土木作業員のKさんと偶然再会した。3.11の数日前の夕方、「おう、久しぶり」と声を掛けられた。Kさんは仕事帰りに一本松茶屋で休憩している様子だった。
真っ黒な巨大な渦
少し気が早いが今年の祭りのことを話したりしていたら、Kさんが突然あの日のことを語り始めた。
「あん時はよぉ、大石の坂のところで渦を巻いててなあ。津波なんて感じじゃない、真っ黒くて大っきな大っきな渦だった。それがどんどん町を吞み込んでいったんだ。ぐるぐる渦を巻きながらだから、建物も何もかんも跡形もなくなくなった」
Kさんに言われるまで、気仙川を遡った津波と、松原を越えた津波がこの場所で合流して被害を大きくしたことに思い至らずにいた。気仙川沿いの道慶さんの所まで祭りの山車を曳いていくほど川が近くにあったのに。わたしは、津波の惨さを見ようとしてこなかったのかもしれない。
「公民館の前に桜の木があっただろ、かさ上げ工事すっからって、こないだ切り倒されたけど、本当はもっとたくさんあったんだよ。それも津波でやられてしまった。坂の下の酔仙酒造の敷地にも有名な桜があったんだがやられてしまった。何もかも跡形もなくなくなったんだよぉ」
酔仙酒造の桜は写真で何度も目にすることがあった。見たことのない桜なのに、いろいろな人の話や写真から、生前の桜を知っているような気すらする。Kさんの話を聞きながら、あの桜がなくなってしまうほどの津波の大きさを思った。
たしかに、何もかも無くなってしまったのだから。
ファーストネームで呼ばないで
Kさんのように津波の話をしてくれる人がいる一方、震災直後のことを具体的には語らない人もいる。「あの時は大変だった」という短い言葉の中にたくさんのことを畳み込んでいるように感じることもある。
お母さんたちを集めてクラフトづくりのワークショップを続けている東京の団体があって、時々お手伝いさせてもらうのだが、芸のないわたしの役割は参加者から名前を聞いて名札を書くこと。あとはおしゃべりするくらい。
その団体では、ファーストネームにちゃん付けで名札を書くのがならわしだ。「めぐみちゃん」とか「しずかちゃん」とか。子どもの頃に呼ばれたように呼び合うことで場が和む。
そんな中、ファーストネームで呼ばれるのを望まない人もいる。何度も会っているし、ファーストネームを知っているから勝手に書いてもいいのだが、ファーストネームはイヤなんだという。
むかしからファーストネームで呼ばれるのが嫌いだっただけなのかもしれない。でも、かつてファーストネームで呼んでくれていた人のことを思い出してしまうからということなのかもしれない。詳しく聞いたわけではないし、聞くに気が引けてしまう思いもある。
乗り越えて生きて行こうとしているのに
「去年の3.11はテレビが張り付いて取材していたので大変でしたが、今年はそんなことないようなので良かったです」
と話してくれたのは陸前高田市の普門寺の住職。住職の話によると、お墓参りに来た人にマイクを向けるクルーがいて困ったのだとか。
震災を経験した人はそれぞれに、人には言えない思いを胸に抱いて生きている。言葉では言い表せない、言い尽くせない思いがある。それでも、前に向かおうとしている。
「そんな気持ちで生きている人たちに、あの時のこと、現在の心境を尋ねたりすると、もう一度あの頃の辛い状況が思い出されて、せっかく前に進もうとしているのが突き落とされてしまうんです」
人は誰も、言葉に尽くせない悲しみを心に抱いて生きている。震災で大切な人を亡くすのと、震災ではない出来事で亡くすのと、大切な人を失うということに関しては同じことだろう。それでも、6年前にここで起きたことはあまりにも大きすぎる。陸前高田だけでも二千人近くの人が命をなくしてしまったのだ。
命を落とされた人の何倍もの人が遺族となってしまったのだ。
3月11日。手を合わせ冥福をお祈りすることしかできない。
そして明日からはまた、立ち上がろうとしている人たちをそっと応援していこう。
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