ロンドンオリンピックの開催日が近づいてきました。夏季オリンピックとしては第30回目となる記念の大会です。各国の代表選手がどのような活躍を見せるのか、想像するだけでワクワクします!今大会で注目度の高い選手を紹介するこの企画。今回は南アフリカ共和国の男子短距離走者、オスカー・ピストリウス選手をクローズアップしてみます。
国籍:南アフリカ共和国
種目:短距離走 生年月日:1986年11月22日(25歳)
身長:183cm 体重:80kg
自己ベストタイム
100m:10秒91(2007年4月4日)200m:21秒41(2010年3月4日)
400m:45秒07(2011年7月19日)
オスカー・ピストリウス選手は、両足に義足をつけたランナーとして世界的に有名です。2011年、韓国で行われた世界陸上に、健常者と共に出場したことは大きな話題になりました。ピストリウス選手は400m競走に出場して準決勝まで勝ち残るなど、快進撃を見せたことから、障害を持つ人々に勇気を与えた英雄として語られる存在となりました。現在、ピストリウス選手は400m競走において、オリンピックA標準記録をクリアする結果を残しており、ロンドンオリンピックへ出場するチャンスが残されています。出場が決まれば、障害者として初のオリンピック選手が誕生することになります。
生い立ち
南アフリカ共和国のサントンで、先天性の身体障害により腓骨がない状態で誕生。生後11ヶ月で両足の膝から下を切断しました。高校時代はラグビー、水球、テニス、レスリングなどを経験。ラグビーで膝を負傷し、リハビリ中の2004年1月に陸上競技を勧められ、同年9月のアテネパラリンピックに出場。 100m銅メダル(11秒16)、200m金メダル(21秒97)と、陸上に転向して間もないにも関わらず、いきなり好成績をおさめるなど、センセーショナルなデビューを飾りました。以来、400m競走を含めたスプリント系3種目で次々と障害者記録を塗り替えています。
義足ランナーとしての試練
2007年、初めて健常者の国際大会に出場すると、400mで2位に入り世界の注目を集めたピストリウス選手。その時点では北京オリンピックへの出場も見えていました。しかし、このレースの中で、ゴール前の直線で6人を抜き去った「驚異的な伸び」に対し、「義足は人間の足以上の反発力がある」乳酸など疲労物質がたまらずペースダウンしにくい」など義足の有利性が取りざたされるようになりました。
国際陸連(IAAF)は専門家の調査結果を受けて、競技規則に「バネや車輪など人工的装置の使用禁止」といった項目を新たに追加。この結果、IAAF主催の大会に出場できなくなってしまいました。ピストリウス選手はこの決定に対し、アメリカで受けた機能テストなどを根拠に、スポーツ仲裁裁判所(CAS)への提訴に踏み切ります。CASは数カ月に及ぶ審理の結果、「義足が人間の足よりも優位であるという十分な証拠はない」として、国際大会への出場を認める裁定を下しました。
オリンピックへの想い
こうして、北京オリンピック出場の可能性を取り戻しましたが、標準記録を突破できずに出場への夢は叶いませんでした。その後も『オリンピック出場の夢』を胸に厳しいトレーニングを続けたピストリウス選手。2011年7月に行われたイタリアの大会で45秒07の自己ベストを記録。世界陸上の標準記録も突破し、世界陸上韓国大邱大会への切符をつかみ取り、トップアスリートと肩を並べるほどの選手になりました。
活躍の陰に潜む問題
ピストリウス選手が健常者と共にオリンピックで戦うことを良しとする人もあれば、異を唱える人もいます。レース用に作られたカーボン製の特殊な義足が、記録にどれだけの影響を与えるのか、計り知れないものがあるからです。仮に義足が科学の力で驚異的な進化を遂げた場合、100m走の世界記録保持者、ボルト選手の記録を塗り替えることも、あり得ないとは言い切れません。
そうなった場合、記録自体に有意性があるのか、大きな問題になることでしょう。短距離走のファイナリストが義足をつけた選手ばかりになったらどうでしょうか。道具やテクノロジーに頼った方が有利であると、明白に証明されることでしょう。あくまで憶測の議論ですが、このような問題が叫ばれていることも事実です。
総括
現在、オリンピックA標準記録を突破しているピストリウス選手。悲願であるオリンピック出場への条件は満たしています。彼がロンドンオリンピックの舞台に立ったとき、どんな活躍を見せるのか、どんな記録を打ち立てるのか、大変興味深いところです。ちなみに私はピストリウス選手の大ファンの一人です。彼が健常者と対等に戦う姿はカッコいいし、純粋に応援したくなります。彼がオリンピックで奮闘する日を心待ちにしています。
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