【シリーズ・この人に聞く!第91回】日本人初8000m峰全14座完全登頂を遂げたプロ登山家 竹内洋岳さん

kodonara

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酸素・気圧は平地の1/3、気温は-35℃。極限に挑む登山家といえば、人間離れした体格と強靭な意思をもっているに違いない…。しかしお会いした竹内さんの第一印象はとても優しそうな細面のクリエーターっぽい風貌。そして次々と口から飛び出すふわっとした柔らかな空気をまとったかのような言葉の数々。困難な環境に身を置く時に、何をどう捉え、乗り越えてゆうべきか…そこには生き方の哲学が凝縮されています。世界遺産となった富士山を誰もが登りたがる今、人はなぜ山を目指すのか…竹内洋岳さんにじっくりお聞きしました。

竹内 洋岳(たけうち ひろたか)

1971年、東京都生まれ。ICI石井スポーツ所属プロ登山家。立正大学客員教授。酸素ボンベやシェルパを使用しない速攻登山を中心に、数々の8000m峰に挑戦。2012年にダウラギリI峰の登頂に成功し、日本人初の8000m峰全14座完全登頂を果たす。第17回植村直己冒険賞受賞。2002年に結婚、二児の父親。

 登山家・竹内洋岳 公式ブログ
weblog.hochi.co.jp  

なんとなくの成り行きで高校は山岳部へ入部。

――山登りを始めたのはいつ頃で?何かきっかけがあって始められたのでしょうか?

標高8,848メートル、世界最高峰エベレスト。エベレストをはじめとする8,000メートル峰全14座登頂成功者は世界で30人しかいない。(2013年7月現在)

標高8,848メートル、世界最高峰エベレスト。エベレストをはじめとする8,000メートル峰全14座登頂成功者は世界で30人しかいない。(2013年7月現在)

大きなきっかけとか転機とかあまり記憶になくて、ただ小さな頃から祖父に山歩きとかスキーとかに連れて行ってもらったので…それがベースになって高校では山岳部へ。でも決して山登りがしたくて入部したわけではないのです。都会にある都立高校で校庭はラバーでしたし。私は郊外の小学校を卒業して、祖父の住む都心の公立中学校へ進学しました。中1の1学期の中間テスト結果が350人中310番台で…。自分の学力の低さに驚いたのです。そこから自分なりに奮起して勉強を始めましたが、やってもやっても全然頭のいい子に追い付かず。朝早くから予習して、学校の正門が開くまで正門前で勉強して…と努力しましたがそれでも、350人中100番前後。ここの公立中学は、いわゆる名門で、進路は、日比谷高校、そして東大へ…というコースから外れた者は、その他大勢・・・みたいなもので(笑)。でも僕の進学した都立一橋高校はクラブ活動が盛んでとても魅力的な先生が集まっていました。
高校の入学ガイダンスの時も勉強よりクラブ活動の話に熱が入っていて、どこかのクラブ活動に入部届けを提出したら今日は帰っていい…という条件で、とにかくはやく帰りたい一心で、受付カウンターの空いてた山岳部へ入部届けを出したまでなんです。山へ登りたいなんて思う人、あまりいなかったですからね。先輩は2年生が2人、同期で入部したのも私ともう1人いましたが彼はすぐ辞めてしまいました。

――すごく意外です。消極的なきっかけにもかかわらず登山の魅力にはまってしまったのはどんな理由ですか?

山岳部の顧問の先生との出会いが大きかった。専門は社会科、歴史だったかな。都立大学山岳部出身の方で、その当時の大学山岳部は今とはちょっと違って厳しかったそうで。その先生と山へ行くと、厳しいながらも楽しい体験談をたくさんしてくれました。そこで岩登りに興味をもったのですが、都立高校の山岳部では危険な雪山や岩山への登山が禁止されていましたし、山岳部はその後、女子率が高くなって山登りというよりもハイキングを楽しむクラブになっていました。ですから大学の山岳部に入って岩山へ登りたい!と。

――そういう先生との出会いは大きいですよね。大学へ進んで願いは叶えられましたか?

