11月10日、静岡市。
傘が必要な天気にグラウンドの様子を案じていたが、球場に到着して驚かされたのは、その観客数だった。草薙球場の内野席はほぼ満席。サッカー大国と言われ、野球には関心が低めな県民性だと思っていたが、全くそんなことはない。
これほどの注目度だとは思っておらず、雨のなか、座れる席を探すのも一苦労だった。
楽天が創設初の日本一に輝いた一方で、今年も多くの選手たちが戦力外通告を受け、球界を去ることになる。20代前半の無名選手もいれば、一時はスタープレイヤーの仲間入りを果たしていたベテラン選手までもが、非情にも戦力外となってしまった。中には、今季を独立リーグでプレーし、ふたたびNPBの舞台を見据える選手もいる。
この草薙球場に集まった65人の選手たちは、再起を懸けてこの球場でアピールをする。もう一度、華々しいグラウンドに立つために。もしくは、この場を最後にケジメを付けようとしている選手もいるかも知れない。
この場から、毎年わずか数人だけが新しい所属球団に出会い、“拾われる”。
「12球団合同トライアウト」はそういう場なのだ―――――
山本へ、内藤へ、飛び交う声援
それにしても、いち地方球場でしかない草薙球場にこれだけの観客が集まっていたのは驚きだ。
例年、このトライアウトは12球団の各ホームスタジアムにて、持ち回りで行われるのが常だった。しかし今回は、静岡県と静岡市がこのトライアウトを必死に誘致したと聞く。だとしたら、その取り組みはどう見ても成功だろう。特に一軍でも活躍したような選手が登場すれば、ファンの声援があちこちから飛び交っていたのだ。
開始以降、まず最初の盛り上がりを見せたのが、ソフトバンクを戦力外になった左腕投手・山本省吾と、横浜を戦力外となった外野手・内藤雄太の対決だ。山本は合併前の近鉄に入団し、その後オリックス、横浜、ソフトバンクと渡り歩いた苦労人。対する内藤は、中畑監督が戦力として考えていたにも関わらず、球団が勝手に(?)解雇してしまい、ひと騒動あったばかり。プロ野球ファンなら、どちらにも感情移入が出来てしまう対決だった。
結果は山本が内藤を変化球で空振り三振に仕留めた。
どちらも同じ戦力外だが、この一打席一打席でもはっきりと勝敗が決まっていく。だからと言って、2人ともふたたびNPBのグラウンドに立てるかどうかはわからない。
山本と同じく、ソフトバンクを戦力外となった左腕投手・大立も印象的だった。
投手は1回のマウンドで計4人の打者と対戦する。大立は1人目の吉田(元ロッテ)を三振に仕留めたものの、三家(広島)、大平(元日本ハム)、細山田(横浜)に三者連続で四球を与えてしまった。球場の盛り上がりとは対照的に強まっていく雨、ボールは滑るかも知れないし、足下だってぬかるんでいる。
もちろん、プロにはそんなことも関係ないのだが、見ている側からすれば不運にも思えてしまう。「もうコイツはどこにも拾ってもらえないな」と、観客の一人がつぶやいた。大立は26歳。彼には今後どんな人生が待っているのかと、いち同世代として考えてしまう。
対戦する打者としても、トライアウト一日あたりの打席数は5打席程度。アピールの場は限られているワケであり、相手投手に四球を出されてしまってはたまったものではない。四球を出した大立に同情したが、打者目線で見ればその大立が腹立たしくも思えた。特に一軍でも活躍した経験のある細山田が歩かされた時は、細山田ファンから辛辣なヤジも飛んでいた。
実力はもちろんながら、ここでは運や巡りあわせも重要になってくる。さいの目に期待する要素も含むこのトライアウトの場で、選手たちの人生を見た気がした。
次に球場が沸いたのは、ふたたび内藤の打席だった。これまでなんと22打者連続無安打。どちらかと言うと投手が優位に立っていた状況の中、内藤が放った打球は左中間に鋭く飛んでいった。
……が、これも横浜のかつての同僚であり、オリックスを戦力外になっていたレフト・野中がダイビングで好捕した。戦力外にこそなったが守備・走塁に関してはスペシャリストの野中。この美技に球場内は拍手喝采となったが、こんなプレーを見せられてしまうと、やはりこのまま球界に残る選択肢も、与えられて欲しいと思ってしまう。
その直後、沸いた球場の雰囲気に後押しされるかのように、野原(阪神)がセンター前へ初ヒットを放っていた。
楽天日本一の裏、チームを去る選手たち
「大加藤!大加藤!」観客が指さした先では、加藤大輔(楽天)がキャッチボールをして肩をあたためていた。11月3日、楽天が日本一に輝いた次の日、加藤が戦力外となったのは記憶に新しい。この日のトライアウトまで、調整期間はわずか一週間しかなかったということになる。
