「ここまできて、宗谷岬に行かずに帰るのか?」
北海道の利尻島、礼文島を楽しんだあと、ターミナルである稚内駅に戻った。有名な「日本最北の島々」に行ってみたくて島々をまわったものの、あくまで「日本最北の島々」であって、「日本最北の地」ではない。稚内駅から20数キロ離れた宗谷岬こそが「日本最北の地」である。 思えば、北海道の島々を巡るために、夏休みはどれだけアルバイトに励んだだろうか。島々をめぐるという目的を果たし、いよいよ帰るだけとなったとき、僕は衝動に駆られてしまった。
「ここまできて、宗谷岬に行かずに帰るのか?」そう。遠く離れた関西からの長旅だった。帰ればまた、勉学とアルバイトに励む日々が始まる。「日本最北の地」は目の前だぞ。2度目があるかもわからないぞ。そうこうしているうちに、稚内から宗谷岬を結ぶ1日5本のバス(2008年当時)がやってきた。まだ悩むのか。今行かずして―――
「あぁ、悩んだけどここに来てよかった。」
などと、当たり前のことを考えていたら、宗谷岬に着いた。バスを降りた客は僕一人だったが、宗谷岬にはバイカーや車で来たのだろう家族連れがたくさんいて、それなりに活気があった。時刻はすでに17時30分。帰りのバスは20時02分の最終バスになる。せっかく来たんだから2時間ほどぶらぶらしよう。 日本最北の地というだけあって、周辺は思ったよりも色々あった。日本最北のお土産屋さん、日本最北の食堂、その名も「最北端」!などなど。
その日は天気がよく、「日本最北端の地」からオホーツク海を眺めると、はるか向こう側にうっすらと岸が見えた。地図で見る限り50kmは離れているが、おそらくサハリンの南端だろうか。海外旅行に行ったことの無い僕は、視界に外国が映ることは初めてだった。向こう側には、少し違う肌の色をした人たちが、全く違う言語を話しているかと思うと、それだけで不思議な気分だった。 さて、そんなこんなで夕陽が沈みはじめる。オホーツク海の水平線いっぱいに沈む太陽を見て思った。
「あぁ、悩んだけどここに来てよかった。」
宗谷岬をなめていた!
ところが、うかつだった。まだ8月と言えど、日が沈んだ宗谷岬は急に肌寒さを増した。そして、これは都会人ボケと言って良いだろう。このあたりには街灯がまるでないことに驚いた!夏の虫のように唯一の灯りを求めて、お土産屋さんへ行くものの、すぐに閉店。いよいよやることが無くなってしまった。バスが来るまでまだ1時間以上もある。これはどうしたものか。 夕陽を楽しんだバイカーや家族連れは、自分たちのバイクや車で満足そうに帰っていった。本格的に人気が少なくなる。周辺にほとんど人がいないなか、「日本最北端の碑」がライトアップされた。かなり幻想的な光景に見えるはずなのに、その時は不気味でしかなかった。しかし、寒い。宗谷岬の夜をナメていた。8月下旬ながら、おそらく気温は10度台だろう。
僕は、途方に暮れていた。離れた場所にバスの待合室を発見したのに、何故か閉鎖されていた。こうも暗くて寒いと、時折駐車場にやってくる車すら不気味に見えた。不安を紛らわせるためにいじっていた携帯電話も電源が切れてしまった。頼りになるのは、20時02分に来るはずのバスと、その時間を示す腕時計だけである。 心を無にした1時間は、3時間にも5時間にも感じたが、ようやく腕時計は20時を指していた。はぁ、なんだかどっと疲れたよ。そろそろバスが来るな。
頼む!バス来てくれ
20時15分。・・・バスが来ない。どういうことだ、バスが来ない。おかしい、そんなはずはない。すでに通過した?まさか!暗くて見えなかったのか。それとも僕の背が低くて運転手からは見えなかったのか。実は僕が瞬きした瞬間に猛スピードで通過していったのか。
宗谷岬前の国道は法定速度を無視した車がびゅんびゅん走る。それすらも必要以上に不安を煽ってくれた。バスが来ない?そんな馬鹿な。ただの遅延なのだろうか。そうだ!携帯を・・・って、電池切れだったーーー!!! このまま肌寒く過ごして大丈夫なのか。最悪バスが来ない場合はどうすれば。学生にはかなり痛いがこの際タクシーか。ヒッチハイクは不安すぎる。寒いのに汗をかいてきた。あぁ、どうしよう。頼む!バス来てくれ―――
そのとき、宗谷岬の空を流れ星が煌めいた。そして・・・。
21時30分ごろ、稚内駅着。バスの運転手さんに文句を言う気力もなく、僕はバスを降りた。思いつきの観光はこりごりだ。何かの流星群だろうか。空は次から次へと流れ星が瞬いていた。旅は計画的に。
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