【復興支援ツアー2016年度レポート】目指せ「津波伝承 女川復幸男」優勝!石巻・女川の旅

akaheru

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2017年3月17日から2泊3日で復興支援ツアーに行ってまいりました!

今回の目的は下記です。
・女川、石巻を中心に回り、震災発生から6年が経過した今、現地がどのように変化しているかを実際に見て回る。
・旅先で食事、買い物をすることで、少しでも現地に貢献する。
・3月18日、3月19日に女川で行われる「津波伝承 女川復幸男」「女川復幸祭」に参加して盛り上げる。

家族同伴でのグループ旅行は初の試み。

大人9名、ちびっ子6人でたくさんのことを学びつつ、元気を振りまきながら旅してまいりました。

3月17日(金)

東京駅からはやぶさで仙台を目指します。

道中、絵本「ひまわりのおか」を子供たちに読み聞かせ、大川小学校に行くことも話しながら進みます。

大きな問題もなく仙台に予定通り到着です。

ここから、仙台中央タクシー様のマイクロバスに乗り込みます。

大きなバスで大人も子供も大興奮。

まず向かったのが、東松島市のJR仙石線・旧野蒜(のびる)駅。

駅前の「津波伝承館」で震災に関する資料を見ることができます。

建物右上には、津波到達地点を表すプレートが。「3.7m」と記されています。

交流センター内の様子。

左の写真は津波で破壊された自動券売機。

右は震災時の写真が並べられたパネルです。

スタッフの佐藤様の話によると、海側の建物すぐ前に運河があるのですが、運河の向こうは10mもの津波が押し寄せたとのこと。
(この場所は海岸から約600mの場所に位置しています)

多くの犠牲者が出てしまったことを説明してくださる中、自衛隊の方々が献身的に尽くしてくれたことにすごく感謝しているということを、どこか懐かしそうに話してくれました。

辛かったことや当時嬉しかったことを思い出しているのか、時折言葉を詰まらせながらも丁寧に話してくれた姿が印象的でした。

子どもたちの目にも輝いて見えたのか、その後多くの子どもたちが将来の夢は自衛隊になること、と話しているそうです。

プラットホームは震災遺構として保存されています。

お話を伺ってお土産購入後、次の目的地の女川駅前に。

昨年完成したばかりの駅前商業施設、「ハマテラス」でお昼ごはんです。

前回のツアーでも女川駅を訪れたのですが、お洒落なお店が立ち並び、全く別の駅に生まれ変わっていました。

「おかせい」さんの特選女川丼をいただきました。
相変わらずすごいボリュームです!

女川駅前で本日の講師、井上様と合流し再び出発です。

まず向かったのは雄勝の「おがつ店こ屋街」。

昨年6月に場所が移転したため、自分は移転後初訪問です。

私の妻はさば缶を大量購入です。

商店街横に「石巻市復興まちづくり情報交流館」という施設があり、ここでもスタッフの方からお話を伺うことができました。

震災後、避難した方で戻ってこられているのは3割ほどのため、高齢化がますます進んでいるとのこと。今後整備が進めていけば、きれいで静かなところに魅力を感じてもらえるような若い人が住んでくれるのではないかと期待をされていました。(ただ、やはりまずは今住んでいる人たちが落ち着くのが先決)

自分たちの街の写真はなかなか撮らないので残っていない。そのため、震災前の街並みがどうだったのか、記憶が薄れているとのこと。これも震災で起こった悲しい出来事の一つだと思います。