今はそんなことないと思いますが、当時は大学別で山岳部のカラーもいろいろでした。そういうことをまったく知らずにどこかの大学に入って山岳部へ…、と思いこんでいたんですね。立正大学へ進んで山岳部に入ろうと部室の扉を叩いたら…弱小クラブゆえヨット部と合同の部室。イメージしていたのとちょっと違って…。新入部員2名、先輩5名の7名の山岳部でしたが、私が入学した翌年にヒマラヤ登山が計画されていました。登るのは中国になる8027メートルのシシャパンマ。これは私にとって最初の海外登山であり、8000メートル峰への挑戦でした。

――一見成り行きのようですが、すべてが望む方向へのいい流れでしたよね。それは運命なのでしょうか?

運命かもしれませんが…決定的なものではなくて、「そういえばそうかもしれない」という。そういうことの寄せ集めでしかないですね。山へ登るために大学へ入って、卒業するまで8年掛かりました。休学すると学費がいらないので、休学して山へ行ったりしていたのです。

親子とはいえ、人は個々に違う。

――幼少期のお話しもぜひお聞きしたいのです。やっぱり活発でいらしたんですか?

『初代 竹内洋岳に聞く』(筑摩書房)

『初代 竹内洋岳に聞く』(筑摩書房)

幼稚園の頃はとにかく体が弱くて休むことが多かったです。幼稚園では出席ノートみたいなのありましたよね?あれに登園シールがまったく貼られていない(笑)。小学1,2年生の頃も月曜から木曜続けて登校すると金曜日は発熱して保健室で寝ていると母が迎えに来る…という毎週の流れでした。それが序々になくなっていったのですが…体が強くなったのか?と言うと、決して今も強くはないし健康的でもなく…。

――それもまた意外です。一般的に登山をする男性は熊のような体型の人をイメージしてしまいますが…竹内さんホッソリとしてファッショナブルですし。

細身なのは登山に適しているのですが、健康診断をしても健康体とは診断されません。身長は180cm、体重60kg程度ですから、やせ過ぎ。血圧も低過ぎ。でも本来、人というのは生まれ方も育ち方も環境も個々で違う。顔形や考え方が違うように人間の体も違うはずです。でも私の場合は登山に適した体。健康という枠には収まらないだけです。食生活も非常に不規則で、ほぼ、一日一食程度。朝も昼も食べず夜だけ食べたり食べなかったり。飲んでいるのもコーラかコーヒーですし。そういう生活は一般的には不健康でしょう。ですから子どもの頃の体質が大人になって変わったわけではなくて、危険を防御してるだけなのかもしれません。ひとよりも間違いなく早く風邪をひきますし、インフルエンザは予防接種をしても罹ります。ただ、お腹(胃腸)は強く、どこの国へ行ってもお腹を壊すことはない(笑)。

――まさに登山という環境に合っている体なのですね。

高所登山を続ける中で生き延びてゆけるように体が進化したのでしょう。高所に適しているということは、低所には向かない。とはいえ私は都会にいたほうが居心地いい。田舎の生活には適していないような感じがします。持って生まれた体質が人それぞれある上、成長過程で環境にふさわしい健康の状態を適応していくものです。

――個々に違う、というのは本当にそうだと思います。竹内さんにはお二人息子さんがいらっしゃいますが、やはり二人ともそれぞれ持ち味が違いますか。父親として大切にされている教育方針はありますか?

上が小1、下が年中ですが、二人のタイプは全然違いますね。上は言うことを聞かない、下はふてぶてしい。この性分は大人になっても変わらないでしょう(笑)。私自身、子どもの頃、親から何かをやれと言われてもやったことが無い。やるなと言われると隠れてやる…そういう本質は変わっていないですね。これは教育方針というよりも彼らとの付き合い方で、自分の人格とは別だということを痛感しています。親だから子どもだからというものではなく、本人は本人でしかない。立場的な役割からよりも、一人の人間として、何かを伝えるようにしています。子どもは世の中から預かっているものだと思います。子どもとしてより男として扱われたいと思うだろうし、親だからといって子どもの人格に立ち入ることはできない。つまり、親子としての関係より、人間同士として関わりたいんです。

長く続けることで意味をもつものもある。

――ここまでとても意味深いお話しを伺ってまいりましたが、息子さんお二人は今、習い事は何かされていらっしゃいますか?