2003年、自由獲得枠でオリックス・ブルーウェーブに入団し、入団初年度から43試合に登板した。その後も、オリックスでは貴重なセットアッパーとしてフル回転。特に2005年から2008年までは4年連続で60試合以上の登板を達成しており、パリーグファンの記憶にはしっかりと残っているはずだ。オリックスが2位に躍進した2008年には最多セーブ投手を獲得。最速156km/hのストレートを武器にした右腕は、まさにチームにとって欠かせない存在だった。
ところが、2009年以降は精彩を欠いた投球が目立つようになり、2011年には非情にも戦力外通告を受けている。彼は2年前に行われたトライアウトでも、注目を集めた選手の一人だった。この年は晴れて楽天に拾われた加藤だったが、今年はその楽天からの放出だ。
注目を集めた加藤は、先頭の浅井(阪神)に安打を許したのち、林威助(阪神)こそ打ち取ったものの、続く柿原(オリックス)、梶本(オリックス)に四球を与えていた。調整期間の短さが祟ったのか、それともこれが今の実力なのか……。彼の行く末も気になるところだ。
その後も、橋本義隆、藤原紘通、土谷朋弘、加藤貴大と楽天を戦力外となった投手が続いた。楽天からは合計7人がトライアウトに参加。楽天初の日本一の背景には、エース田中将大のほか、「星野チルドレン」と呼ばれた若手選手らの台頭が目立った。チームは血の入れ替えに成功したと評価されているワケだが、その陰では、戦力外となった選手たちがチームを去ることも意味している。
特に藤原紘通は、2009年の8月のオリックス戦で、打者27人を1安打無失点の準完全試合に抑えてプロ初勝利を挙げた過去を持つ。当時は「とんでもない投手が出てきた」と、鮮烈な印象を受けたのだが、その後は目立った成績を残せず、いつしか名前も聞かなくなっていた。
そして、この日の登板も今ひとつ制球が安定せず。最後は中原(ソフトバンク)に四球を与えてマウンドを降りた。
雨足が強くなる草薙球場。雨が地面を叩く音まで聞こえ始めたなか、この日最大の盛り上がりを見せたのが、ミンチェ(オリックス)に対する高須洋介(楽天)の打席だ。
どちらも、プロ野球選手としては高齢の30代後半ながら、実績は十分。特に高須は近鉄時代はレギュラー確保にも苦労した選手だったが、合併後の楽天では選手層の薄さから出場機会に恵まれ、才能を開花させた。苦手だと思われていた打撃の進化は目覚ましく、毎年2割台後半をキープする選手となっていった。試合に出場することで成長していく様子は、プロ野球ファンとしても印象的だったに違いない。
球団創設初年度、弱小時代から楽天の主力選手として活躍し、悲願の日本一に輝いた2013年に戦力外通告。そんな背景があるからこそ、打球が右中間を割ったときには大歓声が沸き起こった。
高須が戦力外通告を受けたのは、楽天が日本シリーズに備えていた10月29日。9年所属したチームの初の日本シリーズも「見なかった」と言う。高須は、トライアウトの参加について「気持ちの区切りを付けるため」と報道を通じて述べているが、可能なら、またもう一度グラウンドに立ってほしい。
年俸600万円の元レギュラー候補・細山田
細山田(横浜)が打席に立つころ、グラウンドでは撤収作業が行われていた。雨足が強くなり、これ以上はグラウンドではできないという判断だろうと察した。ほかの観客も、なんとなくその状況察したのだろうか。「ここで終わりか」と残念そうな声も聞こえてきた。
雨の場合、トライアウトは室内で行われる。室内では一般客の観戦は不可とされているので、この細山田が最後の打席になる。
細山田と言えば、早大時代は斎藤佑樹(日本ハム)の女房役も務め、横浜入団初年度の2009年から正捕手争いに加わった。そこから3年間で通算191試合出場。レギュラーとまでは言い切れなかったが、正捕手候補一番手のはずだった。
ところが、2012年に中畑監督が就任して以降、1軍で細山田の姿を見ることはなくなった。結果を出せていないからだろうか。一部では「干された」との見方もある。昨年の契約更改では1,700万円の年俸が、減額制限を超える65%減の600万円まで下げられたことで話題になった。「税金を払えばほとんど手元に残らない」と嘆いたことがニュースにもなっていた。
あれから一年。細山田の復活を待ち望んでいるファンから、この日最後の大歓声が沸き起こる。
放たれた打球は力なくピッチャー前に転がった。
漫画やドラマの世界なら、ここでホームランの一本でも出そうなものだが、これも厳しい現実なのかも知れない。少し走ったあと、天を仰いで雨を浴びる細山田の姿が印象的だった。彼はまだ27歳。老け込む年齢ではない。
雨で室内練習場へ移動、トライアウトは続く
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