」の終了を伝える仙法志中学校(公式HPより)

 上記のように、里親制度がネックとなったようです。 受け入れ側の協力を得られなかったのでしょうか。それとも何かトラブルがあったのかはわかりませんが、町としては苦渋の想いで継続を断念したと記されていました。おそらく里親側にもいくらかの補助金やサポートがあったと思います。それでも、色々と一筋縄ではいかないことがあったのでしょうか。明らかにはなっていませんが、起こりうるトラブルは想像できます。

さぬき粟島※(香川・詫間町)「離島留学制度」の場合

※ さぬき粟島    一般的には「粟島」と呼ばれるが、新潟県粟島浦村の「粟島」と区別するため、「さぬき粟島」と記す。

さぬき粟島全景

 さぬき粟島(香川・詫間町)では、2001年より「離島留学制度」を設けました。詫間町立粟島小・中学校には一期生として8人が留学。特徴的だったのは、粟島中学のほう。留学生は全国各地の地元校にて不登校となった生徒がほとんどだったのです。島の自然や優しい人々に恵まれ、心の傷を癒していく姿は、時折新聞等で報じられていました。勉強意欲を持ちながら、学校に通えない事情を持っていた子供たちにとって、島はとても良い環境だったのでしょう。

 これだけ見れば、とても素敵な制度、環境に見えますし、事実そうだと思います。ところがこうなると別の問題が浮上してきます。まずは特別視されてしまったこと。当時の新聞によれば、

(前略)粟島小、中は周囲からあるレッテルを張られるようになる。 「不登校の子供たちが通う特別な学校」この風説は、地元の子供たちの父母らに小さな戸惑いを呼び起こした。「留学制度をつくったばかりに好奇の目で見られたのでは、島の子たちにマイナスでは」(後略)
(引用:『「特別な学校」じゃない・・・イメージ低下に抵抗感』 2002年12月15日付 四国新聞より)

と、ありました。粟島小・中学校は、90年代こそ児童・生徒数が20人を超していましたが、徐々に人数を減らしたところで留学制度が始まりました。つまり、留学生が全校児童・生徒の40~50%ほどを占めるようになったのです。その留学生がどんな子か、島民の立場を思えば、そんな話題が出て当然でしょう。しかしそうなると、こういう話題が出てきてもおかしくはありません。 そして、こういった風評問題と向き合っているうちにもうひとつの問題がやってきます。それが「地元児童・生徒がゼロになる」というものでした。詫間町としてもいくつか策を講じたようですが、2006年、最後の2名が卒業式を迎え、以来休校となっています。

◆◆◆

 これら2校から、いくつかの問題点を垣間見ました。

・受け入れ態勢の整備(里親制度)

・島民の理解と協力(里親制度、風評)・島民の減少による留学生だけの学校化(過疎問題)

 教育の相乗効果や、学校の存続を意図した留学制度であっても、それ相応の受け皿が無ければ続かないという典型例となってしまいました。いくら自然や環境が素敵だとは言え、根本的な問題を抱える学校へは留学しないのです。むろん、両自治体とも最大限手を尽くした様子はひしひしと伝わってきているわけですから、簡単な問題ではありません。

 今なお、離島留学制度が活発な島も多く、どちらかと言うと、続かなかった島・自治体の方が少数ではあります。しかし、どの島にも他人事ではない問題ばかりです。まずはこちらを改善して頂きたい限りです。

 また、僕の個人的な心配事ですが、よほど大きな島でない限り、島には高校がない点が気になります。子供たちは、幼く多感な時期こそ島で過ごすメリットはありますが、高校進学と同時に島を離れ、“社会のレール”に乗ってしまうと、島に戻るのは困難です。また、子供の進学を機に、家族で島を離れる問題もあると聞きました。こうなれば、島を離れることはあっても島に戻ることはありません。 まして留学期間は一時的なものですから、訪れた島を必ず離れます。それだけに、学校を存続させるその場しのぎでなく、「島を活性化させる力」、「島で稼ぐ力」などを養う期間として、子供たちには、もう一歩踏み込んだ可能性を見せてあげなくてはならないと思うのです。おそらくかなりハードルが高いでしょうが、そうでもしなければ学校の消滅、島民の消滅は目に見えています。

 日刊楽島コラム
potaru.com

最終更新:

コメント(0

あなたもコメントしてみませんか?

すでにアカウントをお持ちの方はログイン