津波で流れたおひな様のこと、知りませんでした

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3月3日はお雛様。全国的にもそうだが、東北でもこの日に合わせてたくさんの雛飾りイベントが開かれる。古今雛や享保雛など江戸時代から旧家に伝えられてきた貴重な雛人形、そしてつるし雛の展示の数々。岩手県南部では遠野、千厩、花巻、石鳥谷などが有名だが、今年は2月末から始まって3月4日までを会期としたものが多い。盛岡市鉈屋町のひな祭りのように、旧暦の桃の節句に合わせて4月に行われるものもある。

この時期、東北各地でお雛様イベントが開催されること、そして沿岸部からもバスツアーがあったり、友人と連れ立ってハシゴして出かける人が多いのは他でもない。まだ厳しい季節が続くとはいえ、桃の節句が、待ちこがれてきた春を告げるものとして私たち東北に生きる人たちに、たぶんずっと以前からずっとずっと親しまれてきたからだ。

津波の被災地では、「うちにもあったのよ。でも流れたの」という辛い話を聞くことがしばしばだ。それでも、被災地でも手作りのつるし雛を展示する催しが方々で開かれる。赤い色が鮮やかなつるし雛イベントの写真は、地域密着の新聞紙面に彩りを与える。

手作りのつるし雛は、代々伝わってきた雛人形に代わって作られるようになったという側面もたしかにあるかもしれない。

しかし、知らなかった、そんなことがあったことは。

イメージ写真(2018年)
イメージ写真(2018年)

遺構となった場所から流されお雛様

震災遺構として残されることになっているタピック45。陸前高田を代表する景勝地、高田松原沿いに建てられた道の駅。高田松原は陸前高田市の最大の観光地であり、そんなロケーションの道の駅には、海水浴シーズンのみならず、美味しくて新鮮なものが安く手に入る産直目当てでやってくる県内外の人たちでいつも賑わっていた。

或る日、知人からこんな話を聞いた。

「津波前から陸前高田でもお雛様が盛んでね、この時期には商店街のお店なんかに手作りのお雛様とか、昔からの雛人形とかを飾ったりするようになってたの。私たちの集落でも手作り雛人形を作っていてね、それを町に飾ってくれないかって言われてたてたんだ。あの年には七段飾りをすべて手作りでしたのをタピックにも飾っていたのよね」

この続きは、「だけど流されてしまってね」という辛い話だ。

彼女は、タピックや町に飾ったものの他にも、もうすぐ完成する力作があった。地震に見舞われたのは自宅でだった。経験したこともない地震の後、彼女は大切な力作が余震で壊されないように箱に収め、自宅の倉庫にしまってから高台目指して走って逃げた。

続きは、「津波」という辛い話だ。

誰も信じられなかった。真っ黒い水が大きな大きな壁のようになって町のすべてに押し寄せてくるなんて。彼女たちは紙一重で生きた。登り詰めた高台から目にしたのは何だったのか、彼女はいまでも多くは語らない。たくさんの、あまりにもたくさんの人が吞み込まれ、命が失われ、そしてまちのほとんどが消えた。失われなかった命のほか、すべてがなくなった。

彼女たちの手作り雛人形が飾られていたタピック45は、建物だけは残った。残ったからこそ震災遺構としてさらに後世に伝えられようということになっているのだが、残った建物から暗い内部を覗き込むと、その奥、太平洋から差し込んでくる光は、グチャグチャという擬音的なイメージしかない構造物、いやその残骸を、眼を刺すように浮かび上がらせるばかり。それはあまりにもむごたらしい情景。「津波」というたったひとつの単語でなど言い表すことのできない、厳しい現実。

それでも、彼女の言葉を聞いてはじめてひとつの手がかりを得ることができた。手がかりを得るなんて、これはあまりにも残酷な言いようだろう。それでも、私みたいに津波の後しか知らない人間にとって、その場所に津波の直前まであったものを想像する“よすが”となる話だった。

そこにあったまち、風光明媚な海辺の道の駅として賑わっていたその場所、いまは廃墟にしか見えないところにあったもの。

その場所から真っ黒な水に巻き込まれ、流されていった無数のお雛様。赤や黄色や桃色の鮮やかなものたちが失われた。

流され、黒い水に巻き込まれ、その残骸すら遺留品として還らなかった鮮やかなものたち。

灰色の廃墟は、その直前まで鮮やかに彩られていたのに。

お雛様たちは、禍事とともに川に流される「流し雛」などというものではない。震災後を生きている子どもたちの健やかな未来を希い祈るもの、なんてセンチメンタルなお話しで締めくくろうなどという気はさらさらない。

あの日流されたたくさんのお雛様、それはひとつの表象。

あの日、人目に触れずに流されたたくさんのお雛様が教えてくれるもの。それは、まだ出来てもいない将来の町の姿を想像することは何となくできるのに、あの時以前を思い描くには、その材料となる絵の具すら十分に持ち合わせていないという「さかさま」の現実。さかさまの自分。そしてたぶん多くの、さかさまのあなたたち。

だけど、実はたぶん、さかさまではないというのが真実だということ。

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