『標高8,000メートルを生き抜く登山の哲学』(NHK出版)

『標高8,000メートルを生き抜く登山の哲学』(NHK出版)

上の子は剣道、そろばん、将棋、英会話へ通っています。みんな、本人がやりたいと言ったことです。実は、家の中にテレビを置いていません。テレビはあるのですがクローゼットの中にしまったままで、まったく出てきません。以前は出ていたのですが、私も妻も、元々、テレビをほとんど見ないので、子ども番組を子どもに見せるために出ていたようなものでした。しかし、子どもは観たらそのまま釘付けになってしまうし、さらに上の子はテレビをテレビとして扱わず、テレビに馬乗りになったり、を引きずりまわそうとしたり(笑)結局、子どもがテレビを見ているときは、一緒にテレビを見ていなければならないのなら、ヤメてしまおうと、5年くらい前に片付けてしまったのです。親が観ませんから、子どももテレビを見たいとも言わないし、そうしたら、子どもは常に何かをして遊びたがるので、子どもは、いろいろな習い事に興味がわき起こっているようです。また、テレビをつけておけば子どもはそちらに釘付けになるので親としては楽ですけど、その分、親は子どもを、子どもは親を見るようになったと思います。テレビが無いので。

――そういう決断はなかなかできそうでできないものですよ。子どもにはこうなってほしい…という思いは何かありますか?

うーん、自分で生きていけるようになればそれでいいかな。ひとに決めてもらうのではなく、自分で決める。何になりたいか?何をやりたいか?も親に決めてもらうのではなくて、自分で決めることができればいいと思います。僕は各地で講演をしますが、そこで、子どもの参加者から「どうやって決断をするんですか?」と質問されることが度々あります。それって一見鋭い質問だと思うでしょう?でも、決断の仕方はひとに教えてもらうのではない。自分でするものですよ、決断って。ひとに決断の仕方を聞くのって、そもそも決断じゃないなぁ…と。

――その通りですね。決断にマニュアルなんかないわけで。自分で決めない限りいろんな人との出会いもないですものね。

今は、自分で決めずに人に言われたことをそつなくこなして、失敗した時は指示した人のせいと…というのが一般的なのでしょうか?だからこそ自分で決めることはすごく難しい。自分で責任を負うということと、責任を取るということの違いも曖昧に感じます。政治でさえ一年交代のように首相が変わる日本ですから。ただ、私が「自分で決めるようになりなさい」と言っても、やはり決められないものですよね。やれと言ってもやらない…という先述したことと同じ道理です。自分で感じていくしかないと思います。

――例えば今の若い子は学校とか職場とか気にいらないとポイッと棄ててしまうあきらめの速さがあって「使い捨て」みたいな感覚があるように思います。こういう現象はどう思われますか?

私たちも同じだったかもしれません。ただ取り巻く環境が変わってきているのでその中においても意味合いが変わりつつある。もしかしたら何かを「辞める」ことで何かに出会うこともある。辞めることが悪いことなのではなく、人に出会えるかどうか。どんどん取り換えることで意味をもつこともある一方で、世の中的に長続きしないからこそ、長く続けることで意味をもつものもあると思う。最近の若い子が長続きしないのではなくて、今の日本がそういう世相になっていること、私たち大人が、すべて子どもたちに影響を与えているのでしょうね。

――子どもは大人の鏡ですよね。では最後に8000m級の14座登頂されて、これから先どんな登山をされる予定ですか?

私はこれからもひたすら山を登り続けることしかありませんが、これまでの目標とした8000m14座は、数字がはっきりしていて、多くの方にわかりやすかったですし、世の中へ登山や、8000m峰が14座あるということを伝えるために有効でした。そのため、今後、私が続けて行く登山は、14座よりは、分かりにくくなると思います。しかし、いまから60年前エベレストが初登頂された以前は、人々は、まずエベレストを探すことから始めていたはずで、ひらすら、14座や8000mでもない山々を登り続けてきたのです。今はインターネットや衛星写真で地形も見られますし、地図もあるし、ありとあらゆる所に人が行けます。でも、当時は何もなく、何もわからない状態で人が未開の地へ入っていった。そういう登山本来の姿を今の時代に出来ないかと思わせるのが、自分自身がまだ行ったことのない山に行きたいと掻き立てられることにつながっていると思うのです。地球上には、無数に山があり、ひっくり返してみれば、私は、その内のたった14を登ったに過ぎません。まだまだ、たくさんの私にとっての未開の地があるはずです。それがどんな所なのか。未知の世界へ立ち入ってみたいのです。それが、山登りの原点だと思います。

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