【シリーズ・この人に聞く!第188回】女流棋士 香川愛生さん

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15歳でプロデビュー、第一線で活躍中の女流棋士。女流棋士を核として、会社社長、ゲームクリエイター、YouTuber、コスプレイヤーなど複数の肩書を持つ唯一無二の存在。9歳で将棋と出会い、才能を開花させた背景とは?また棋士と女流棋士の違いとは?知られざる棋士の歴史も興味深くお話伺いました。

香川 愛生(かがわ まなお)

1993年生まれ。東京都調布市出身。日本将棋連盟女流棋士。株式会社AKALI代表取締役社長。立命館大学文学部卒。15歳でプロデビューし、大学在学中に女流王将戦で初タイトル。2021年1月に女流四段に昇段。YouTubeの登録者数は17.6万人(2021年8月時点)。受賞歴は最多対局賞、女流棋士賞など。著書に『職業、女流棋士』(マイナビ出版)。

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ボーイッシュで負けず嫌いな子が将棋漬けの日々。

――15歳でプロデューをされましたね。将棋が好きになったきっかけは?

ショートカットの小学生時代。男子と一緒に遊ぶ中で将棋と出会い、夢中になった。

ショートカットの小学生時代。男子と一緒に遊ぶ中で将棋と出会い、夢中になった。

小学3年生の時に将棋と出会いました。まだスマホもない時代。当時私は髪も短くてボーイッシュで男子とよく遊んでいて、将棋も混ぜてもらって遊んだのが始まりです。そもそもゲームが大好きで、その頃はポケットモンスターやゲームボーイが流行っていました。今でこそオンラインで大勢と同時に遊べますが、当時は二人とか四人くらいの親しみやすい人数で遊んでいたので、1対1の対戦ゲームである将棋も自分にはしっくりきましたし、やってみたいと思ったのです。ゲームも、相手と対戦するものや、コツコツとできることを増やしてスキルアップするゲームが好きでした。将棋もそういうところがあって、対戦することと努力をすることの二側面で強くなっていくので、ゲームで適性ができたということかもしれません。

――ゲームで適性ができたなんて素晴らしい。学校の科目で好きなものはありましたか?

高学年の時、先生がレクリエーションを考えるのが得意な方で、発案した遊びを定期的に取り入れていて。生徒は遊ばせてもらう立場で、一緒に遊びを考えはしなかったのですが、新しい遊びをするたびに「これはおもしろい!」とか「今回のはつまんない」と、いろいろ意見を持って、ありがたいことに早くからクリエイティブなことに興味を持てました。なので、既存の科目を勉強することより、新しい発見をより感じられる時間のほうが楽しかったですね。

――きっとお勉強もできたのでは?と推察しますが、性格的にはどんなお子さんでしたか?

妥協せず、自分にも周りにも厳しい。負けず嫌いで意地っ張りで、男子と喧嘩することもありました。私自身マイペースで、好き嫌いがハッキリしていた。好きなことには一生懸命邁進でき、そうでないことは取り組むのが苦手。よく言えば集中力が高くて好きなことには何時間も費やすことができましたし、嫌なことは始めもしない(笑)。これは今もそうですが、周りの人がやっていることを真似したくない。流行っていることの逆をいきたくなる。自分だけがこれをやっている!と言いたい。当時は『ヒカルの碁』(注:ほったゆみ(原作)と小畑健(漫画)による囲碁を題材にした日本の少年漫画)が大ブレイクしていて、その影響で将棋よりも囲碁が注目されていました。「将棋を始めた」と言っても「囲碁流行っているよね」と返されたり。将棋の話をしても囲碁の話に持っていかれてしまうことが、当時はよくありました。負けず嫌い的にはそういうこともムッときちゃって(笑)。

――負けず嫌いは大切な原動力ですよね。それがなくてはやり抜けないですし。小学生の頃から千駄ヶ谷の将棋会館まで通われていたのですか?

