「伝説のディーラー」として外資系金融会社で長年活躍されてきた…と聞けば、流暢な英語を操り、修羅場を生きぬいてきた怖さをイメージするが、実際お目に掛かる藤巻さんはおしゃべり上手な愛敬たっぷりのおじ様。しかしながら経済を判定する卓越したスキルをもち、社会の仕組み、価値観、財産価値など厳しく捉えます。これからの日本、そして子どもたちにとって必要な力とは?を語って頂きました。
藤巻 健史(ふじまき たけし)
1950年、東京生まれ。一橋大学商学部を卒業後、三井信託銀行に入行。80年に行費留学にてMBAを取得(米ノースウエスタン大学大学院・ケロッグスクール)。85年、米モルガン銀行入行。東京屈指のディーラーとしての実績を買われ、当時としては東京市場唯一の外銀日本人支店長に抜擢される。同行会長から「伝説のディーラー」のタイトルを贈られる。2000年に同行退行後は、世界的投資家ジョージ・ソロス氏のアドバイザーなどを務めた。1999年より2011年まで一橋大学経済学部で非常勤講師として週1回半年間の講座を受け持つ。現在、株式会社フジマキ・ジャパン代表取締役社長。「週刊朝日」で「案ずるよりフジマキに聞け」(毎週)、「日経ヴェリタス」で「フジマキの法則」(月1回)、「日経新聞電子版」で「カリスマの直言」(4週に1回)連載中。
将来こうなりたい!という願望のない消極的人生
――きょうは藤巻さんの幼少期から、ご自身のお仕事、ご家族についてのお話しをいろいろ伺います。とっても賢いお子さんだったと思いますが、幼少期の印象的な思い出はありますか?
僕は教育大付属(小中高)に通っていたので小学校時代はバス通学でした。勉強は家ではせずにバスの中だけ。それなのに、その姿を「ガリ勉」と称されたこともありました。教育大付属小学校の入試は国立なので学力よりもクジ運がより重要。結構運だけはいいんですよ。小学校受験はもちろんのこと中学受験でも塾には通っていませんでしたし、学校まで行き帰りに時間が掛かるので習い事も何もしていませんでした。クラスでは投票で選ばれて学級委員長を務めるような子でした。小心者だったので先生の言うことをよく聞く優等生だったということです。先生に反抗するだけのガッツがなかった(笑)。
――大きくなったらこんな仕事がしたい!という夢はお持ちでしたか?
僕らの時代は、サラリーマンになること。どこかの会社に入って働くようになるくらいしかイメージがなかった。ディーラーなんて仕事があることも知りませんでした。銀行で働く、とかそういうイメージですね。
――そもそも国立の小学校へ通われていたわけですから成績優秀だったのでしょうね。
確かに当時30倍くらいの競争率で狭き門でしたが、30倍から3倍までは試験。と言っても試験はボール投げ、片足ケンケンなど運動能力を試すテストばかりでした。つまり運動能力と知能は比例しているという前提だったのでしょう。その頃は別に「受験戦争」などというものは全くなく、小学校受験の準備をしていた人は皆無でしょう。僕を小学校受験させたのは、父や祖母の先見性のおかげだと思っています。
3倍からは先ほどお話ししたようにクジ引きです。いいクジを引いたのです。幼稚園は雙葉でした。私の母は早くに亡くなって、母方の祖母に育てられました。亡くなった母の妹の叔母が雙葉の英語の先生で、そのコネで入園したのですがね。雙葉は女子校ですから男子は小学校入学時点で外に出せされます。ですからわざわざ雙葉幼稚園に入ろうという男子生徒はいなかったと思います。そういう意味ではコネで入ったとは言えないでしょうね(笑)2クラスで男性8名、女性52名の至福の時代でした(笑)。ただ、どういうわけか、紙幣になった伊藤博文や岩倉具視の孫も一緒でしたよ。先祖がお百姓さんだったのは私だけかも?(笑)
――ご兄弟の幸夫さんとよくコンビでお見かけしますが昔から仲良しでいらしたんですか?
