秦さんの歌のテーマは、スーパーのレジ待ちの列、レンジでチンして忘れたお惣菜、結婚記念日を忘れた夫、バーゲンセール…など、主婦であれば「そうそう!」と相槌を打ってしまう歌詞ばかり。歌詞の絶妙さだけでなくピアノで美しくリズミカルに奏でる音楽性の素晴らしさで今、多くの主婦のハートを撃ち抜いています。コンサートにはたくさんの主婦が足を運び、チケットは即完売。今春1月にメジャーデビューした52歳の新人歌手は15歳の双子を育てる母でもあります。ご自身のことから、お子さんの教育について語っていただきました。
秦 万里子(はた まりこ)
東京都出身。3月28日生まれ、牡羊座B型。
作詞、作曲、編曲、ピアニスト、音楽教育家
幼少の頃よりピアノを始める。この頃から即興演奏を得意とし、発表会も自作曲で出演。
学習院初等科、女子中、高等科を経て、国立音楽大学器楽科ピアノ専攻へ。
在学中よりキーボーディスト、作曲家の助手、音楽講師、各種伴奏者として活躍。
1978年同校を卒業。音楽活動を続ける。
1985年渡米、バークリー音楽大学院にてC.ジャナー氏に師事。作曲、編曲、指揮、
ミュージカル、ジャズなどを学び帰国。その後、双子の子育てに専念するため
しばらく音楽活動を自粛。現在、作詞、作曲、編曲活動の他、ソロで楽しいステージを繰り広げている。
厳格で優雅な先生に3歳からピアノを習う
――秦さんといえば「即興ソング」がおハコというほど楽しい歌詞をピアノ演奏に軽やかにのせて歌われていますが、ピアノは小さな頃から好きでしたか?
3才の頃からピアノは習い始めました。ちょうどお庭続きのお隣に住んでいらしたのが作曲家・三宅榛名(みやけ・はるな)のおばさまにあたる方で、芸大を2番でご卒業された方に指導をしていただきました。とても厳しかったけれど、ちっとも苦ではありませんでした。
――具体的イメージとして残っているのがスゴイ。音の感覚も鋭かったのでしょうね。ピアノの先生から指導されたことはたくさんおありでしたか?
それはそれはたくさんあります。ハノンから聴音から全部指導を受けました。私が一番今役立っているのは「※カデンツ」。あの音楽の授業のはじめとおわりに、「ジャン、ジャン、ジャ~ン」と和音で弾くあの音。文章で起承転結があるように、音楽も終わり方のパターンがあります。聴音や今までのピアノ曲から学んでいました。音大に入学するまで、ずっとその先生は変わりませんでしたね。厳しい先生でしたから、あまりの緊張でお漏らししちゃう子がいたりしましたし、指の番号を間違えて弾くと「もう一回!」「どうして練習してこなかったの?」と言われましたが。
※和音の機能を組み合わせたのが(kadenz)
――私はピアノの先生が6年間で8人くらい変わって、あまりいい思い出がありません。習字やスイミングは楽しく通っていましたが、ピアノだけは辞めたかったんです。秦さんの場合は、厳しい先生のもと嫌になったりされませんでしたか?
ひとつにはグランドピアノだったこと。そして鳥の羽のついたスリッパとアンゴラのセーターの先生を何となく優雅に感じていたんです。ある時、その先生がトイレに入っていく姿を見て衝撃を受けたことを覚えています(笑)。「え? 先生もトイレに行くんだ!!」ってね。
耳はすごくよかったので、先生が次週習う曲を弾いてくれると譜面を見ないでも記憶できましたね。でも調がずれていたりで、「万里子さん、この曲はハ長調ではなくてニ長調ですよ」と指摘されたり。譜面みていないのがバレちゃったり(笑)。
――天才音楽家と称される起源ですね。今もステージでは鍵盤を見ずに、指から音が紡がれるように奏でています。練習は今でもやはりものすごくされるのでしょうか。
練習と思わずに触っていますね。昔からそうですが、ピアノに触れずにいられない。海外留学時代は6時間ピアノを弾いて2時間眠りを1日3回繰り返していました。つまり24時間のうち18時間は音楽漬け。2時間しか眠らないと、睡眠不足もあまり感じずにかえってスッキリしていました。そんな生活を1年半続けていました。その頃は課題が毎日山のように教授から出されて、それをこなすのに必死でしたから。でも、後々聞くところによると、真面目に課題をやっていたのは私だけだったようです(笑)。いつギブアップするか待っていたようですが根をあげませんでしたからアテが外れましたね。
――凡人からすれば狂気の沙汰です!特に精神的に追い込まれること無く、バリバリと課題もこなしつつ、しかも海外での留学生活でしたよね。タフな学生時代がベースにあるのですね。
そんなピアノ漬けの日々でも一度も嫌にならなかったのです。日本人は特にですが、海外で留学生活を送るうちに他のことにのめりこんでしまったり、ドラッグにおぼれたり、つるんで遊びほうけて勉強どころではなくなってしまったり。今の時代も多いかもしれませんが、当時もそうでした。ピアノ漬けの私ですらさまざまな勧誘はありましたね。自分の心がしっかりしていないと、勉強はできません。たくさんの誘惑がありますから。
双子の娘への教育方針は「オンリーワンになれ」
――双子のお嬢さんも音楽の道を歩き出しました。
小さな頃は、人に迷惑をかけないこと。大きくなってからは、オンリーワンになること。私は「音楽家になってほしい」とは思っていませんでした。職業にすることならプロになりなさいと。音楽家ではなくとも、たとえば八百屋さんになるなら、お客さんが店に入ってきた途端に顔色を見て「奥さん、今日の顔色あまりよくないね。ビタミンBが足りないよ。だから夕飯はチンジャオロースで決まり!」と言えるようなプロに。お花屋さんをするなら、人が行きたくなるお花屋になること。ただお花を並べて売ればいいというわけではありませんよね。知識も豊富にあって、お客様には細やかな気遣いがあり思いがある。何をするにも、そういう心を忘れてはいけない。そうした覚悟で2人とも道を決めたようです。
――音楽家になるために、こんな努力をしてきた!ということはありますか?
