[3月31日という日]日米和親条約が結ばれた日

Rinoue125R

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1854年3月31日(嘉永7年3月3日)、横浜村で日米和親条約が結ばれる。

「ペリー艦隊掲揚星条旗」日本財団図書館より
「ペリー艦隊掲揚星条旗」日本財団図書館より

nippon.zaidan.info

前年に引き続き日本に来航、江戸湾に入った米東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーと江戸幕府との間で「日本國米利堅合衆國和親條約」が結ばれる。この条約で日本は下田と箱館(函館)を開港。長く続いた鎖国体制が終わった。またこの条約は、日本が外国と結んだ最初の不平等条約でもあった。神奈川条約とも呼ばれる。

「日米和親条約写」安政元年12月 三条家文書(国立国会図書館)
「日米和親条約写」安政元年12月 三条家文書(国立国会図書館)

蒸気船の燃料だった薪や石炭、水、食料などの供給と、遭難者の保護などが主な目的とされる日米和親条約だが、第五条にはアメリカ人は長崎の中国人やオランダ人のように(出島に)閉じ込められて窮屈な取り扱いを受けることなく下田から7里、箱館から5里四方を自由に移動することを認めるとされている。(これが後に問題となって、伊豆下田近郊で建設が進められていた大砲鋳造用の製鉄施設「反射炉」を、アメリカ人の目を逃れるために伊豆韮山に移設することになった)

さらに第九条には、日本政府が他の外国に対して便宜を図って際には、アメリカ人に対しても同様の便宜を図る(しかもなんの話し合いも必要としない)、という「片務的最恵国待遇」を与えることが記されている。

日本の開国を決定した条約であるとともに、不平等条約としての色彩の濃い日米和親条約が結ばれた際、ペリー艦隊の黒船に掲げられていた星条旗は、91年後、東京湾で太平洋戦争の降伏文書調印式が行われた戦艦ミズーリの艦上に掲示されたという。

ちなみに条約の第一条には、次のように「永世不朽の和親」が謳われていた。

第一ヶ条

日本と合衆国とは其人民永世不朽の和親を取結ひ、場所人柄の差別無之候事。

[日米和親条約写](拡大画像 1-12) | 史料にみる日本の近代

 [日米和親条約写](拡大画像 1-12) | 史料にみる日本の近代
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歴史の中の3月31日

▼1814年 ナポレオン戦争が集結

1814年、パリに入るロシア軍
1814年、パリに入るロシア軍

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ナポレオン軍がロシア遠征に失敗した後、ヨーロッパ各国はフランスとの同盟を離反してイギリスとロシアの同盟に参加、第六次対仏大同盟が結成される。圧倒的な兵力の同盟軍はフランスに侵攻、1814年3月31日パリはついに陥落。ナポレオンの退位が決定的になった。

▼1889年 エッフェル塔落成

塔の建設(1888年)
塔の建設(1888年)

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フランス革命100周年を記念して、1889年に開催される第4回万国博覧会の目玉として造られた、当時世界で最も高い建築物、エッフェル塔が落成。万博に間に合わせるように2年2カ月(東京スカイツリーは3年10カ月)で完成した。当時はあまりの奇抜さから万博閉会後の撤去も議論されていたという。

▼1906年 鉄道国有法公布

明治期の鉄道は官設官営でスタートしたが、後年になると私設鉄道が全国的に増加していった。鉄道国有法によって日本鉄道(東北線・常磐線・高崎線など)、山陽鉄道(神戸・下関間)、九州鉄道(鹿児島本線と主に九州北部の鉄道網)など営業距離500km以上の鉄道を含む17の私鉄が国有化され、全国的な官営鉄道網が整備された。(独立採算の国鉄となるのは1949年で、それまでは鉄道院、鉄道省など政府省庁による完全な官営だった)

▼1937年 食い逃げ解散

第20回衆議院議員総選挙を行った昭和12年の解散。林銑十郎内閣総理大臣が予算成立後すぐに解散したため、予算成立というごちそうを食い逃げした非難された。小泉純一郎の祖父である小泉又次郎は「理由なき解散」と林内閣を糾弾した。

▼1941年 英戦艦プリンス・オブ・ウェールズが完成

プリンス・オブ・ウェールズ艦上のチャーチル首相とルーズベルト大統領
プリンス・オブ・ウェールズ艦上のチャーチル首相とルーズベルト大統領

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就役後も工事を続けていたイギリスの新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズが完成。その後、5月にはドイツ戦艦ビスマルクと砲撃戦を繰り広げ、チャーチル首相を乗せて大西洋を渡り、8月にはアメリカのルーズベルト大統領との間で「大西洋憲章」調印の舞台にもなるが、12月には日本軍の動きを封じるために派遣されていたマレー沖の航空戦で沈没してしまう。1年に満たない艦歴だった。チャーチルは戦争全体を通してプリンス・オブ・ウェールズの沈没が最もショックだったと語っている。