はじめは地元の調布市で将棋を習っていて、母に送迎してもらいながら千駄ヶ谷の道場や子どもスクールへ通うようになりました。地域の道場を複数回りいろんな方に教わって、毎日将棋漬けで将棋のことを考えない日はないくらい。学校が終わると道場、土日も道場。生活の中に将棋がガッチリ入っていました。仕事帰りの人が来るかもしれない…と夜遅くまで待っていたり。母も一緒に待っていてくれました。夏休みも毎日将棋道場。将棋に夢中で、それを応援してくれる環境がありました。母は私が意地っ張りで言うことを聞かない子だと気づいていたので、やりたいことはすべてやらせてもらえた。母一人で育ててくれた上、仕事も辞めて付き添いも熱心にしてくれました。ねじ伏せず自由にさせてもらえ、頭が上がりません。

運に左右されず、実力で上を目指す将棋界。

――お母様が全身全霊で応援してくださったことも力になったのですね。そこまで将棋に夢中になれた理由は何でしょう?

将棋は小学校の先生を負かすほどの腕前で一目置かれていた。

将棋は小学校の先生を負かすほどの腕前で一目置かれていた。

まず将棋は実力によって級位が認定されます。最初、私は14級という下から2番目の級位でした。できることが増えて技術が上がると、級が一つずつ上がっていく。実力で上がれるのが気持ちよかった。水泳教室では、息継ぎできたらクラスが上がる…といった基準はありましたが、将棋はもっとハッキリと結果で上がれるので、遣り甲斐がありました。努力したことを盤上で試せ、結果となり、級が上がる。この一連の流れで、達成感をコンスタントに感じられました。どんどん頑張ろう、次の目標はこれだ!…と次々と取り組むことができたことが背景にあります。

――頭脳戦ですね!盤上で結果を出せるのはプロになっても?今、最年少記録を次々に塗り替えて将棋界を湧かせている藤井聡太二冠をどのようにご覧になられていますか?

プロになってからは条件は変わりましたが、将棋は運の要素がないゲーム。自分の実力、準備、努力…そうしたものが素直に反映されるので、厳しくも遣り甲斐があります。藤井聡太二冠は、プロの私たちからしても信じられない強さです。特に、あの年齢(現在19歳)でこれだけの実績と実力があるのは、同じように将棋をやってきて、将棋の難しさも知っているので、より現実味がない強さです。才能もあって努力もされていて…感じることはたくさんありますが、藤井聡太二冠に関しては、もともと特別なものをもっている何百年に一人の方では…と感じています。

――やはり藤井二冠はそれだけ神がかった逸材なのですね。香川さんが女流棋士としてプロデビューをした15歳という年齢は早い方でしたか?

早い方なのですが、10代でデビューするのはそれほど特別なことではありません。また女流棋士は、棋士とシステムが異なります。「将棋は女性がやるものではない」と言われていた時代もあったそうです。将棋は戦争のゲームで、王様を取り合う激しさがあります。そういった背景があって、将棋を指す女性は少なかった。ただ戦後になり、女性も将棋を指すことが将棋界の普及にもなるだろう…とできた職業が女流棋士なのです。ほんの47年前に公式に女性のプロ制度が発足しました。ですから、400年もの歴史のある棋士と、発足して47年の女流棋士はそもそも位置づけが異なります。共に目指すのは将棋の普及ですが、別の職業なのです。3年前に執筆した著書「職業、女流棋士」(マイナビ出版)に詳しく書いてありますのでよろしければぜひお読みください。

――そうなんですね!女流棋士という職業は奥深い。まだ知らないことがたくさんありそうです。

新しい職業なので、時代と共に自分たちがどんな役目を担っていくべきなのか考えなくては…と意識しています。何もせずにいるよりも、私は将棋普及のために何かできることをと思っています。株式会社AKALIを一緒に運営している共同経営者の方は、将棋で培った決断力や戦略、先読み力でビジネス界のトップで活躍されています。こういった将棋の効果も広めていきたい。会社の運営や、YouTubeの配信なども、すべて将棋の普及のために始めたことです。オンライン・オフラインイベントや、新機軸の将棋ゲーム開発、プロモーション事業など、これまで将棋界で取り組まれていなかったことに挑戦しています。

――まさに誰の真似もせず道を切り拓いていますね。将棋の道を究めプロになるのは小さな頃から思い描いていたことでしたか?

小学6年生の時に全国大会「女流アマ名人戦」で優勝してから、プロを意識するようになりました。最年少記録でしたが今も塗り替えられていません。日本一になれた経験で、もっと高い所を目指せるかもしれないという気持ちにさせてもらえました。将棋って運の良さで左右されないものです。トランプみたいにカードをシャッフルすることもなく、サイコロのような要素もない。自分の考えていることがそのまま出るから理不尽な思いはしませんし、逆に言うと騙せないものなんです。

好きなことに出会ったら突き進むべし。

――将棋を習っていた頃のエピソードで何か印象深い思い出はありますか?

