【復興支援ベース】笑顔の奥にある涙。まなざしの先にある希望。復興100年を見つめます by iRyota25 2012年12月25日 Facebook Twitter Google+ LINE 復興支援リポート 復興支援リポート一覧 復興住宅への入居が始まりました、とニュースで見ると「あぁ良かった」と安心できる。でも完成した住宅は町に1つか2つだけ。たしかに変化は大きいが、被災の現実はますます見えにくくなっている。 2016年3月11日(金) ~今朝の私の気持ち~ onagawa986さん 震災から5年【変わったもの・変わらないもの】 onagawa986さん 居酒屋で原発作業員さんと呑んだ1時間 シーパルピア女川はなぜテナント型なのか たとえ公的な補助を投入して施設だけを整備しても、従来と同じ商売のやり方では、早晩行き詰まって、やがてシャッター街に戻ってしまうかもしれない。それを「復興」といえるのか?答えはNoに決まっている… 東北に ふくらむ桜 春がくる 早咲きの桜とはいえ、早くも東北から桜のたより。愛でれば育つ。桜の木は関わる人の気持ちが分かるのかもしれない。 大槌町の高台に立つ希望の灯り 大槌の町では「ひょっこりひょうたん島」の音楽が正午の時報として流される。ひょうたん島のモデルとされる蓬莱島が見渡せる高台にたてられた希望の灯りには、ひょうたん島のイラストが刻まれている。 「高層」災害公営住宅から見た気仙沼の今 気仙沼の中心地に建つ災害公営住宅。3棟のうちの1棟はなんと10階建て。階段をのぼって見渡す周辺の風景は…… [山田町]御蔵山から見た山田の町並み - By iRyota25 - ぽたる 御蔵山は山田町の港からすぐ近くにある小さな高台の丘。かつて江戸時代には南部藩に収める米の集積場所だったことから御蔵山と呼ばれるらしい。この場所はかさ上げが進む地域と、海沿いの商業地域のちょうど境目。つまり町の最前線。この山からの景色をずっと見つめていきたいと思う。 ホテル観洋の窓辺の椅子から見える風景 ホテル観洋は震災後、地元の人たちの避難場所になった。ホテルに行けば大丈夫だろうと地元の人たちが数多く集まった。長期にわたる避難生活の中、ロビーのあるフロアには子どもたちのための図書室も設けられた。そしてその奥、志津川の町を遠望できる場所にこの椅子がある。 中学生たちが建てた「女川いのちの石碑」を歩く 今、女川町はどうなっていますか悲しで涙を流す人が少しでも減り笑顔があふれるまちになっていることを祈りそして 信じています BRTが走っていてもバスに乗れない! バス(BRT)が走っているのにバス停がないからバスに乗れないという不条理。BRTは1日に10往復以上。地元のバスはほんの数便。 「がんばろう!石巻」灯びが教えてくれること 灯びを絶やすことなく伝えていくことは、「思いつづける、忘れない」という気持ちをずっと受け渡し続けて、「未来」へと届けていくこと… いまだけの風景「東北復興祭 in 宮古」 宮古の町の景色の中にいられてよかった。明日はどうかわからないけど、明日は今日の次にやってくる。ということで――どんどはれ ぶつかり合う山車と山車◇必見!陸前高田「けんか七夕」 陸前高田には2つの七夕がある。気仙川をはさんで東側、旧・高田町の「うごく七夕」と西の旧・気仙町の「けんか七夕」。山車の形は似ているけれど、見せ場は違う。しかし、思いはまったく同んなじだ。 思い出になんかしたくない♪「気仙沼の夏・花火」 左はおなじみ「ホヤぼーや」くんですが、右の子には始めてお目にかかりました。お名前は「よしぼう」。気仙沼商工会議所の「気仙沼∞全国展開プロジェクト」の公式キャラクターです 女川駅「ゆぽっぽ」入湯記 駅舎の左側がゆぽっぽの入り口で、2階部分が浴場と休憩室。そのふたつを結ぶ渡り廊下からは、青い青い女川の海へ続くプロムナードと生まれ変わりつつある女川の町が見渡せます 『神輿は今年も海へゆく』久之浜 三嶋神社の夏祭り 出発前にはね、区長さんは言っていたんです。今年は波もあるから海には入れねえ。そうは言っても、お神輿が渡御する道のりに海があるんだから、入るなと言われても入らずにはいられない [21世紀 日本の風景]原発がこの目で見える丘 10数kmという距離は遠い。でも、マラソン大会ならショートコースの距離にちょっと足せば届いてしまう距離。フルなら往復してなお余りある距離。この場所は、生きている人が足を伸ばせる生活圏 【宮沢賢治と歩く】イギリス海岸 夏休みの15日間の農場実習の間に、教師であった宮沢賢治が生徒たちを連れて水遊びをしたり、化石を探したりして過ごした北上川での思い出。「銀河鉄道の夜」にもつながる物語の原石がここに眠っています。 おしゃれな箱根山テラス 部屋にはテレビも目覚まし時計もゴミ箱もありません。この地域の木をふんだんに使った建物と、窓の外に広がる自然、たとえば鳥のさえずりで目覚める朝、といった経験を大切にしたいと考えております… 「固い絆」 4回目の3月11日、ロッシー東北で行った竹灯篭に彼女はそう記しました。絆じゃないんです。「固い絆」なんです。 今日届く新聞にもまた 一見何の被害も受けていないように見えても、ここにいる人たちはみんなが被災しているのですよ… < 1234 >
復興住宅への入居が始まりました、とニュースで見ると「あぁ良かった」と安心できる。でも完成した住宅は町に1つか2つだけ。たしかに変化は大きいが、被災の現実はますます見えにくくなっている。