今朝もまた新聞が届く。インクのにおいの残る新聞を開くと、目に入ってくるのは震災の記事、進まぬ復興、そして原発の事。ページをめくっても、どのページを見ても関連する言葉が並んでいる。昨日の新聞もそう。たぶん明日の新聞も明後日の新聞もそうだろう。
いつもお世話になっている諏訪神社に行くと、宮司さんの奥さんが新聞をご覧になってと進めてくれる。いつもこんな感じなんですよ、と。震災や原発の事が載らない日などないんですよ、と。この新聞、荷物にならなけば是非お持ちになって下さいと何日か分のバックナンバーまで持たせてくれる。
いわき市あたりのビジネスホテルに泊まると、朝食の頃にはフロントに新聞が山積みにされている。ご自由にお取りくださいと置かれているのは全国紙の読売新聞だ。地方紙の福島民報や福島民友は無料ではない。
全国紙にも福島の記事は載っているが、地域情報の1~2ページだけ。それに対して、地元でのシェアが圧倒的な地方紙は、ページをめくっても、めくっても被災と原発の文字が飛び込んでくる。たとえ明るい話題であったとしても、震災とか原発事故という言葉そのものが持つ棘が無くなることはない。復興という言葉でさえも、その前提となっている意味を押し出してくる。
いわき市久之浜に行ったのは、桜の木の植樹という目的だった。晴れて明るい空ながら、風の冷たい川原で桜を植えた後、地元の人たちとライスカレーを頂きながら、こんな話を聞いた。まるで呟くように淡々と語られた言葉だった。
たしかに町の海に近い所は津波で壊されました。それは誰が見てもわかるでしょう。しかしですね、一見何の被害も受けていないように見えても、ここにいる人たちはみんなが被災しているのですよ。
放射能とは口にされなかったが、もちろんその意味が大きいのだろう。外側だけ見ると、昔と変わらないように見えるかもしれないが、生活はがらりと変わってしまった。将来の計画も変わってしまった。
変わってしまったという事を、日々の新聞が毎日毎日伝えてくれる。4年前とは違うのですよと確認するかのように。
「東日本大震災生活情報」というページには、「原子力・放射線」という白抜き文字がトップに掲載されている。天気予報も「きょうの第一原発付近の天気と風向き」。直接死や間接死など分類された「県内死者」の表もある。食品から検出された放射線量の一覧は細かい文字が紙面を埋める。文字と数字がずらりと並ぶ構成は、まるで株式情報のようにも見える。県内各地の環境放射線量も同様だ。
これが毎日のことなのだ。文字を目にすれば胸に重しが載ってくる。でも、自分の地域の情報だから見ないわけにはいかない。
そんなことを、私たちはほとんど知らない。気づくこともなく、考えもしない。
訪ねていくたびに奥さんは毎回新聞を持たせてくれる。新聞をもらった自分は、せめてそのことだけは伝えていかなければならない。
だからといって、何ができるのかという人がいる。でも、仮にできることがないからといって、知る事を止めてしまっていいものではない。何もできることがないからといって、なかったことになどできるわけがない。
知ろう。まずは知ろうよ。そして、私たちは話をすることだってできるじゃないか。
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