GWにおすすめ。2泊3日で被災地へ(PLAN-1)

iRyota25

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「まだ被災地に行ったことがない。いまさらちょっと行きづらいなあ」
なんて、そんなご心配は無用です。

被災地に行って、お買い物をして、美味しいものを食べるのがいま一番求められていること。行けばきっと多くの出会いが待っています。たくさんの物語に接する機会もあるでしょう。さあ、行きましょう東北へ。友だちを作りに!

仙台でお昼頃にレンタカーを借りて、石巻、女川、雄勝、大川小、南三陸、気仙沼、そして陸前高田を訪ねて一関へ抜ける。ちょっと忙しい旅程になりますが、2泊3日でめぐる被災地の旅をご紹介します。

1日目。仙台でレンタカーを借りて石巻・女川へ

東北新幹線最速のはやぶさの登場で、仙台はぐっと近くになりました。たとえば09:36東京発のはやぶさ9号に乗れば、仙台到着は11:07。
1本後の09:56発のはやて29号でも、11:37にはもう仙台です。
この時間にレンタカーを借りれば、余裕をもって行動できますね。

さて、仙台から石巻方面へ向かうには、自動車専用道路「三陸道」を使う方法と下道を通って海沿いを走る選択肢があります。仙台~石巻間は下道でも2時間程度。途中の七ヶ浜や東松島市東名(とうな)や野蒜(のびる)に立ち寄れたらいいですね。
もちろん、自動車専用道路でできるだけ早く石巻に入るのもありです。
石巻に入ったら、海沿いの門脇(かどのわき)町や南浜町の見学はお忘れなく。「がんばろう!石巻」の看板があるのは、門脇小学校のすぐ近くです。

2013年3月11日の「がんばろう!石巻」
2013年3月11日の「がんばろう!石巻」

石巻は駅の周辺も津波による被害を受けていますが、解体された建物の空き地がある一方、今も残っている建物もあります。駅前の「立町ふれあい商店街」などに立ち寄ってお買い物がてら、震災当時の状況をお店の人に尋ねてみてはいかがでしょう。仮設商店街に入居されている人たちが経験されたことや、どこに行けばどんな人に会えるかといった情報など、教えていただけますよ。

石巻「立町」についてのぽたるページ
 石巻「立町」についてのぽたるページ
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さらに、石巻から女川は車で30分ほど。この日のうちに女川まで入っておくことも十分可能です。

★1日目の宿泊★

女川のエルファロ

女川のエルファロ

お勧めの宿泊施設は、女川町のトレーラーハウスホテル「エルファロ」です。
なぜトレーラーハウスなのか。内装へのこだわり。手作りタイルに秘められたお話しなど、被災地で未来をつかもうとされている方々のお話が聞けるでしょう。

エルファロ以外の宿泊施設としては、女川町内に「華夕美」、石巻市内に「石巻グランドホテル」など家族でも宿泊できるホテルがあります。
ただ、石巻・女川エリアは、復興の仕事に従事する方々の宿泊需要が大きく、予約がとりにくい状態が続いています。
少し仙台方向に戻ることになりますが、松島や塩竈あたりでホテルを探すのも方法です。翌日の行程を考えても、松島海岸のICを利用すれば石巻まで30分ほどですよ。

2日目。女川、雄勝、大川小学校、南三陸を経由して気仙沼まで

今日の行程はかなりハードです。松島海岸からの出発を想定して、ルートをご案内しましょう。

女川町立医療センターの高台から見たバイパス方面の風景(2013年3月10日)。震災の爪痕がいたるところに残ります。
女川町立医療センターの高台から見たバイパス方面の風景(2013年3月10日)。震災の爪痕がいたるところに残ります。

松島海岸ICから三陸道を通り石巻河南ICへは(約1時間)
国道398号で女川へ(約30分)
前日、どこまで回れたかにもよりますが、女川町の海辺に残された倒壊したビルや町立医療センターのほか、清水集落など山間部にいまも残る津波被害の痕跡などが必見です。