幸夫とは10歳離れた兄弟です。父は私の母が亡くなってから後妻をもらい、新しい母の子どもが幸夫です。末っ子なものですから、誰も彼を叱らないので、兄とはいえ私くらいしか威厳をもって叱れなかった。彼にとって僕は怖い存在だったはずです(笑)。
長男ケンタと次男ヒロシの子育てから学んだこと
――藤巻さんお二人息子さんは、もう既に社会人として働いていらっしゃいますね。それぞれキャラクターがおありだと思いますが、お二人の幼少期はお父さんとしてどんな関わり方をされていらしたんですか?
何も考えていませんでした(笑)。二人とも中学受験を経験していますが、塾で出される宿題の問題が難しくて、思わず僕も一緒に解いてしまい…結構難しかった(笑)。上の子ケンタは私に似て強烈なキャラクターを持った子。中学3年生の夏休み、学校でカナダへホームスティする行事がありまして強制ではないけれど大多数が参加します。費用は当時50万くらい払いこんでいたのに「くだらないから行かない。夏休みは自分の家で勉強する」と言いだして烈火のごとく叱り飛ばしましたよ「金返せ!」って。夏休み50日間の間、家で勉強したのは2時間ほどだったのによく言うよ!でして。後日、邦銀時代の先輩にその話しをしたところ「そんな稚拙な子ども同士のケンカではなくて、『カナダにはマブイ女性がウジャウジャいる』と言って説得すればよかったんだ!」とご助言頂きました。
――なかなか骨のあるお子さんですね!自分で一度決めたら変えないってすごいことです。ところで藤巻さんの英語は「フジマキ・イングリッシュ」と言われるそうですが、英語はお仕事がら堪能でいらっしゃいますか?
僕がJPモルガン在職中、家内は「日本人の前で英語を絶対しゃべってはいけない」とアドバイスしてくれました。米国経営大学院(ビジネススクール)修了、3年半ロンドン勤務、15年間米銀勤務、そのうち5年間東京支店長…というこの経歴をふまえて、あなたの英語を聞いたら人が人を信じられなくなる。と家内は言うんです(笑)。英語よりしゃべる内容が大事なんだと思いますけどね!僕が話す英語を正しい英語に通訳してくれるアメリカ人もいました。
――そういう姿勢、とても大事だと思います。英語はツールですし、ディーラーという職業は一瞬の判断力と思考のほうが大切でしょうね。お子さんにはどんな習い事の機会を与えたんでしょうか?
二人とも塾と水泳だけでした。本を読む環境だけはありました。高校出るまでは、読み書きそろばんが中心。何か学びたい時は、自分が働いて稼げるようになってからでいいと思うんです。損しないと身につかないことだってあるから。
――お子さん二人ともすごく計算がはやかったとか、数学がズバ抜けて得意とか、そういった才覚はありましたか?藤巻さんが教育で大切にされてきたことも教えてください。
そういうことよりも、勉強するということはやはり大切なことなのだと親の背を見て学んでいるというのはありますね。僕は長男とは特に親子ケンカもしましたが、少なくとも二人の息子を心から愛したということだけは自信をもって言えます。もっとも言葉で愛しているとこちらが言っても、子どもからは返事は返ってきませんが(笑)。
「ガラガラポン」は否応なくやってくる!
――新刊「日本大沈没」本屋さんでも平積みされていて企業で働く人の関心度の高さを表しています。拝読するうちに日本の未来は暗いなぁ~と痛感しました。「暗く深い闇の時代をいかに生き抜けばいいか」藤巻さん流に一言でまとめると、どうなりますか?
