触はどんどん進む。月の光る部分が少なくなるにつれて、カメラに写りにくくなる。
触がはじまって30分ほど。もうウサギも耳しか見えない。
さらに20分ほど経過。月の右上の部分だけがかろうじて光る。カメラのレンズを通して見れば、くっきりと見えるが、肉眼では、私自身の乱視が進んだせいか、光る部分が二重の傘のように見える。
ダメな肉眼ながら、輝いていない月の円形が赤く、灯が灯されたように見える。ブラッドムーンとはこういうことか。
三日月のときなんかに月の光っていない部分がほんのり見える「地球照」は、地球に反射した太陽光が月を照らすものだからほんのり薄いグレーだが、この月蝕の赤い月は、地球の大気を通り越した光だから、夕陽と同じように赤くなるものらしい。
しかし、カメラにはその「赤」が写らない。画像が不鮮明になるのを覚悟でシャッタースピードを落としてみると、地球照の部分が赤く光っていた。
当初は高い山の方がよく見えるだろうと、宮沢賢治ゆかりの種山ヶ原に行くことも考えたが、今日は雪雲まじりの天候なので山ではなく、住田町の低地から空を見ることにした。それでも気温はマイナス7℃。それでもとにかく寒い。指先のすべてがかじかむのだが、カメラのシャッターに掛けている人差し指だけが妙に痛い。それに頻繁に尿意をもよおす。
天体は自然の摂理のとおりに運行し、皆既月食という現象を示しているだけなのだろうが、そのステージに観客として参加するのは人間だ。人がいるからこそ、この光景を目の当たりにすることができる。だけど、人間は人間で、寒かったり、尿意をもよおしたり、動物としての摂理に従っている。なんということはない。それも自然の摂理ということか。
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