1.大学入学編【内地産「島オタ」誕生記】

tanoshimasan

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初めて訪れた島は屋久島だった。大学1年生の頃、なんとなく入部したユースホステル部では、毎年夏と春に「合宿」と称した長期旅行があったのだが、いくつか候補があるうち、なんとなく名前を知っていた屋久島を選んだ。

そもそも、それまで野球一筋11年の僕が、

大学入学と同時によくわからない名前の部活に入ったのには理由がある。

もともと僕は長らく野球をしていたのだが、中学野球までは、部員も少なかったため、続けていればそれなりに活躍できたのだ。しかし、高校ともなると部員だけで120人を超す大所帯。当時は、「努力では埋められない差があるもんだ」と感じ、2軍でのんびり楽しく野球がしたいと思うようになっていた。

ところが、僕は1軍に抜擢されてしまった。

野球の実力以外が認められ、マネージャーのような役割で1軍扱いを受けてしまったのだ。あくまで選手として練習していたが、試合の日になると1軍として行動し、グラウンド以外の場所で働くことになってしまった。

一応、それなりにやりがいはあった、でも、熱くなるほどの楽しさもなく、大学は別のことをしようと思うようになっていたのだ。

で、入ったのが「ユースホステル部」という部活。

ユースホステル部は、

「旅やキャンプを通じて、自然に親しもう」

みたいな趣旨のふわっとした部活だった。入部を決めた点は主に2つ。

ひとつは「実力主義とは縁がなさそう」ということ。文化部ということもあり、どうやら「実力主義」とは無縁の世界に見えたのだ。野球部時代は選手としての実力じゃなく、マネージャー的な実力が評価されてしまい、チームの最前線でそれなりに活躍した。が、それは僕が求めていた実力ではなかったのだ。

ただ、「自分のできることで人の役に立つこと」これについては悪い気はしなかった。きっと文化部なら、実力云々といった面倒くさい話は抜きに、自分の気持ちひとつで活躍できる環境がありそうだ。そんなことを期待していたと思う。

そしてもうひとつは「旅先で遊びたい」ということ。高校時代、それなりに強いチームだった母校野球部の1軍は、要所要所で遠征に行き、遠征先の強い学校と試合をしていた。ただ、僕に限っては、行く先々でほんの少し試合に出る程度。あとは試合の記録など、雑務が中心である。行った先で何を得たのかもわからないまま遠征を終えてしまっていた。

そんな微妙な思い出ばかりなので、旅先くらい、旨いメシを食って、楽しんで帰りたいと思うようになった気がする。とにかく、漠然と旅がしたかった。

「社会に出たら厳しいぞ」とか言うけれど、それだったら大学くらい、自由に遊んでも問題ないよね!

と、自分に言い聞かせていたのである。

そうして入部直後の夏の「合宿」。

8月には最初の屋久島合宿を迎えた。

当時は「屋久島と言えば鹿児島にある」くらいのことしか知らない。それでも、九州どころか、本州からも出たことが無かった僕にとって、屋久島が楽しみで仕方がなかった。




(つづく)

まだまだ「島記事」あります。

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