社会の仕組み、価値観、財産価値等すべてが土台からひっくり返る「ガラガラポン」をマーケットが引き起こします。そのときの損害をいかに最小にするかに今取り組んでいるわけですが、僕は「ガラガラポン後の日本の未来は明るい」と思っています。希望を持って生きていけると。なぜなら…を具体的に解説した内容がこの本に書いてあります。
――日本はバブルがはじけてから、ちょっといい波があってもリーマンショックが起こったり、昨年は3.11もありました。日本経済がガタガタなのは主婦が一番日常の中で感じています。正直な話、日本経済は今どんな状態ですか?
本にも書いていますが、日本はバブル崩壊以降、ずっと景気が低迷しています。半端な低迷ではなく、とんでもなく悪化している。世間はその低迷ぶりをはっきり理解していないからこそ、枝葉末節的な景気回復論に振り回されるのだと思います。「正しい処方箋を書くには、正しい実態把握が必要だ」ということを福島第一原発事故で痛感したはずなのに、景気対策ではそれが活かされていないのです。
世界経済が低迷しているせいにする人もいますが、他国企業も世界経済の影響はうけつつ、皆、元気でやっています。日本の劣等生ぷりは世界の中でも断トツです。ギリシャが財政危機で大きなニュースになっているのに、日本はそれほど取り上げられないのはなぜかわかりますか?日本の国債は日本人しか持っていないから、日本がこけても他国は関係ないからです。世界が騒いでいるから大変だ、騒がれていないから大丈夫だということでは決してないということに注意すべきです。ここまで累積赤字がたまっている以上、日本は財政破綻状況だと思います。それを避けるために日銀は紙幣を擦りまくり、日本は近い未来「ハイパーインフレ」状況になるでしょう。それしかこの巨大な累積赤字を解消するすべがありません。「ハイパーインフレ」になると国民は仕事、財産、将来の年金まですべてを失うことになるでしょう。財政破綻状況の国は助けてくれません。
――知れば知るほど暗い気持ちになりますが、それが現実なんですね。著書の中には「日本は世界で一番成功した社会主義国家だ」という一説があります。日本は民主主義国家ではなかったんだ!という驚きもありますが、これはどんな意味でしょう?
日本には「餓死するような貧者」はいない一方で、「本当の意味の富者もいない」と思います。若い人には世界を実際にみてきてほしい。見れば、そう実感できると思います。自分の目で日本と他国の状況を比較してほしいのです。机上の数字をこねくりまわして「日本には格差がある」とか「日本には貧困層が多い」などと言ってほしくない。格差のない国、日本。ですから外国人から「日本は社会主義国家だ」と言われるのです。
――世界から見る日本は、私たちが感じている以上に厳しい見方ですね。では最後に、これからの子どもたちと、小さな子を育てている親へ明るい未来を迎えられるようなメッセージをお願い致します。
「いつか私もそうなりたい」と夢をもって、ファイトを燃やしてチャレンジできる目標になれる若い成功者が日本にはいません。チャンスは平等にあるはずなのに若者から熱気を感じることはない。これから財政破綻を迎えて数年間は大不況になります。ただ、その後は円の大暴落により当初は辛いものの、数年すると国際競争力が回復し、日本経済は再び大躍進をするでしょう。1997年に地獄をみた韓国が、ここまで立ち直ったのと同じ道筋です。いろいろな問題を超えていかねばなりませんが、社会全体が競争社会になって本当の実力社会となります。困難はやってきますが、明るい未来を信じて乗り越えるまでです。第二次世界大戦ですべてを失った日本人は、明日を信じてここまで成長したのは希望があったからです。来たるべき困難な時代に備えて、乗り越えてゆきましょう。
我々世代は、ここまで積み上げてしまった累積赤字のおかげで財政破綻というペナルティーを受けます。仕事も年金もためた預金もなくすからです。しかし、若い世代は、近々起こるガラガラポンで、救われます。
ガラガラポンがなければ、我々世代が積み上げた借金を彼らが馬車馬のごとく働いて返さなければならないのですが、ガラガラポンによってその債務はなくなります。若者の世代は明るいのです。今ある閉塞感はすべて霧散するわけですから、実力さえつけておけば若者には明るい未来が待っているのです。
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