「職業、女流棋士」(マイナビ新書)女流棋士としての想いを語る渾身の一冊。

「職業、女流棋士」(マイナビ新書)女流棋士としての想いを語る渾身の一冊。

夏休みは初日から最終日までず~っと将棋道場へ通って将棋漬けでした。なかなか人が来ない時は別の将棋道場へ移動して対局していました。地元の小中学校は、当時生徒数が少なく学年で60名程。自由に好きなことをのびのびとできる環境がありました。将棋をやっていることをからかわれることもなかったですし、むしろどのくらい強いか?知りたがられて、学校の男の先生と対局して倒すと、おお!と男子は特に喜んでいたり。先生は負けるのが嫌で相手をしたがらなくても、私が生意気に対局したがったりしていましたね。

――小学生の頃から大人を負かせる腕があったのは一目置かれたはずですね。ちなみにお母様も将棋がおできになる?

いいえ、母も親戚も誰も将棋はしません。家族に将棋ができる人がいると子どもは続かないということもあります。例えばお父様が「ここはこうじゃない!」と口うるさく言ってしまったり。教え方が上手だと伸びますが、大体の家庭では「パパがうるさいからやめる」となる。たぶん他の競技や勉強もそうですが、子どもは大人の言いなりになりたくないし、いろんな感情がある。身近な人に将棋のできる人がおらず、誰からも指図されず将棋ができたのはよかったのです。将棋がもっと強くなりたい私に、親切な大人が常に現れて、人にも恵まれたのは幸運でした。

――好きなことを早いうちに見つけ、技を磨けて何よりでしたね。特に今の小学生へ向けて、香川さんが感じられていることは?

たくさんの情報に囲まれていて大変だと思います。私が子どもの時代から今に至るまでものすごい勢いで技術が進歩して。高度なコンテンツにアクセスしやすくなって、選択肢の多さも尋常でない。その中で自分を高めたり、道を決めたりするのはとても大変なことでしょう。私はたまたま迷わない時期に将棋と出会い、将棋の道を信じて突き進むことができた。これは自分が幸運だったと思います。好きなものと出会えるのは特別なこと。子どもたちが理屈抜きで好きという気持ちから選択したことを続けられるように、大人は応援できたらいいですね。

――今年も後半ですが、これからの活動予定は?

コロナ禍が落ち着くにはまだ時間が掛かりそうなので、今ある事業や活動をよりよい形にして、対局も含めて充実させたいです。オンライン将棋サロンは、プロ棋士としては初の試みで運営しています。コミュニティの良さを高めていきたいですね。オンラインなら地域が離れている者同士が将棋盤を挟んでコミュニケーションを取ることができます。前例があるわけではないので、試行錯誤しながらよりよいものを創っていけたらと思っています。将棋が好きでもっと強くなりたい方や、もっと楽しみたい方でしたらどなたでもご参加いただけますので。YouTubeでも、オンライン将棋サロンでも、プラットフォームの特徴をいかして最善を尽くしたいです。

――最後になりますが、未来にむけて思うことをお聞かせいただけますか。

将棋は世の中が平和だからこそできる娯楽です。コロナ禍となって対面で将棋盤を挟むことが難しくなってしまったので、これからオンラインで普及していけたら。将棋の他、私はゲームとアニメも好きです。将棋は歴史と伝統が結びつくものですが、一方でゲームやアニメは今の日本を担うカルチャー、新しい伝統になっていくものです。職人やプロ棋士は固いイメージがありますが、自分のような女流棋士という職業の担い手が、若い人と将棋をつなぐ接点になれたらいいなと思っています。

編集後記

――ありがとうございました!早い時期に迷いなく将棋の道を究めた香川さん。かわいらしい容姿でアイドルとしても売れっ子になれたと思いますが、「自分だけがこれをやっている!」というフロンティア精神があったからこそ女流棋士の中でもひときわ輝きを放つ存在なのだと思います。支えてこられたお母様のお話もまた今度改めてじっくりお聞きしたいです!

取材・文/マザール あべみちこ

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