おがつ店こ屋街を出て、次に向かったのが大川小学校跡です。

学校の管理下に置いて最も子どもの犠牲者を出してしまった学校。

何度訪れてもこの海が全く見えない場所に巨大な津波が来たことが信じられません。

学校の敷地内のすぐ裏には山があります。

今でもなぜこの山にみんなで避難をしなかったのかが悔やまれます。

このような幼い子供たちを大勢失うようなことがあってはなりません。

今生きている人達みんなが、ここで起きた悲劇をいつまでも忘れないで後世に伝えていかなければと思います。

大川小学校をあとにし、井上様を駅に送りつつきぼうのかね商店街へ立ち寄りました。

今年の8月に移設が決まっているため、もしかするとここに訪れるのは最後になるかもしれないと思い、旅程を追加です。

みんなで順番にきぼうのかねをならします。

この日の宿泊地、「華夕美」に到着です。

ここにも井上様が顔を出してくれ、夕食前に話を伺うことができました。

仮設住宅に閉じこもっている人達に積極的に表に出てもらうために、積極的に取り組んでもらえるような新たな試みが必要など、現状の課題などを話してくれました。

右側の写真はこの日の夕食。豪華でした!

また、食事後に料理を運んでくれたスタッフの方に話を伺いました。

女川駅を見てきたけど劇的に変わっていてびっくりしました、と伝えたところ「だいぶ盛り上がってきたけれど、昔に比べたら全然。ゆぽっぽも以前はもっと大きかったのよ。」

「昨年、九州でも地震による大きな被害があったけど、現在の状況では自分はとてもじゃないが復興のお手伝いをすることができない。震災の辛さを知っている分、そのことが辛い。」

短い時間でしたが、すごく貴重なお話を聞くことができました。自分たちにできることは何だろうと、改めて考えなければと感じた瞬間でした。

3月18日(土)

2日目の朝です。

ホテルからの美しい眺め。今日も天気はよさそうです!

今日から2日間は語り部ガイドの方も同行いただき、お話を伺いつつ進みます。

この日最初に訪れたのは石巻の日和山。

震災当時も多くの方が避難された場所で、石巻の街を一望できます。

ここに訪れたのは3回目。工事が今も続いています。

左は語り部ガイドの方が被災した工場の説明などをしていただいている様子。

右は石段をみんなで降りていく様子。震災時は多くの方が避難するために登った階段。一歩一歩踏みしめます。

日和山から下山し、「がんばろう!石巻」看板へ。

今もしっかりと街を見守っています。

看板横にある「南浜つなぐ館」へ。

中に入ると周辺地域の模型や震災直後の映像などさまざまな資料があります。

VRグラスで震災当時の映像などを見ることができます。

子どもたちが我先にとグラスを手に取り映像を見ていました。

南浜つなぐ館をあとにし、この日のおひるご飯。

石巻かき小屋でかきをたらふくいただきました。

とんでもなくビールがほしくなりましたが、午後全力疾走する予定があるので歯を食いしばってノンアルコールビールを飲むにとどめます。

昼食後、最初に訪れたのはおかしや「まがりかど」。

以前は女川のトレーラーハウス、「エルファロ」のすぐ前にあったのですが、区画整理で移動していました。やや迷いつつもなんとか到着です。

震災後、子供たちがふさぎ込んでいるのをどうにかしたいという思いから、未経験ながら始められたお店。日々交流をしていくうちに少しずつ心を開いて話してくれるようになったと、ご主人が当時を思い出しながら語ってくれました。

これからも地域の子どもたちになくてはならない憩いの場所であり続けてほしいと願いました。

いけてるサングラスをゲットして、ごきげんなももちゃん。

お店の方総出でお見送りいただいた後は、再び女川駅へ。

今回のツアーの目的の一つ、「津波伝承 女川復幸男」に参加します。

「津波が来たら高台へ逃げる」という津波避難の基本を、何かの形で後世へ伝え続けたい、という思いから始められたこのイベント。

有名な西宮神社の「福男選び」で、参加者がつける黄色の手袋と同じものが配られます。それを装着して走ります。

左はレース前のコースの写真。ちょっとわかりづらいですが上り坂が続く中々ハードなコースです。


右は参加者がスタート地点に集まっている様子。

ちなみに、並び順はくじ引きで決めます。

今回は6人の仲間とエントリーし、私以外はみんな100番台だったのですが、私の代わりにくじを引いた息子が見事58番をゲット。仲間内で最も優勝に近い存在と言えます。

西宮神社からサポートのために来られているスタッフの方の「逃げろ!」という言葉がスタートの合図。

20年ぶりくらいに全力で走りました。

ただ、お世辞にも足が速いとは言えない自分。残念ながらスタート以降はトップ集団の背中を見ることはありませんでした。

ふらふらになりながらなんとかゴール。沿道で応援してくれた妻の話によると、60位くらいじゃないかとのこと。正直大健闘です。

レース後の仲間の写真。

激闘を物語っています。
(途中で転んでしまったのです。幸い、深刻なけがに至りませんでした)