 「被災地・女川」観光ガイド
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ブルーラインから雄勝湾の深い青を望む

ブルーラインから雄勝湾の深い青を望む

女川から雄勝へは、ブルーラインと呼ばれる国道398号線で1時間ほどです。深い海の色が美しいドライブウェイですが、災害復旧工事で片側交互通行の場所もあるので気を付けて走ってください。

養殖漁業と伝統工芸品にも指定された雄勝硯で有名な雄勝町は、町の中心部がほぼ壊滅状態です。入り江の最奥部、雄勝小学校があった場所の手前の交差点を右折して5分ほど走ると、地域の復活を目指してつくられた仮設商店街「店こ屋街(たなこやがい)」があります。
商店街には雄勝硯生産販売協同組合の直売所も兼ねた事務所や、海鮮丼で人気の光洋(洸洋)さん、伝八すしさんなど11の店舗があります。ぜひお立ち寄りください。

 復興を目指すお店リポート 石巻「雄勝硯(おがつすずり)生産販売協同組合」
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 東日本大震災・復興支援リポート 「心の瓦礫はまだまだ残ったままなんだ」
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雄勝から南三陸に向かう道中、橋の半分が落ち、現在も仮設の橋で通行が確保されている新北上大橋の手前に、石巻市立大川小学校があります。
惨劇の舞台となった場所を実際に目で見ることで、「もしも自分が」と想像してみてください。そして、大切なご家族や友人たちと、もしもの時の行動について話し合ってください。
あの日以来、先生の言うことを聞く子が「いい子」というわけではなくなりました。命の危険が迫った時には、先生の言うことを聞かなくてもいいから、自分自身で安全を守ることが大切です。危険を感知すること。自分の判断で行動できること。亡くなられた多くの人たちの魂を供養するとともに、生きることの大切さをこの場所で考えていただきたいと思います。

 東日本大震災・復興支援リポート 「大川小学校・失われた場所」
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大川小から新北上大橋を渡り北上すると、十三浜、神割崎をとおって南三陸町に入ります。

雄勝の海の美しさとは少し違った色合いのきれいなターコイズブルーの海。小さな浜辺が次々に登場しますが、目に見えるすべての浜辺は津波によって大きな被害を受けています。
陸地に打ち上げられた漁船の姿はもう見られませんが、ほんの1年前までは取り残された船が何隻も田んぼの中や道端に放置されていました。
港の堤防の被害も大きく、今でも黒い大型土嚢でつくられた仮設防波堤が長く続いています。

そして道は戸倉の集落から志津川へ。さらに歌津の浜へ。

町も家も商店も電車も線路も役場も港も何もかも。

ありとあらゆるものが失われたとしか言いようのない景色が広がります。

しかし、この場所にはたくさんの人たちの暮らしがたしかにあったのです。

被災地の景色は少しずつ変化していきますが、その時々の姿を記憶にとどめ、2年前のあの日のことと、あの日から現在、さらに未来に続く困難な道のりについて思い返し続けることが大切です。

けっして記憶を風化させることなく。

南三陸町志津川にある防災対策庁舎。今日も多くの人が訪れます。
南三陸町志津川にある防災対策庁舎。今日も多くの人が訪れます。
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南三陸町志津川から気仙沼市の魚市場前までは、約1時間15分の行程です。

★2日目の宿泊★

宿泊先は2つのホテル観洋さんがお勧めです。
ひとつは南三陸町黒崎のホテル観洋さん。場所は戸倉と志津川の中間あたり。朝に夕に美しい姿を見せる志津川湾に面し、料理と温泉にも定評のあるホテルです。震災直後には被災された多くの方々を受け入れたことでも知られています。
2日目の長い行程を少し短くできるのもうれしいところです。

