日が傾くにつれて気温はどんどん下がっていった。今シーズン最大の寒波、数年に一度規模の厳しい冷え込みと気象情報が繰り返していたその日、日没後にはクルマのデジタル外気温計の数値はあっという間に「-6」を示した。
年明けから春のような暖かさが続いてきた東北にも、本格的な冬が来た。東北の冬の冷え込みは厳しい。でも、だからこそ、この季節だからこそ美味しくなる物がある。その代表格と言えば、そう、あのお酒、陸前高田の酒蔵(現在の工場は大船渡)酔仙が冬季限定で発売している「雪っこ」だ。
やさしく白く濁った色合い、甘くてまろやかな味わい、さらに酵母が生きている活性原酒だからこその軽やかにスパークリングな風味。ついつい杯が進みすぎることから、魔の酒とも呼ばれる魅惑の日本酒。
せっかくの岩手のお酒だから、肴にも岩手・三陸のものをアテたいもの。この日は、陸前高田で生産される「北限のユズ」の香りを生かす三品を用意した。まずは、岩手県北部を中心にモチ米で育てた岩手もちもち牛の叩き。そして、大人の拳ほどの大きなホッキ貝をばさっと捌いた刺身。さらに広田湾産の肉厚なホタテ貝。要するに手間ひま掛けずにつくれるおつまみに、北限のユズの刻みをぱらりと振りかけただけのもの。早くお酒をいただきたい飲ん兵衛ならではの酒の肴。
しかもお値段は、ホッキもホタテも生きた物(貝を開く時に手を挟まれて痛いくらいにイキがいい)が1個120円とか150円とか。もちもち牛に至っては、本来高級なものながら頂き物だったので0円。もっとも高額だった雪っこにしても、おいしさを密封したアルミ缶が1缶250円ほど。想像を絶するリーズナブルさなのである。
さりとて、地の物を地のお酒と合わせていただいたわけだ。どんなに美味しかったかなど説明するまでもない。細かく説明すると日本中の日本酒好きから嫉妬されること必定だから控えておく。
こころの酒、があることの幸せ
こころの酒なんて言うとまるで演歌のタイトルみたいだけれど(石川さゆりさんに「心の酒」があり、藤あや子さんには「こころ酒」がありました)、小雪舞う冷え込み厳しい晩に美味しいお酒をいただいて、ふと思い出したのは昨年10月1日のこと。
その日は陸前高田の祭り組の人たちに、お祭りとはぜんぜん関係のないイベントでお世話になって、「まあ久しぶりに集まったことだし、軽く飲みに行きましょうか」ということで、仮設市役所近くの居酒屋に集ったのだった。
8月の七夕祭り以来という顔ぶれもあったので、お祭りの日前後の思い出話に花が咲いたわけなのだが、祭り組の若大将が「そういえば、今日は10月1日なんっすよね」と言い出した。
「10月1日、今日は今年の雪っこ解禁の日なんすよ!」
「飲みたい!」「飲もう!」「飲むしかない!」と声が上がる。「ご心配なく。ここのお店にも置いていることは確認済みですから」と若大将。「ボージョレ・ヌーボーよりも早く、雪っこヌーボーがいただけるなんて♡」と、この日のために首都圏から来てくれた女子たちも喜びの声。
「今年の雪っこ、OKすよね?」とのオーダーに、マスターもニコニコ笑顔で応える。「大丈夫ですよ、品切れにならないようにたくさん取っときましたからね」
雪っこで乾杯。この日、何度目になるのか分からないくらいの乾杯。そして、雪っこの話が盛り上がる。
「酔仙酒造はオレたちの遊び場みてえなもんだったからな」
「これ呑むと、子どもの頃を思い出すんだよな」
「子どもの頃からお酒呑んでた???」
「いや、酔仙で甘酒をふるまってくれることがあってさ。甘酒っていっても酒蔵の甘酒だからどべっこなの。上等の酒粕でつくった甘酒だから、たぶんだけんど、アルコールも残ってたんだろうな」
「どべっこってどぶろくでしょ、酒じゃん!?」
「そんな固いこと言わない時代だったんだっぺな。大人たちが呑んでる脇から子どもらももらって呑んでてなあ」
「そうそう、オレたちも酔仙の甘酒は楽しみだったんすよ。小学生が真っ赤な顔になったりしてね」
「それも楽しみのうち、っていうか、今みてくいろいろな楽しみがある時代じゃなかったしな」
ま、いまじゃ時効ということか……
「時効と言えばさ、2011年の秋の雪っこ」
「あ、あん時のことねえ。テレビまで入って、でも毎年呑んできたオレらはね…」
雪っこを製造してきた酔仙酒造は被災し、工場は完全に流されてしまった。現地での酒造りは不可能だった。それでも酔仙酒造の社長さんは地元で親しまれてきたお酒を造り続けたいと決意して、内陸部の酒蔵を貸してもらって酔仙酒造としての酒造りを再開。その年。震災のその年、雪っこは「秋発売。冬季限定販売」という形を守って発売にこぎ着けた。発売することができたということだけで、地元の人たち、岩手県民、雪っこを知る東北の人たちにとっての希望の灯りだった。
「雪っこ発売!ってのはメディアの人たちにとっても、すごくいいニュースだったのさ。でも、当時の陸前高田には酒を呑めるような店もない。で、知り合いのテレビ局の人に頼まれて、うちで震災後初出荷の雪っこをのんでる陸前高田の人たちっていう絵を撮影することになったんさ」
「おめでたい話だからさ、みんなカメラが写しているところではうまそうに呑んでるんですよ。でもね」
「うん、でもな、カメラが撮ってないとこでは、今年の雪っこ、何かちょっと違わねえかって、な」
「そうなんすよ。うれしいんですよ。震災のその年に雪っこを呑めるなんて、そんなありがたいことはない。感謝感激、それしかないんです。でも何かちょっと違う。そんな話をカメラが回ってない所でひそひそってしてたんですよね」
微妙に味が違って感じられた理由は、間借りした蔵で造ったからということもあるかもしれない。同じく、震災でいろいろなことを経験した人たちの感覚が変化したという面もあるのかもしれない。震災一年目の雪っこのことは、陸前高田の知り合いの多くの人が同じような話をしてくれる。「あの年の雪っこはちょっと違った」と。
とはいえそもそも、活性原酒である雪っこはデリケートなお酒だから、毎年味わいが少しずつ違っていても当たり前なのかもしれない。ボージョレ・ヌーボーがそうであるように。
だけどまた、こんな風にも思えるのだ。
毎年発売されるお酒を、町の多くの人たちが楽しみにしている。そしてその年々の味わいを町の多くの人たちが感じ、語り合ったり共有したりしている。
こんなこと近年、とくに都会ではありえないのではなかろうか。
年々のそのお酒の味わいが語り継がれていく町。あるひとつの銘柄のお酒の味わいの記憶が伝えられていく町。そこには、私たちが忘れてしまいがちな豊かさがあるのは間違いないと思うのだ。
今年、これまで見たこともないような新しくて美しい町が陸前高田に誕生する。しかし、新しい町が「陸前高田」であるためには、そこに雪っこの味わいを語り継いでいく人たちが「いる」ことが大前提だ。なぜなら——、
まちは人と人のつながりでできているのだから。
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