レースを終え、みんなでこの日の宿「ホテルニューさか井」へ。

牡鹿半島の南部で距離がありましたが、語り部の方のお話であっという間に到着しました。

この宿でも、語り部の方に震災のお話を伺うことができました。

震災後、街で子供の遺体が道路に横たわっているのを見つけても、下手に触ってしまうと逮捕されてしまうといった恐れもあるため、なにかをかぶせることくらいしかできなかったと言います。

奥様に会えたのは震災から4日後。再会したときは初恋をしたような気分になった、皆様も奥様を大切に、と笑顔で話されていたのが印象的でした。

3月19日(日)

最終日の朝です。

金華山の向こうから朝日が昇ります。美しい光景に息をのみます。

おしか御番所公園からの眺め。

いくつも島が浮かんでいるのが見えます。

この景色を見れただけでも、牡鹿半島に来た甲斐がありました。

おしかのれん街でお買い物。

捕鯨の町鮎川ならではの鯨肉や、鯨の歯を使用した伝統工芸品などが店頭に並んでいました。

普段見ることのない商品にみな興味津々。

子どもたちはみんなでソフトクリーム。

この日は昨日の女川復興男に引き続き、女川復興祭に参加するために再び女川駅へ。お祭り会場に向かう前に、女川町地域医療センター横の公園にある「いのちの石碑」を見学しました。

大きな悲劇を1000年後の人々にも伝承して、後世の人々の命を守ろうと女川町のこどもたちが中心になって建てた石碑です。津波がどこまで来たのかを表す役割も果たしています。

石碑見学後、復興祭会場へ。

すごい人だかりです。

1時間ほどという短い所要時間だったのですが、子供たちが大道芸のパフォーマンスに夢中になり、更に厳しい持ち時間に。慌てて買い物&お昼ご飯を調達です。

盛り上がるお祭り会場の隅で、くるみを拾う少年二人(+パパ)。

子どもたちも新しいお友達ができて楽しそうでした。これもこのツアーで得たことの一つです。

旅の最後は、仙台市若林区の荒浜へ。

ここも大きな被害を受けた地域で、一帯が公園になる予定のようですが、反対されている方も少なくないらしく、なかなか進んでいないようです。

中央に見えるのが「荒浜 祈りの像」。

これまで訪れた被災地とはまた違う雰囲気で、不思議な感じがしました。

きれいな砂浜が広がっています。

ここは仙台市唯一の海水浴場だったらしいのですが、今は泳ぐことができません。

「荒浜 記憶の鐘」です。

犠牲者を追悼するモニュメントとして建てられ、今年の3月11日に除幕式があったばかりです。訪れた人が次々と鐘を鳴らし、祈りをささげていました。

このモニュメントは高さと幅が各4メートル。人が両手を広げた姿をイメージし、復興への願いが込められています。


ここには、荒浜を襲ったとされる津波最高到達高が13.7mであったと記されているのですが、語り部の方はその数字は初めて聞いたとのこと。今後も様々な情報が更新されるのかもしれません。

終わりに

今回は東松島、石巻、女川、仙台と回りましたが、地域により復興の進み具合が全く異なっているのがわかりました。今後どのように各街が変化していくのかも継続してみていければと思います。

また、道中語り部の方が「避難の3原則」について話してくれました。
・想定にとらわれるな
・最善を尽くせ
・避難の率先者であれ

上記の3点を高いレベルで実践できれば、多くの人が助かる可能性が高くなるのではないでしょうか。

そのために自分たちができることがなにかも考えていかなければと思います。

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