努力をしてきたことって無いと思います。小学生の頃、音楽室の作曲家たちの肖像画を見て「なぜ女性がいないんだろう?」と思って、私が作曲家になる!と決めていました。音楽やっていることは全然苦しくなかったですし、それは今も変わりません。
――小さな頃はピアノの他に何か習い事はされていたのでしょうか。
当時の私は、習い事は「一人ひとつ」しかできないものだと思っていました。バレエを習いたくて幼稚園時代に、どれだけバレエ教室の前に佇んでいたことでしょう。ある時、TBSの某番組で踊りたい女の子を探しているのを知って、迷わず立候補してめでたくTBSデビューを飾ったのが4才の頃。
――ピアノを弾くのが一番お好きだったのかと思いましたが、踊ることもお好きだったんですね?
人前で踊ったり歌ったりするのが楽しくてしょうがなかったんです。小学校の学芸会では、蝶の役で今でもセリフを覚えていますが「どこへ行くんでしょうねえ(もったいぶって)」という1行だけのセリフ。少しでも長くスポットライトを浴びていたくて(もったいぶって)まで言って、先生に「万里子さん、カッコは言わないでいいよ」と何度も指摘されていました。だって一行しかないんだもん(笑)。その時に歌った歌も、今でも歌えます。
――大爆笑です。一つひとつの思い出がとても克明で具体的に覚えてらしてスゴイですよね。記憶力が抜群に優れていらっしゃる。
視覚と聴覚で覚えていることが多いのです。例えば、授業参観の時に友達のお母さんが着てきた洋服の色とかね。
それから特技で、ピンポイントで人のことを視覚で小さくできるんです。小学生時代、苦手な先生がいて「はやく授業終わらないかな~」と思っているうちに、きゅ~っと小さくできる技を身につけたの!(笑)「威張っているな!エイ!小さくしちゃえ」…と思うわけです。これは今でもできるんですよ。
天才音楽家として脚光を浴びるまで
――音楽が人より秀でている、とご自分で意識されたのは何がきっかけでしたか?
小学2年生の頃、音楽の先生が体調を崩されてお休みした時に「伴奏できる人は?」と聞かれて。当時のクラスで私しかできなかったんですね。それで歌のタイトルを聞いて楽譜なしで弾けたものですから皆からも一目置かれ、「私は音楽ができるんだ」と。
――プロフィールは音楽家として華々しいご経歴ですが、実物の秦さんは「主婦の半径5m」をテーマにした歌を歌っている通り、なんだか生活感あふれて笑えるし泣けてしまうし。サザエさんみたいな親しみがありますね。
バークリーで学んできただけで鼻が高くなってしまう人もいますが、私にとって自分のことは少し距離をもって眺めて笑っているんです。
――継続は力なり。秦さんはずっと地道に音楽活動をされてこられて、今春1月14日にライブアルバムでメジャーデビューをめでたく果たされました。
いつか誰かが見つけてくれるんだろうと思って音楽は好きで続けてきたのですが、なかなか誰にも見つからずに。ただ、波をおこすには自分で揺すっているだけでは起こらず、波を見張っている人がいたり、波の違いを発見する人がいたり、それがいい波かどうかを判断できる人がいたり。たくさんの人がいて初めて波が起こる。そういうことがわかったのは本当に最近です。
――では最後に、子どもにピアノを習わせたい親御さんたちへ何かメッセージをお願い致します。
何でピアノを習わせたいのか、よく考えてみたほうがいいかもしれませんね。音楽によって、その子がどうなることを期待しているのか?好きなら続けていけると思いますが、好きではないのに習わせることはないのです。毎日練習しなさいと子どもに言いたくなると思いますが、一緒に親も弾いて習うといいですよ。お母さんにとってピアノが楽しいものなのか、辛いものなのかわかると子どものこともわかるでしょう。親子一緒にピアノを習えば連弾もできるし。
今の子どもたちは、聞かれていることに自信をもって「**です」と答えられない。間違えてしまうことを認めてあげられる寛容な社会になりたいですよね。皆が、自分の意見をはっきり伝えられるような社会になればいいなと思っています。
編集後記
――ありがとうございました!
2005年に秦万里子さんと出会ってから、私は個人的にずっと応援し続けてきました。万里子さんのスゴサは10人前にしても1000人前にしても全然変わらないところ。音楽の価値の高さはライブで聴いてくだされば絶対理解していただけます。耳で聴いて楽しむ音楽というより、心で受けとめる歌なのです。誰もが持っているけれど家族へいちいち口に出して言えない気持ちとか、生活の中で散らばった感情のカケラをつなぎ合わせてくれます。そして、その場に居合わせた人をギュッと包み込んでくれるあたたかさがあります。今年は続々全国各地でコンサートがありますので、ぜひご家族で行ってみてください!
取材・文/マザール あべみちこ
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