もうひとつは気仙沼のホテル観洋さんです。気仙沼漁港の目の前にそびえる高台に位置する南三陸ホテル観洋さんの姉妹館です。こちらも被災された気仙沼の人々を受け入れや、ボランティアさんを対象とした格安宿泊パックの提供などでも知られています。

2日目の旅程でホテルや旅館が集中しているのは気仙沼周辺のみです。宿のご予約はお早めにどうぞ。

3日目。気仙沼から陸前高田、そして一関へ

気仙沼の観洋さんに泊まったことにして、紹介記事を進めます。
港に面した高台にある観洋さんからは、気仙沼の港が一望に見渡せます。そして日の出前から漁港周辺は船出の準備でにぎやかに。出船、入船、港を走るトラック。そんな慌ただしい漁港の光景が少し気持ちを和ませてくれるのです。

町は破壊された。
でも、漁業は復活に向けて動いている。

気仙沼で宿泊されたなら、ぜひ朝の漁港の活気を体験してみてください。

気仙沼市、鹿折唐桑駅前の「第18共徳丸」
気仙沼市、鹿折唐桑駅前の「第18共徳丸」

気仙沼の震災のシンボルとされ、これまで多くのメディアで紹介されてきたのが「第18共徳丸」。気仙沼湾の最奥部から北に800mほど入った鹿折唐桑駅前に残されていました(写真は2012年10月のものです)。

地元の人たちの中には、堤防を乗り越えて町に入ってきた大型の船が、家々を破壊していく様子を目にしていて、この船はもう見たくない。当時のことを思い出すから撤去してほしいという声も聞きます。船主である福島県いわき市の水産会社社長も、この4月から解体作業の準備に入ると気仙沼市に申し出ています。

しかし気仙沼市ではこの船を「震災遺構」として残した考えを強く持っており、船主との交渉が続いています。今年のGWの頃、第18共徳丸はどんな姿をしているのでしょうか。

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栃ケ沢ベース

栃ケ沢ベース

気仙沼から陸前高田までは、東浜街道(気仙沼バイパスに直結する道路)を通って30分ほどです。

陸前高田は、駅や役場があった高田エリアも、江戸時代以前から続く古い町並みが残されていた気仙エリアも、ほとんどの建物が津波によって跡形もなく破壊されてしまいました。

高田街道(国道340号線)の高台にある仮設商店街「栃ケ木ベース」からは、更地のようになってしまった町が遠望できます。この商店街はまさに、陸前高田の復興を目指すベース(前進基地)なのです。

米沢商会のビル

米沢商会のビル

ほとんどの建物が消え、更地になった土地に何棟かの建物が残る陸前高田。
現在、市役所や体育館など被災した建物の解体が進んでいますが、津波被害の記憶を後世に伝えるために存続することになった建物もあります。
市役所のすぐ近くに立つ米沢商会の3階建てのビルには、屋上まで津波が押し寄せました。ビルの所有者は煙突に上ることで辛うじて生きのびたそうです。津波の記憶を風化させないため、現在では煙突部分に「津波到達水位」の看板を掲げ、建物の保存を目指しているとのことです。

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陸前高田からは一関の新幹線駅を目指します。
お土産のご購入、レンタカーのガソリン給油は被災地で!
よろしくお願いしますね。

さて、陸前高田から一関へは「高田松原西」の交差点から国道343号線を海を離れる方向に進みます。途中、栃ガ沢ベース、滝の里の2つの仮設商店街を過ぎれば、すぐに今泉街道(国道340号線)の分岐です。ここから橋を渡り、峠を越えて西に向かえば、猊鼻渓(げいびけい)の渓谷を経て平泉、一関へは約1時間45分の行程です。

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  • H

    habihabi64

    ゴールデンウイークに東北へ行く予定です。こちらのプランをもとに行動したいと思いました。どこをどう行ったらいいのか分からないことだらけですので、プランがあると助かります。また、 南三陸ホテル観洋さんの宿泊がとれました!