▼1944年 海軍乙事件

戦死した山本五十六の後に連合艦隊司令長官に就任していた古賀峯一海軍大将が、航空機で移動中に悪天候により墜落・殉死。さらに二番機に座乗していた連合艦隊参謀長福留繁中将ら司令部要員3名は、セブ島でゲリラの捕らえられ、作戦書類や暗号表など最重要機密書類を奪われた。機密書類は後に米軍に渡ったといわれる。

▼1970年 日航「よど号」ハイジャック事件発生

羽田発、福岡板付(現・福岡空港)行きの日本航空機(機体はボーイング727)が、富士山上空でハイジャックされ、犯人が北朝鮮に亡命した事件。日本で初のハイジャック事件となった。この機材の愛称が「よど号」だったことから、こう呼ばれる。

犯人グループは赤軍派を名乗る9人で、日本刀や銃、爆弾のようなもので武装し、ほぼ満席の航空機を乗っ取った。犯人は北朝鮮へ直行するように求めるが、機長は燃料が足りないと拒否。福岡空港に着陸する。そこで女性、子供、高齢者、病人など23人を下した後、離陸。

よど号は朝鮮半島を東側から回りこむようにして、平壌に着陸したが、実はソウル近郊の金浦空港を偽装したものだった。気づいた犯人との間で事態は膠着するが、機内に残る乗客の身代わりとして、当時の山村新治郎運輸政務次官がよど号に乗り込んで平壌まで飛ぶという条件で妥結、人質は解放された。平壌で犯人グループを降ろした後、よど号は乗員と政務次官を乗せて帰着した。

犯人9人は北朝鮮に亡命したが、警察白書によるとしばしば北朝鮮から出国し、活動を続けていたとされる。この事件を契機にハイジャック防止法が制定され、空港での危険物チェックが強化された。

事件は「人類の進歩と調和」をテーマに開催された大阪万博の真っ最中に発生したことも記憶されるべきだろう。ベトナム戦争や日米安保条約に関しては、政府に異を唱える声は国民的な広がりを見せていたが、よど号事件以降、一般の人々の関心は急速に遠のいていった。

▼1987年 国鉄最後の日。翌日からJR各社が発足

戦前からの官営鉄道を引き継ぎ、1949年に発足した国鉄(日本国有鉄道)だが、巨額の赤字を抱え経営が破綻したことから、分割民営化による再建を行うことになった。翌4月1日に事業を継承するJR各社、清算業務を行う日本国有鉄道清算事業団に移行することで、昭和62年3月31日が国鉄最後の日となった。

▼2000年 有珠山噴火。住民はあらかじめ避難し人的被害なし

3月27日から火山性地震が活発化、31日午後1時7分、西山山麓からマグマ水蒸気爆発が発生し噴火が始まった。前回の1977年-1978年噴火以降、24時間体制で有珠山の監視を続けてきた北海道大学の火山研究観測センター教授・岡田弘氏らと地元行政との連携で人的被害を免れた。

▼2002年 向ヶ丘遊園が閉園

▼2005年 株式会社大阪近鉄バッファローズ解散。1949年からの歴史に幕

▼2014年 「笑っていいとも!」が31年の歴史に幕

フジテレビの昼の帯番組として、1982年の放送開始から31年半放送されてきた長寿番組「笑っていいとも!」が放送終了。

この日が誕生日

◆1596年 ルネ・デカルト

フランスの哲学者・数学者。「Cogito ergo sum:コギト・エルゴ・スム:我思う、ゆえに我あり」の言葉で知られる。

◆1850年 チャールズ・ウォルコット

アメリカの古生物学者。カナダのバージェス頁岩累層を発見。多くの化石を発掘した。バージェス頁岩からは、アノマロカリス、ハルキゲニア、脊椎動物の祖先との見方もされるピカイアなど奇妙な生物群が発見された。

◆ジュール・パスキン

ブルガリア出身の画家。1920年代エコール・ド・パリ全盛のモンパルナスで時代の寵児として活躍。具象的な彼の作品は今日でもオークション等で高い評価を得ている。

◆1906年 朝永振一郎

日本の物理学者。くりこみ理論を発明し、量子電磁力学に寄与した。1965年ノーベル物理学賞を受賞。

◆1907年 赤尾好夫

旺文社の設立者。文化放送、テレビ朝日の立ち上げにも携わった。代表的な著書は通称「赤尾の豆単」と呼ばれた「英語基本単語集」。

◆1915年 横井庄一

元・残留日本兵。終戦から28年となる1972年、グアム島で発見され帰国した。愛知県出身。帰国時の「恥ずかしながら帰って参りました」は流行語になり、横井さんのサバイバル生活の様子は、少年雑誌の巻頭をイラスト入りで飾った。

◆1925年 永井路子

東京本郷に生まれた作家。「炎環」「雲と風と」「北条政子」など中世に材をとる小説を数多く著した。

この日亡くなった人たち

・1727年 アイザック・ニュートン
イギリスの数学者・物理学者で、自然哲学者。

・1855年 シャーロット・ブロンテ
「ジェーン・エア」を著したイギリスの作家。ブロンテ三姉妹の姉。

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