人それぞれの「復興支援」

pamapama

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東北地方を巨大な地震と津波が襲ったあの日から、今日でまる2年が経ちました。

大学の同級生が石巻市に単身赴任しています。震災の翌日から何度か電話をしてみましたが、全然つながりませんでした。そうなるとなんだか電話をするのが怖くなってしまい、一方的に「大丈夫だよな?」というメールを送りっぱなしにしてから約1週間、ようやく彼からメールの返事がきました。

「生きてるぜ」

彼はたまたま当日東京出張で現地での大きな揺れや津波には遭わなかったのですが、石巻へ戻ってからの日々は「本当に地獄だ」と書いてありました。しかし地元の方々が家を失い、家族を亡くして間もないにもかかわらず、それでも前を向いて歩いていくさまを見ていると「毎日涙が止まらない」「神々しいとさえ思う」とも書いていました。

遠くにいるわたしは、彼にかける言葉も見つからず「身体だけは気をつけて」というメールを何度か送ったのち、なんとなくメールをしなくなってしまいました。

福島県に妻の叔母が住んでいます。長い休みのたびにお互い何度も行き来するほど仲良しの叔母ちゃんです。ひとり暮らしの叔母ちゃんはそれまで経験したことのないような揺れを「いままででいちばん怖かったよ。余震なんて慣れるもんじゃない。ずっと怖い」と言っていました。

福島県は、海のもの、田畑のもの、山のものがぜんぶ、すごく豊かです。だから叔母ちゃんは毎年必ず季節のものをどっさり送ってくれました。でも震災後は「放射能は大丈夫なんだけど、迷惑かけるといけないから、しばらく送らないの」と寂しそうに言うのです。

そんな叔母ちゃんから去年の秋になってようやく新米が届きました。さっそくその晩にお礼の電話をしたのですが、考えてみると震災後からその日まで、ひとりで暮らす叔母ちゃんと電話で話したのは2回ぐらいしかなかったのです。

被災地ではまだまだつらい思いをされていて、支援を必要としている方がたくさんいる。まして自分の友人や親類もその中にいるのに、正直言って被災地のことを「忘れてしまう日」があります。

仕事や家族のことで、あっという間に1日が過ぎていき、まったく被災地の方々を思いやることを忘れてしまう日々。そんな時に被災地の現状を映すニュースなんかを観ると、ただそれを素直に受け取ればいいのに、「自分は、自分と家族のことで精いっぱいなんだ」と、わざわざ「復興支援と自分との間に線を引いてしまう」ことさえあるのです。

そうやっていったん「自分は復興支援できない人」という肩書きを作ってしまうと、たとえばコンビニで募金箱を見かけて気になっても「ポケットの小銭なんかじゃ支援にならない」「ここで 『間に合わせ』 みたいな支援をしてもしょうがない」というわけのわからない理屈をくっつけてしまい「復興支援について何もしない日々」が続きました。

しかしやがて、そんなふうに自分と被災者の方の「つらさ比べ」をしたり、それで被災者の方のつらさは想像もできないほど大きいとわかるのに支援をしない自分を恥じたり、なんてことをしているのはバカバカしいと考えるようになりました。

ふだんは自分と家族のことで精いっぱい。それで被災地のことを忘れてしまう日があってもいい。でも、石巻に住む同級生からの年賀状、叔母ちゃんから送られてきたお米。ニュースでも、コンビニの募金箱でも、きっかけはなんでもいいから「被災地のことを思い出す機会があったら、そこで思い出す」。それでもかまわないと思うことにしました。するとなんだか、復興支援をもっと自然にできるような気がしてきました。

ただし、「思い出したら、ほんのちょっとだけ行動しよう」ということも決めました。同級生への他愛もない世間話のメール。叔母ちゃんへはこれまでどおりに「桃が欲しい」「山菜送って」とおねだり(笑)。お礼にうなぎの蒲焼真空パック。たとえ、たまたまポケットにあった小銭でもいいから、ちょこっと募金。そして、もしも時間ができたら石巻や福島に行って同級生や叔母ちゃんと直接話す。お土産をどっさり買って帰る。

だから、震災のことを決して忘れることのないように、いつでも思い出せるように、テレビも新聞も雑誌もインターネットも、いろんなメディアでこれからもずっと被災地の現実を伝え続けてほしいですし、復興支援の窓口はあり続けてほしい。街では支援ポスターも募金箱もずっと設置し続けてほしいと思うようになりました。ある時期は妙な劣等感・罪悪感からむしろ距離を置いていた被災地に関する情報を、とても素直な気持ちで見られるようになったからです。

そして、これは偶然なのですが、自分は仕事で被災地の現実に触れる機会が多くなり、それを被災地以外のみなさんに伝えるお手伝いや実際の支援のお手伝いもできるようになりました。

そこではもちろん被災地への支援を呼びかけていきます。しかし、被災地以外で毎日を懸命に生きている人たちが「被災地のことを忘れてしまうことがある」のは当たり前のことだと思います。ですからわたしは、そんなみなさんが「被災地のみなさんに思いを寄せるきっかけづくり」としていろんな情報を発信するお手伝いをしていきたいのです。それが震災から2年経ったきょう、改めて決意したことです。

最終更新:

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  • H

    habihabi64

    わたしも仕事が忙しいのを理由に被災者のみなさまや亡くなれた方やそのご家族の方のこと、考えていない日もたくさんあります。自分ができる形やタイミングで亡くなった方々を思い遺族の方々のお気持ちを、再びくる災害時にひとりでも多くの方が助かるよう後世に伝えていくことができればと思います。